第2話
静寂は、一瞬で破られた。
「い、インチキだあああああっ!!」
演習場に響き渡ったのは、称賛の声ではなく、ギリアムの絶叫だった。
腰を抜かしていた彼は、震える足で立ち上がると、真っ赤な顔で僕を指差した。
「そ、そうだ! あんなの魔法じゃない! 貴様、違法な『使い捨て魔道具(アーティファクト)』を使ったな!?」
ギリアムの叫びを皮切りに、凍り付いていた生徒たちの思考が再起動する。
「あ、ああ、そうか! そうだよね、詠唱も魔法陣もなかったし!」
「魔道具なら納得だわ。貴重な遺物をあんな風に使うなんて、なんて野蛮なの」
「それに、あの巨人は教官の魔法で弱っていたんだよ。最後の一撃だけ横取りするなんて、汚いぞハルト!」
教室の空気は、急速に「ハルト=卑怯者」という解釈で固まっていく。
人間というのは面白い生き物だ。
自分の理解を超えた現象を目の当たりにすると、脳が勝手に理解できる形へと情報を歪めてしまう。
(まあ、その方が都合がいいか)
僕は肩をすくめた。
ここで「いや、これは陰陽術といってね」と解説したところで、理解されるとは思えない。
それに、変に実力を認められて面倒事を押し付けられるのは御免だ。
「……おい、無視するなよ!」
詰め寄ってくるギリアムに、僕はひらひらと手を振った。
「はいはい、君たちの言う通りだよ。たまたま拾った魔道具が暴発しただけだ。いやー、運がよかったなあ」
「ぐぬぬ……っ! やっぱりか! 落ちこぼれの『紙切れ使い』が、実力で勝てるわけないもんな!」
ギリアムは悔しそうに歯噛みしながらも、どこかホッとした表情を浮かべた。
自分のプライドが守られたからだろう。
僕は騒ぐ彼らを背に、さっさと演習場を後にした。
◇ ◇ ◇
そんな喧騒を、少し離れた校舎の三階から見下ろす人影があった。
輝くような銀髪に、宝石のような蒼い瞳。
この国の第二王女であり、学園最強の『特待生』として知られる少女、アイリスだ。
彼女は窓枠に肘をつき、興味深そうに目を細めていた。
「……魔道具、ね」
ふふっ、と鈴が転がるような声で笑う。
「節穴ばかりね、この学園は。あれのどこが魔道具なものですか」
彼女の『魔眼』は捉えていた。
ハルトという少年が、紙片一枚に膨大な術式を一瞬で編み込み、それを解き放った瞬間を。
そこに魔力の揺らぎは一切なかった。
魔力とは異なる、もっと根源的な『気』の流れ。
「詠唱破棄どころか、無詠唱ですらない。あれは、概念そのものを書き換える上位干渉……」
アイリスは、校舎の陰に消えていくハルトの背中を熱っぽい視線で見つめた。
「ハルト・アンベルク。ただの落ちこぼれ貴族かと思っていたけれど……ふふ、見つけちゃった」
退屈だった学園生活に、とびきりの謎(おもちゃ)が現れた。
彼女の唇が、捕食者のように艶やかに歪んだ。
◇ ◇ ◇
「ふあ……疲れた」
学園の隅に追いやられた、平民と下級貴族用の旧学生寮。
その一室にある自分の部屋に戻り、僕はベッドに倒れ込んだ。
カビ臭い天井を見上げながら、大きく息を吐く。
「目立たないように手加減したつもりだったけど、これでも威力が高すぎたか」
前世の感覚で「初歩の初歩」を使ったつもりでも、この世界では「戦略兵器」扱いされてしまう。
力加減の調整が今後の課題だな。
「それより、腹減ったな」
時計を見ると、もう食堂が閉まる時間だ。
僕は起き上がり、棚から秘密の食料を取り出した。
この世界の麺料理を乾燥させ、香辛料と共に保存しておいた自家製の即席麺だ。
いわゆるカップラーメン(もどき)である。
「よし、食べるか。……あ」
器に麺を入れたところで、重大な事実に気づく。
お湯がない。
この寮には給湯室がなく、お湯を使うには一階の共同厨房まで行かなければならない。
今はもう消灯時間に近いし、何より階段を降りるのが面倒くさい。
「魔法で沸かすか? いや、火属性の詠唱なんて覚えてないしな……」
この世界の魔法は不便だ。
お湯ひとつ沸かすのにも、「火の精霊よ」とお伺いを立てなきゃいけない。
「仕方ない。アレを使うか」
僕は懐から、一枚の赤い呪符を取り出した。
指に挟み、軽く魔力を通す。
「――急々如律令。出でよ、十二神将【騰蛇(とうだ)】」
ボッ!!
何もない空間から、猛烈な熱気と共に紅蓮の炎が噴き出した。
狭い寮の部屋が、一瞬にして灼熱地獄に変わる。
炎の中から現れたのは、揺らめく陽炎を纏った、威厳あふれる鬼神――の姿をした、手のひらサイズのミニキャラだった。
(※寮が燃えると困るので、出力1%の省エネモードで喚んでいる)
『ぬう……。我を呼ぶのは何奴か』
騰蛇は小さな腕を組み、尊大な声で言った。
『我は煉獄の炎を司り、あまねく悪を焼き尽くす最強の闘将なり。主よ、此度は誰を滅ぼせばよい? 国か? それとも神か?』
やる気満々だ。
さすがは戦闘狂の十二神将。頼もしい限りである。
「いや、国も神も滅ぼさなくていいよ」
僕はカップ麺の入った器を差し出した。
「お湯、沸かして」
『…………は?』
騰蛇の顔が固まった。
燃え盛る炎の髪が、心なしかシュンと小さくなる。
『お、お湯……だと? この我に? 数多の魔神を葬り去ってきた、この騰蛇に?』
「だってお湯がないと麺が食えないだろ。ほら、いい感じの火力で頼むよ。熱すぎると麺が伸びるからさ」
『貴様ぁぁぁっ! 我を何だと思っている! プライドというものがないのか!?』
「ないね。で、やるの? やらないなら他の奴呼ぶけど」
僕は次の呪符(水将の青龍あたり)に手を伸ばすフリをした。
すると、騰蛇が慌てて飛びついてくる。
『やる! やらせろ! 他の奴に主の世話を焼かれるのは癪だ!』
チョロい。
『ええい、見よ! これぞ神技、煉獄湯沸かし!』
ボッ。
騰蛇が指先から、器用に極細の火炎を放射する。
器の水は一瞬で適温に沸騰した。
素晴らしい熱伝導コントロールだ。
「うん、ありがとう。助かったよ」
『フン! 礼には及ばん。……だが主よ、次はもっとマシな戦場に呼べよ。例えばドラゴンの巣とか』
「はいはい、機会があったらね」
僕はズルズルと麺をすすりながら、適当に相槌を打った。
窓の外では、月が静かに輝いている。
最強の式神を湯沸かしポット代わりに使いながら、僕の異世界スローライフ(仮)の夜は更けていくのだった。
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