第8小節 指揮専攻
オリエンテーションが終わると、ホールは一気にざわめいた。
「次は専攻ごとのガイダンスです。指示に従って移動してください」
教員の声を合図に、生徒たちが立ち上がる。
椅子が引かれる音、資料を抱える音、誰かの笑い声。
さっきまで同じ空間にいた一年生たちは、流れる水のように枝分かれしていった。
「じゃ、ここから別行動だね」
共史が言う。
「夕方には戻るでしょ」
白音はあっさりとそう返し、イヴォナは小さく頷いた。
四人で並んで歩けるのは、ここまで。
拆音は一瞬だけ立ち止まり、三人の背中を見送ってから、指示された方向へと足を向けた。
*
《指揮専攻ガイダンス》
拆音は、思わず足を止める。
——少ない。
廊下にいる生徒の数が、圧倒的に少なかった。
他の専攻が列を成して移動していく中で、ここに集まっているのは、せいぜい十数人。
「……え?」
一瞬、場所を間違えたかと思った。
だが、扉の前に立つ生徒たちの顔を見て、その考えはすぐに消えた。
——知ってる名前ばっかりだ。
シンフォニア寮から二名。
ジングシュピール寮から三名。
その他の寮からも、各一名ずつ。
どれも、学内で“指揮”の話題が出れば必ず名前が挙がる面々。
その中心に、当然のように立っている少女がいた。
指宿花琳。
無駄のない立ち姿。
肩までの黒髪をきっちりまとめ、視線は前方だけを見ている。
周囲に人がいるのに、彼女の周りだけ、音が一段低い。
——格が違う。
他にもリート寮の瀬尾、 ポロネーズ寮の東雲、ムジークドラマ寮の橘…
——全員、名前だけで胃が痛くなる。
拆音は、喉が鳴るのを感じた。
自分の名前が、この並びにあるのが、信じられない。
パッション寮。
問題児の寄せ集め。
学内でも異端と囁かれる寮。
そこから来た、自分。
「……場違いにもほどがあるだろ」
思わず、心の中で呟いた。
誰も雑談しない。
誰も笑わない。
ここにいる全員が、“指揮”を職業として見据えている。
——遊びじゃない。
その空気が、ひりつくように肌を刺した。
拆音は、無意識に一歩下がりそうになった。
そのとき。
ふと、あの声が脳裏をよぎる。
『君は、この世界の秩序を守る存在になってほしい』
教会の静けさ。
重く、確かな低音。
『その力がある』
理由は言われなかった。
根拠もなかった。
でも、不思議と否定できなかった言葉。
拆音は、深く息を吸い、足を止めた。
——逃げる理由には、ならない。
今ここで引き返したら、
あの夜も、あの音も、全部なかったことになる。
胸の奥で、かすかな火が灯る。
大きくはない。
でも、確実に燃えている。
拆音は、顔を上げた。
その瞬間、ほんの一瞬だけ。
指宿花琳の視線が、こちらに向いた。
——一瞬。
ただ、それだけ。
値踏みでも、興味でもない。
確認するような、冷静な一瞥。
すぐに視線は外れ、何事もなかったように前へ戻る。
……なのに。
心臓が、跳ねた。
拆音は、拳を握りしめる。
「……やったる」
声には出さず、胸の内で呟いた。
壇上に教員が立ち、ガイダンスが始まる。
選ばれた者たちの中で、
場違いな一人として。
それでも、彼はここに立っていた。
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