002_王太子殿下とありんこ

 ここ、アルフォート王国で、王太子殿下と関係してしまった女性がいたとしよう。

 いたとしよう、とか、なにを悠長なことを言い出したんだ、と呆れているかもしれないケド、ちょっと聞いて。

 私の今の状況を正確に伝えるために、まずは一般的な知識として把握しておいて欲しい。


 ええと、王太子殿下と関係を持った女性の運命は、大まかに分けて4ルート。そこには天国と地獄、両極端の結末を孕んでいる。


 まずは、王太子妃ルート。

 王太子がその女性を結婚相手に選んで正式な妃とする場合。

 こんなものを期待するヤツの頭は、砂糖のハチミツ漬け~ホイップクリームを添えて~ってくらい甘いと思うけども、可能性はゼロじゃない。

 王太子妃の座は政治的な利用価値が高い。外交のために他国の王族を迎え入れることもあれば、臣下の有力貴族との結びつきを強化するためにも使われる。この王太子も確かどっかのだれかと婚約していたはず。

 それを反故にして、その女性を選ぶ……期待するヤツと同じくらい王太子の頭も甘くないといけない。


 二つめは、寵姫ルート。

 王太子の愛人ね。

 公にか内密にか、王太子が女性を手元に置くよう手配した場合。

 王太子の寵愛だよりではあるけど、権力も得られる。政争や王家の相続問題にも巻き込まれるが、残る二つよりはずっとマシだ。

 私に女性的な魅力があれば、夢ではないのかも知れない。

 ……だが、あいにく、私にそんな魅力は無い。

 私は自分の、おなか、と呼ぶよりハラ、と呼んだ方がしっくりくる体型を思う。王太子のお相手なんて、夢にも思ったことがない。酔った上での一夜の過ちでしかないのだろう。……記憶無いけど。


 三つめ。秘密処理ルート。

 王太子の醜聞を嫌って、内密に処理する場合。

 これは処理方法が問題だ。

 遠方に嫁がされたり、修道院送りにされたりする。これはまだ良い。全然良い。

 病死や事故死を装った処理。つまり女性は暗殺されることになる。私としてはまっぴらゴメンだが、実は最後のルートに比べると、これはまだマシなのよ……


 四つめが、一番マズイ。まさに破滅ルート。

 王家の政治的な立場を守るため、全ての責任が女性に押しつけられた場合。

 その女性は、国家を危うくした悪女として断罪される。終身刑ならマシ。見せしめに処刑されてもおかしくない。

 女性の家には多額の賠償金が請求されて、さらに爵位や領地の没収もあり得る。

 私の生家、シルベーヌ男爵家など、没落待ったなしって感じだ。


 ……だから、私は、第五の道を行こう。


********


「……ありんこ?」


 王太子は首をかしげた。

 これ以上ない、というくらい可愛げを最大化する角度だ。


「はい。ありんこです。

 だから昨日もなにも起こってませんし、今もなにも見ていません」


 第五の道……このまま二人で無かったことにして忘れようぜ、の道だ。

 これが出来れば、一番、穏便に収まるはず……


「今……」


 王太子は、今やっと自分が裸だと気がついたようだ。


「あンっ……」


 色っぽい声を出して、シーツで体を隠した。


「ちょっ……!」


 バカ、引っ張るな、こっちの布地が減るだろうが。

 私は必死にシーツを取り戻した。


「あっ……す、すまぬ!」


 王太子は顔を真っ赤にして顔を逸らした。

 顔がいい。ズルイ。なにしても絵になる。


「よ、余はその、なにも見ておらぬ……!」


 目を閉じて、さらに顔を守るように両手を広げた。

 私の裸体にそこまでの破壊力は無いと思うが。


 王太子はベッドの上で後ずさり、ベッドの端から落下した。

 そして、手近な布ーー色合い的に、多分、私のドレスーーを腰に巻き付けながら立ち上がった。


 ……? 昨日、……ったわりにはウブな反応だな……

 ……ひょっとして、王太子もなにも覚えてない……?


 と、その時。

 扉がノックされる音が響く。

 そして、返事も待たずに開け放たれる扉。


「殿下、お目覚めでーー」


 侍女は驚愕のあまり、あんぐりと口を開けて凍りついた。

 見た。見られた。

 裸で立つ王太子と、ベッドでシーツ一枚の私。


「違うんです!!!」

「誤解だ!!!」


 息ぴったりの否定は、余計にそういう雰囲気を醸しだす。


「あの、だれか……だれか!」


 パニックに陥った侍女は人を呼んだ。

 ダメだ、無かったことにルートは閉ざされた。


 私は侍女の脇をすり抜け、部屋を飛び出した。


********


 早朝の王宮を走る、走る。

 シーツ1枚。全力疾走。

 しかもシーツは主に顔を隠すことに使っている。

 乙女の私は死んだ。なんとか、一族郎党だけは生かしたい。


 曲がり角を曲がるたびに、召使いや侍女がフリーズする。

 食器を載せたワゴンをぶったおしながら、どうか見なかったことにしてくれないか、願う。いや無理。


 階段を駆け下り、廊下を抜けて、ダンスホールを突っ切ったとき。

 不意に、手首を掴まれる。


「のっぎゃゃあああああぁあぁぁ!」


 驚きが悲鳴になって、口から飛び出していく。


「お嬢様! こちらです!」


 クレア!

 クレアは私の侍女だ。私は喜びと安堵で涙が出そうになった。


「よく、私って分かったわね!?」


「見覚えのある、ぽっこりお腹でしたので!」


 涙は引っ込んだ。


 クレアは私の手を引いて、召使いしか使わない食事を運ぶ通路を走った。


「クレア、これはね、違うの! 私は悪くなくて!」


 足を止めることなく、私は叫んだ。


「あとで聞きます!」


 私の手首が、ぎゅうっと引き絞られた。


「たあああっぷり! 聞きます!」


 怖えぇ。


 厨房を抜けて、裏口にたどり着いた私たち。

 だが、その前に近衛兵が立ち塞がる。


「待て! なんだお前らは!?」


 当然の疑問!


「急患! 急患です! 通して!」


「ダメだ! どこのだれか、身分を……」


「寄るな! 感染るぞ!」


「そっ……そうよ! たたなくなっても知らないからね!」


 私の言葉に、近衛兵が思わず身を引いた。

 その隙を突いて裏口を飛び出した私たちは、そのままシルベーヌ家の馬車に飛び乗った。




【後書き】


これは、アリシアの恋の物語です。

半裸で王宮を駆け抜けていきましたが、恋の物語です。

だれがなんと言おうと、恋の物語です。


次回は、アリシアがクレアに絞られます。


多分、恋の物語です。



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