第4話
放課後の旧校舎。
埃っぽい空気が漂うその一室は、普段は誰も寄り付かない物置同然の場所だ。
西日が差し込む教室で、僕は銀髪の美少女――第二王女アイリスと対峙していた。
「……というわけで。断るなら、あなたの『魔力ゼロ』判定を理由に、明日にも退学処分になるよう手配するわ」
「職権乱用がひどくないですか?」
「あら、私は事実を言ったまでよ。この学園は実力主義。魔力のない生徒が除籍されるのは当然のルール……。でも、私が『彼には特別な才能がある』と証言すれば、話は別ね」
アイリスは優雅に腕を組み、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
完全に脅迫である。
(はぁ……。平穏な学園生活を送るつもりが、一番面倒な相手に捕まったな)
僕は大きくため息をついた。
退学になって実家に送り返されるのも面倒だし、ここで彼女の機嫌を損ねて国を敵に回すのも得策ではない。
「……わかりました。教えますよ。ただし、条件があります」
「条件?」
「僕が『陰陽師』であること――この技術のことは、僕とアンタだけの秘密にすること。誰かに漏らしたら、契約は即終了です」
「ええ、構わないわ。私だけの秘密の技術……ふふ、悪くない響きね」
アイリスは満足げに頷いた。
どうやら「二人だけの秘密」というシチュエーションが、彼女の乙女心(あるいは独占欲)をくすぐったらしい。
「よし、じゃあ早速始めましょうか」
僕は懐――に見せかけた『亜空間収納』から、商売道具を取り出した。
硯(すずり)、墨、筆、そして和紙。
いわゆる『文房四宝』だ。
それらを机の上に並べると、アイリスが目を丸くした。
「……なによこれ。黒い水に、動物の毛? 絵でも描くつもり?」
「絵じゃないよ。『文字』を書くんだ」
僕は硯に水を垂らし、墨を静かに磨り始めた。
墨の香りが、埃っぽい教室にふわりと広がる。
「いいですか、王女殿下。この世界の魔法は、イメージを魔力で固定化して放つ『砲弾』のようなものです。強力ですが、制御が難しく、燃費も悪い」
「……否定はしないわ。私の魔力が強すぎて杖が壊れるのも、その『砲弾』が大きすぎるからよ」
「そう。対して陰陽術は、『水路』を作る作業に似ています」
僕は筆にたっぷりと墨を含ませた。
「文字という『型』に意味を宿らせ、そこに最小限の力を流し込む。無理やり形にするのではなく、流れるべき場所へ誘導するんです」
「流す……?」
「まあ、やってみた方が早いですね。はい、貸しますから書いてみて」
僕は筆をアイリスに手渡した。
彼女はおっかなびっくり筆を握ると、和紙に向かう。
「ど、どうすればいいの?」
「とりあえず、簡単な文字からいきましょう。『灯(ともしび)』と書いてみてください」
「わかったわ。イメージして、魔力を込めればいいのね!」
アイリスの瞳にやる気の炎が宿る。
彼女は筆を振り上げ――。
バキッ!!
ボッ!!!
「きゃっ!?」
筆が中央からへし折れ、同時に和紙が青白い炎を上げて燃え尽きた。
「……失敗ね」
「失敗どころか爆発ですね」
アイリスは悔しそうに唇を噛んだ。
手も顔も煤(すす)で黒くなっている。
「くっ、もう一回よ! 次こそは……!」
二回目。筆が粉砕。
三回目。机が焦げる。
四回目。墨汁が沸騰して蒸発。
「なんでよぉっ! 優しくやってるのに!」
十本目の筆が犠牲になったところで、アイリスが涙目になって叫んだ。
やはり、彼女の魔力出力は規格外すぎる。
蛇口をひねったらダムが決壊するような状態だ。
(口で言ってもわからないか。なら――)
「王女殿下、ちょっと失礼しますよ」
「え? ひゃっ!?」
僕はアイリスの背後に回り込み、彼女の右手を、自分の右手で上から包み込むように握った。
左手は机につき、彼女を背中から抱きすくめるような体勢になる。
いわゆる、書道教室における手取り足取りの指導だ。
「ちょ、ちょっとハルト!? ち、近――」
「動かないで。力を抜いてください」
耳元で囁くと、アイリスの肩がビクッと跳ねた。
彼女の身体から、甘い花の香りが漂ってくる。
心なしか、心臓の音が早くなっている気がするが、今は無視だ。
「アンタは力が入りすぎなんです。筆先を押し付けるんじゃなくて、紙の上を滑らせるように……そう」
「う、うう……」
アイリスは顔を真っ赤にして固まっている。
だが、僕が手を誘導し始めると、その意識はすぐに筆先へと向いた。
「魔力を込めようとしないでください。僕が流す『気』の流れを感じて、それをなぞるだけでいい」
「なぞる……流れを……」
僕の指先から、微細な呪力を彼女の手へと伝える。
荒れ狂う彼女の魔力を、僕の呪力で包み込み、細い水路へと誘導していく。
スッ、スッ、トン。
静寂の中、筆が滑る音だけが響く。
黒い墨が、和紙の上に美しい軌跡を描いていく。
「――できました。放して」
僕が手を離すと同時に、和紙に書かれた『灯』の文字が、ふわりと浮き上がった。
ポウッ……。
それは爆発でも破壊でもない。
蛍の光のように優しく、温かいオレンジ色の光球だった。
「…………嘘」
アイリスが、信じられないものを見る目でその光を見つめた。
「これが、私の魔力……? こんなに小さくて、静かな魔法が……私にも使えるの?」
今まで「破壊」しか生み出せなかった彼女にとって、それは初めての「創造」だったのかもしれない。
彼女は煤で汚れた顔のまま、無邪気な子供のように笑った。
「できた……! ねえ見てハルト、できたわ!」
「ええ、上出来です」
振り返った彼女の笑顔は、破壊の王女とは思えないほど可愛らしかった。
思わず僕も、つられて少し笑ってしまう。
「ふふっ、すごいわハルト! あなた、本当に何者な――」
そこまで言いかけて、アイリスはハッとしたように自分の状況に気づいた。
密室。
至近距離。
そして、僕の手がまだ彼女の手に触れていること。
「あ、う……そ、その……//」
彼女の顔が、湯気が出そうなほど赤く染まっていく。
旧校舎の教室に、甘酸っぱい沈黙が流れた。
二人の距離が、物理的にも心理的にも縮まった瞬間だった。
――だが。
二人は気づいていなかった。
その様子を、廊下のドアの隙間から覗く、嫉妬に狂った視線があることに。
「……ハルト、貴様ァ……!」
ギリアムだ。
彼は血走った目で、中の様子を凝視していた。
彼には、二人が術の練習をしているようには見えなかった。
男が後ろから抱きつき、王女が顔を赤らめて身を委ねている――そうとしか見えなかったのだ。
「ゴミ虫風情が、王女殿下をたぶらかしやがって……! 許さん、絶対に許さんぞ……!」
ギリアムはギリギリと歯ぎしりをすると、ある「最悪の企み」を胸に、その場を走り去っていった。
二人の秘密のレッスンが、学園全体を巻き込む大騒動になるとは知らずに。
次の更新予定
魔法文明が遅れた異世界で、最強の陰陽師は「紙切れ使い」と笑われる。〜詠唱必須の遅すぎる魔法は、瞬発の呪符と式神で蹂躙します。え、僕の雑用係(十二神将)に勝てないんですか?〜 kuni @trainweek005050
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