配達
「……あれ、組合ってどこにあるんだ?」
例の穴を抜けた先。異世界路地裏に入ってすぐの、第一声がそれだった。穴に入るまでは迷わず来られたが、穴を出たとたん遭難した。弁当の納品先が分からない。
……いや、バカすぎるだろ。組合の住所とか名前とか、何も聞いてないぞ。土地勘のない場所で、住所を教えてもらったからってたどり着けるとも思えないが……それにしても、現状、手掛かりゼロじゃないか。
しばらく立ち尽くしていたが、ふと気づいた。俺にこの仕事を斡旋したのはヒナだ。そして、俺はバカだが、ヒナはそうじゃない。
路地裏を歩いて、昨日ヒナと出会った場所に向かった。やっぱり、彼はそこに居た。
「おはよ!」
こちらに駆け寄ってきた彼は、屈託のない笑みを浮かべてそう言った。穴に入る直前には、腕時計は午前十時五十分を指していたが、こちらはまだ朝なのだろうか?
「早すぎた?」
尋ねると、彼は「よい」と短く答えた。それから、こちらへ手のひらを差しだす。え、何? 仲介料、俺からも取るの? 困ったな。日本円なら少しあるけど、異世界のカネは一円も持ってないし……。
「いちば、ひと、おおい。にーちゃん、いる、ない、こまる、する。て、にぎる、する」
俺が立ち尽くしていると、彼はしびれを切らしてそう続けた。なるほど。人の多い市場で迷子にならないように手をつなげ、と言っているのか。
「ああ、うん……」
これじゃどっちが子どもだか分からないが、言われるままに手をつなぎ、表通りに出た。彼の言う通り、市場はたいそうな人出で、確かに一度はぐれたら、もう二度と会えそうもない。
しばらく歩いた後、大通りの一等地らしき場所にある、三階建ての建物に入った。一階には来客用ロビーと受付があり、その向こうで数名の事務員が書類仕事をしているのが見える。なんか、区役所みたいだな。
「くみあい、いる、した。にーちゃん、ベントー、とどける、する。くみあい、はなし、きく、はたらく、ひと。とどける、いう、する」
ヒナはそう言って、受付に座っている女性を指さした。……え。俺があの人に話しかけなきゃいけないの!? ヒナが話をつけてくれるんじゃなくて!?
「ちょ、ちょっと待って」
ひとまずロビーにあった机に鞄を置き、コートを脱いだ。こんなこともあろうかと……というわけじゃないが、実はコートの下に、エプロンを身につけてきていたのだ。自炊を始めた時、まず形から入ろうと思って買ったものの、結局数回しか使わなかったため、ほぼ新品だった。
俺は昔から、気が弱くて臆病だ。そんな俺が新しいことを始める時の一歩踏み出すキッカケは、まず形から入ることだった。まあ、たいていの趣味は三日坊主に終わり、用意した品々はほぼ新品のまま、最後はリサイクルショップに持ち込まれることになるのだが。
「よしっ!」
軽く頬を叩いて、気合いを振り絞る。声が裏返ったが、気にしたら負けだ。今の俺は弁当屋。弁当屋として、組合の親方に頼まれて、弁当を届けに来た。ならば、受付嬢に話しかけるのは当然だ。これが仕事なのだ。何をためらうことがある!
鞄を持ち上げて、受付に歩み寄った。受付嬢が、内心「なんだこいつ」と思っていそうな愛想笑いを浮かべてこちらを見上げる。
「あっ、あのぉ~~~~……弁当屋です。配達に来ました」
半分裏返ったままの声で話しかけると、隣でヒナが素早く通訳した。だったら、最初からヒナが話しかければよかったのに、と思いながら黙って応答を待っていたが、どうも様子がおかしい。
受付嬢が困惑している。たぶん、「そんな話は聞いてないんだけど。ねえ、誰か知ってる?」みたいなことを、裏の事務員たちに聞いている。そして、事務員たちも、誰も把握していない。
「……えっ?」
もしかしてあの親方、弁当を頼んだこと、組合の人たちに言ってないのか? ちょっと待って。だとしたら俺、いま完全に不審者だぞ!
ヒナも驚いた様子で、受付嬢相手に何かまくし立てた。組合の人々は元々ヒナと顔見知りなのだろう、彼の主張は受け入れられ、事務員の一人が立ち上がり、階段を上がっていった。親方を呼びに行ったのか?
