第8小節 指揮専攻

オリエンテーションが終わると、ホールは一気にざわめいた。


「次は専攻ごとのガイダンスです。指示に従って移動してください」


 教員の声を合図に、生徒たちが立ち上がる。

 椅子が引かれる音、資料を抱える音、誰かの笑い声。


 さっきまで同じ空間にいた一年生たちは、流れる水のように枝分かれしていった。


「じゃ、ここから別行動だね」


 共史が言う。


「夕方には戻るでしょ」


 白音はあっさりとそう返し、イヴォナは小さく頷いた。


 四人で並んで歩けるのは、ここまで。


 拆音は一瞬だけ立ち止まり、三人の背中を見送ってから、指示された方向へと足を向けた。



《指揮専攻ガイダンス》


 拆音は、思わず足を止める。


 ——少ない。


 廊下にいる生徒の数が、圧倒的に少なかった。


 他の専攻が列を成して移動していく中で、ここに集まっているのは、せいぜい十数人。


「……え?」


 一瞬、場所を間違えたかと思った。


 だが、扉の前に立つ生徒たちの顔を見て、その考えはすぐに消えた。


 ——知ってる名前ばっかりだ。


 シンフォニア寮から二名。

 ジングシュピール寮から三名。

 その他の寮からも、各一名ずつ。


 どれも、学内で“指揮”の話題が出れば必ず名前が挙がる面々。


 その中心に、当然のように立っている少女がいた。


 指宿花琳。


 無駄のない立ち姿。

 肩までの黒髪をきっちりまとめ、視線は前方だけを見ている。


 周囲に人がいるのに、彼女の周りだけ、音が一段低い。


 ——格が違う。


 他にもリート寮の瀬尾、 ポロネーズ寮の東雲、ムジークドラマ寮の橘…


 ——全員、名前だけで胃が痛くなる。


 拆音は、喉が鳴るのを感じた。


 自分の名前が、この並びにあるのが、信じられない。


 パッション寮。


 問題児の寄せ集め。

 学内でも異端と囁かれる寮。


 そこから来た、自分。


「……場違いにもほどがあるだろ」


 思わず、心の中で呟いた。


 誰も雑談しない。

 誰も笑わない。


 ここにいる全員が、“指揮”を職業として見据えている。


 ——遊びじゃない。


 その空気が、ひりつくように肌を刺した。


 拆音は、無意識に一歩下がりそうになった。


 そのとき。


 ふと、あの声が脳裏をよぎる。


『君は、この世界の秩序を守る存在になってほしい』


 教会の静けさ。

 重く、確かな低音。


『その力がある』


 理由は言われなかった。

 根拠もなかった。


 でも、不思議と否定できなかった言葉。


 拆音は、深く息を吸い、足を止めた。


 ——逃げる理由には、ならない。


 今ここで引き返したら、

 あの夜も、あの音も、全部なかったことになる。


 胸の奥で、かすかな火が灯る。


 大きくはない。

 でも、確実に燃えている。


 拆音は、顔を上げた。


 その瞬間、ほんの一瞬だけ。


 指宿花琳の視線が、こちらに向いた。


 ——一瞬。


 ただ、それだけ。


 値踏みでも、興味でもない。

 確認するような、冷静な一瞥。


 すぐに視線は外れ、何事もなかったように前へ戻る。


 ……なのに。


 心臓が、跳ねた。


 拆音は、拳を握りしめる。


「……やったる」


 声には出さず、胸の内で呟いた。


 壇上に教員が立ち、ガイダンスが始まる。


 選ばれた者たちの中で、

 場違いな一人として。


 それでも、彼はここに立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る