買い出し

 食事を終えて三人と別れた俺は、またあの穴をくぐり、日本側に戻ってきた。路地を出て腕時計を見ると、午後八時半を指している。スマホを取りだすと、圏外状態から電波が回復。時刻は八時半。分単位では一致している。

 つまり、日本こちら異世界あちらの時間感覚は同期している、ということになる。

 一日が二十四時間であることまで同じかどうかは不明だが、昼間に行ったときは向こうも昼で、夜に行ったときは夜だった。偶然かもしれないが、考えればキリがない。

 ひとまず、時刻に大きなズレはないと思われる、と認識しておくことにする。もし違ったら組合に迷惑をかけることになるが、今の俺には予測しようがないのだから、その時は謝るしかない。謝るのは慣れていた。

 ともかく、目の前の問題は、注文を受けた弁当づくりだった。

 数か月前、弁当を作りはじめた当初の俺は、毎日違う弁当を一食ずつ手作りしていた。しかし途中で面倒になり、日曜日にまとめて五食分作って冷凍するという生活に切り替えていた。

 正確に言うと、エックスに毎日弁当の写真をアップしたものの、二か月間1いいねもつかなかったので、もはや虚栄心は捨てさり、週に五回同じ弁当を食べるという露骨なコストダウン路線に舵を切ったわけだが、それは本問題とは無関係であるため、脇に置いておく。

 要するに、俺には、一度に五食分の弁当を作るスキルはあるのだ。今回は十人で食べるわけだから、全部同じ弁当で問題ない。五食分の弁当を二回作ればよいわけだ。であれば、A弁当・B弁当と二種類を五食ずつ用意して、選べるようにするのもアリか。

 そうと決まれば、まずは買い出しだ。会社の最寄駅から電車に乗り、二十分ほどで自宅の最寄駅に着く。その近所に、小さなスーパーがあった。

 このあたりは、単身者向けのアパートが多い地域だ。つまりスーパーの客層も同様。年末とあって、ひとり用おせちやひとり用鍋具材セットなどが売られているのが目についた。

「ええと……どうするかな」

 あの少年、ヒナ、は俺の自炊タッパー弁当にいたく感激してくれた様子だったが、おそらくあの感動は、寒さや空腹という、本人側の要因によるところが大きい。さすがに、商品として提供するとなれば、自炊弁当と同クオリティではまずい。

 まず、弁当の構成は……米、主菜に肉か魚、副菜は野菜と卵焼き、そんなところだろうか。そもそも、異世界に米はあるんだろうかと考えたが、ヒナは普通に食べていたし、とりあえずは、自炊弁当の上位互換品を目指すことにした。

 A弁当は肉、今日と同じ照り焼きチキンにしよう。B弁当は魚で、アジフライ。揚げるだけの冷凍品を買えば簡単だ。野菜は……何がいいかな? おっ、ほうれん草が安い。売れ残りっぽいが、明日全部使うなら問題ない。

 そこで、ふと気づいた。あの親方は、マリーが体調を崩して寝込んでいるからと、俺に弁当を頼んだわけだ。

 その、マリーの分の弁当は、俺が請け負った十食の中に入っているのだろうか?

「……」

 照り焼きチキンかアジフライ。もしマリーの分が含まれているとしたら、病人には酷ではないだろうか。具体的にどういう状況か分からないが、風邪を引いて喉が痛いとか、腹を下しているとか、食欲がないことも十分考えられる。

 それに……こないだ、エックスのおすすめタブで、こんな感じの愚痴ポストが流れてきたんだよな。

『私が寝込んでるのに、旦那は「俺のメシはいいよ」とか言って、外で一人で食べてくる。私のご飯は?』

 ……そもそもあの親方は、マリーの食事のことまで考えているのか。十食は元気に組合で働く人たちの分だけで、マリーはベッドで放置されている、ということはないのだろうか。

 いや、マリーには、ちゃんと病人食を用意しているのかもしれない。勝手に勘ぐっては失礼だ。

「……」

 でも、十食もの弁当を注文してくれたのだ。たとえば、サービスとして、スープくらいつけても、いいかもしれない。ただ、十食分となるとかなりの量になるから、液体は持ち運びが厳しいな。

 フリーズドライのスープなら、簡単に運んでお湯で戻せるけど、現地の厨房は使わないと言ってしまったし、何よりまだ異世界の技術レベルが分からない以上、いきなりフリーズドライのような高度な技術は持ち込みたくない。

 じゃあ……たとえば、お試しで、少しだけ。もしよかったらマリーにどうぞ、と言うのはどうか。向こうだって、おまけをもらって怒りはしないだろう。

 スマホで『風邪 スープ 簡単』と検索し、レシピサイトで高評価の生姜スープを見つけた。鶏がらスープに、ほうれん草、解き卵……生姜チューブ。生姜の味が異世界の人に受け入れられるか不明だが、少しだけ入れてみよう。

 一通りの買い物を終え、いつものエコバッグと、一枚三円のレジ袋(大)を古アパートに持ち帰った。荷物はいつもの倍重かったが、不思議と心は軽やかだった。

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