思いがけず騒ぎになってしまい、口から心臓が飛び出そうだったが、棒立ちのまま受付で待つこと数分。さっきの事務員と一緒に、親方が下りてきた。よかった。本当によかった!
鞄から、注文の弁当十食を取りだして、受付に積んだ。一応、百均の割り箸も十本、まとめて置いた。
よし、納品完了だ。これにて、一件落着!
「きまり、きめる。ベントー、はこ、かえす、する?」
ヒナがこちらを振り向いた。あとでトラブルにならないように、事前に取引内容を決めるのか。そりゃそうだよな。何も言わずに弁当を渡して、タッパーをそのまま持っていかれたり、捨てられたりしたら困る。
「うん。タッパーは、また使うから、返してほしい」
「わかる、した。みんな、ベントー、たべる、する。はこ、かえす、する。にーちゃん、あと、くる、する。はこ、もつ、かえる、する。よい?」
「いいよ。……あ、そうだ。弁当、二種類作ってきたんだ。肉と魚、五食ずつ。こっちが肉で、こっちが魚」
と伝えると、ヒナは頷いて、親方にその旨を説明した。親方が事務員たちに声を掛けると、彼らは一斉にわらわらと寄ってきて、物珍しそうにタッパー弁当を持っていき、事務所はすぐに無人になった。……誰か残ってなくていいんだ。アバウトだなあ。
事務員たちが居なくなると、後には親方と、弁当ふたつが残された。つまりこれは、親方とマリーの分なのだろう。マリーのも、ちゃんと注文に入っていたのか。SNSに毒されて、あらぬ疑いを掛けてしまったと反省する。
……あ、そうだ。マリーといえば、サービスのスープを渡さないと。
「ヒナ。これ、サービス……おまけの、スープ。よかったら、マリーにどうぞって伝えて」
保温ボトルを取りだして、受付に置いた。ヒナが説明すると、親方はボトルの蓋をひねって、中を覗き込んだ。保温ボトルなのでまだ温かく、ふわりと湯気が立った。こちらまで、いい匂いが漂ってくる。
すると途端に、親方が仏頂面になった。もともと最初から、すごく機嫌がいいわけではなさそうだったが、今は明らかに不機嫌だ。
……え、何? 俺、なんかしちゃった? 普通に、悪い意味で、何かやらかした!?
「あっ、あのぉ……ご迷惑でしたら、別に……」
おずおずと話しかけたが、親方はこちらをちらと一瞥した後、ヒナに話しかけた。ヒナは頷き、照り焼きチキン弁当と割り箸を手に取った。それから俺にコートを着るよう促し、袖を引いて、外へ連れて行く。
「………………え? え?」
訳が分からないまま、建物の外に出た。ヒナが嬉しそうにこちらを見上げる。え、どういうこと? 俺、完全に置いて行かれてるんだけど……。すると、俺の困惑に気づいたヒナが、経緯を説明してくれる。
「トーヤ、よい、した。マリー、げんき、ある、ない。ベントー、げんき、ある、ひと、たべる、おいしい。マリー、たべる、たいへん。おやかた、きづく、した。ベントー、ヒナ、くれる、した」
ああ、なるほど。あのスープを見て、親方は、弁当を病人に食べさせるのは酷だと気づいたのだ。それで、マリーの分として買った弁当を、ヒナにくれた。ヒナは弁当が好きだから、棚ぼただと喜んでいるわけか。
「きまり、まもる、おきゃく、よい、ない、ある。うる、ひと、きまり、まもる、だいじ。ベントー、へらす、スープ、ふやす、よい、ない。おまけ、ふやす、よい!」
「ああいや……そういうつもりじゃ、なかったんだけど」
口ではそう言った、というか実際そうだったが、こうもまっすぐに褒められると、正直嬉しさを隠せなかった。今まで、自分の一存でやったことを褒められる、という経験はあまりなかったのだ。だいたい、「余計なことをするな」とか言われるのがオチで。
「ひろば、いく、する。ベントー、たべる、する」
ヒナに手を引かれて、ふたたび歩き出した。通りは賑やかで、見上げた空は高く澄んでいる。無味乾燥に終わるはずだった年末年始休暇が、急に色づいて見えた。
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