第3話 絆の粉砕
珠侑幸と光唯邑は豊果の家へ行ったきり戻ってこない。湿った分厚い布団にくるまる誠皇晋と僕はカタカタ震えていた。体の芯まで冷えきって手足の指が痛んだ。
「奥納戸を出て囲炉裏で暖をとらせてもらおうよ」
「内側からは出入口のひらかない仕組みになってんの。そんなことも知らなかったのかよ」
誠皇晋は珍しく苛々していた。
3日も風呂に入っていないせいかもしれない。極めて文化的な自立した生活を送ってきた誠皇晋にとって他人の助けの必要な忍従の強いられる状況は甚だ苦痛だろう。
その点,僕のほうが,こうした状況には耐性があるのかもしれない。ひきこもりや逃避ばかり続け,垢と屈辱と諦念に塗れて気の遠くなるような日々を過ごしてきた。
風呂に入れないぐらいなんだよ。風呂に入っていない日数なら誠皇晋を凌駕している。5日?――いいや,もっとだ。未知瑠との同居生活で僕がシャワーを浴びれば汚れるからと浴室使用の禁止を命じられた。あれは四国行きの前々日だったから1週間も入浴していないじゃないか!
「ちょっとは,あったかくなるかもしんない。だきあうか? 男同士でキモイけど」
――なぁにいぃ?――頭にくるじゃんよ――「ぶりかえすつもりか,温泉宿での喧嘩を」
「はぁ?? 喧嘩? 喧嘩なんかしてねぇよ。そっちが勝手にカッカきてるだけじゃん」
「あぁあ,そうですかぁ。失礼しましたね――誰がだきあうか。おまえ,くっせぇもん」
「うっせぇ! だっから俺は温泉に入ろうとしたのに愛鶴がとめたんじゃねぇか! おまえのほうがもっと臭うわ!――臭うおまえを,あんな愛しげにスリスリペロペロしちゃってさ。ありゃ,マジで惚れてんね――」
「言うな! それ以上言うな!」
「言うわドンドン言ってやる! なにぃ,あれ?! おとなしく裏がえしされちゃってさ,暗黙の了解ってやつ? 実に自然な流れだった。お決まりのコースとか? あいつ,慣れた手つきだったな――おまえも満更でもなかったよ,好きな体位なんじゃね?――」
――――誠皇晋が両眼を瞬かせている。
僕はぜえぜえ息をしていた。
「ごめん。でも殴ることないじゃん」
誠皇晋が一歩近づいた拍子に,僕はさっと距離をとり,再びうずくまり布団を頭からかぶった。誠皇晋も僕もいつの間にか布団を剝ぎとり,立ちあがって喧嘩していたのだ。
誠皇晋の頰をうちつけた拳がじんじんした。
「ほんと,ごめんて――嫌みが過ぎたけど,俺はおまえらを心配して――」
「はぁっ! おまえらぁっ?!――」
「愛鶴!――落ちつけよ――」
布団を叩きつけたあとも右往左往する僕の肩を,誠皇晋がおさえつける。そんなに強くおさえつけるな,力ずくで僕を服従させようとするな,誠皇晋,おまえまで!
「あいつは純粋な気持ちでおまえを思ってるみたいだけど,おまえは煩わしいんだよな。人間関係むずいよな。一方が好きでも一方が嫌いなら成立しねぇから。おまえもいっそあいつを好きになっちゃえば楽なんだろうけどさ――」
「うるさいっ!」
誠皇晋の胸を力いっぱい ついた。
「――愛鶴……」
「僕のことに,もう口を出すな」
「そうはいかねぇ。俺には責任があるからよ」
「責任?」
「ああ,おまえが不幸になったら,千鶴さんやおじさんに顔むけできねぇ」
「……母さんと父さんに?……顔むけ?……なんだよ,それ?……」
「愛鶴?」
「なんだよ,それ――それが理由なのか――母さんと父さんへの義理だてが理由だったのか。それが理由で僕の面倒を見てきたのか――」僕たちは幼馴染みで無二の親友だったはずだ。互いを好いているし,信頼もしあっているし,助けあうのは当然だった――
誠皇晋の僕の隣にいるのは至極自然の状態として感じてきたのに,それは独りよがりの身勝手な考えだったのだ――誠皇晋は,僕が僕だから僕を助けてくれたのではなく,母と父の子であるがゆえに僕に手をさしのべていたのだ。
無条件の絆があったからこそ生きてこられた――僕の存在をもちこたえさせる唯一の支えは木端微塵に粉砕した。
「寒い……」誠皇晋が自身を両腕にだいた。「刺すみてぇに寒い……」
塵芥の散っているのかと思えば――雪だ。粉雪が奥納戸に吹きこんで舞っている。粉雪は土間へ抜ける出入口から放出されてくる。出入口があいているのだ。
「お逃げなさいませ――」出入口から女が蒼白の顔面を覗かせた。
女に導かれ家の裏手に回り,雪煙にかすむ木立へむかうよう告げられる。
「お気をつけて――」女の言葉にふりかえれば,雪と風が荒れくるうばかりで既に人影はない。
女は和装だけれども裾はウェディングドレスのように大胆に広がる白装束をまとっていた。
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