第7話
呆然と立ち尽くしていた私に、低く落ち着いた声が届いた。
「阿玖陽、どうした?下校時間過ぎてるぞ。」
振り返ると、菜瀬田先生がいた。
体育館のドアから差し込む夕陽が、先生の顔を赤く染めている。
「……あ、いえ。ちょっと疲れただけです。すみません、すぐに帰ります。」
笑顔を貼り付ける。でも、声が震えていた。
先生は私の腕を握り、離そうとはしない。
ある一種のハラスメントかと心構えしたがそんなことなかった。
「無理するなよ。副部長って、思ってる以上に大変だろ。」
「……はい、そうですね。」
その一言で、胸の奥が少しだけ緩んだ。
本音を誰かに打ち明けたのが久しぶりだったせいか、自然と涙が溢れそうになったが、ここで泣くと逆に心配されてしまう、ここは落ち着いて。
「何かあったら、俺に言え。お前はよくやってるぞ、まだ2年生だっていうのにさ。」
その言葉が、心に深く刺さった。
「……ありがとうございます。」
私は小さく頭を下げた。
すると視界の隅になにかケラケラ笑う影が入った。
うーん、きっと気のせいだ。うん。
菜瀬田先生。この人だけは、信じられる。そう思った。
下校途中、スマホが震えた。
通知の数が、異常だった。
【流羽:今日も世界で一番かっこよかったです!】
【流羽:私、先輩のためなら何でもできます!】
【流羽:誰にも先輩を渡しませんからね】
【流羽:本当に寝ちゃったんですね、寂しいです】
【流羽:絶対に夢で会いましょうね】
【流羽:私たちは結ばれるべきなんです!】
……もう、見たくない。
スマホを伏せて、深呼吸した。
「見たら壊れる気がする」
そう呟いて、布団に潜り込んだ。
目を閉じると、カフェでの笑顔が浮かんだ。
「独り占めしたいです」
その声が、耳の奥で響いていた。
そして、その夜も、思うように寝付くことができなかった。
翌日の体育館。
空気が、昨日より重かった。
体育館の奥の隅の方で三年生が私のことをまじまじと見ている。
正直なところ、気色が悪い。
そんなことは気にせず、練習メニューを確認していると、
「阿玖陽、ちょっといい?」
振り返ると、三年生の先輩が立っていた。
なーんか、笑ってるんですけど。でも、目は笑ってない。
まぁ私からしたら三年生なんてアリ以下なのでなんともないんですけどね。
「昨日さ、お前下校時刻過ぎてたのに体育館裏で菜瀬田といたよね?」
「え……?」
「いやー、なんかさぁ、あれってどういうこと?先生と二人きりで残ってたんでしょ?副部長ってそういう特権あるんだ?すごいねー、羨ましいわー。ほんと。」
「え?違いますけど!」
抵抗するのに必死な私。
その反応が予想外だったのだろうか、三年生たちは周りにバレると思ったのだろうか、面白がるように私の耳元でずらずらと長文を喋りやがる。
うざいし普通に無理だし。
「証拠あるけどいる?」
「だから違いますって!」
「そんなに必死ってことは特権は事実ってことでいい?今なら体育館の全員に聞こえる大きな声で叫ぶこともできるよ?」
完全に三年生のペースに呑まれた。こんな時に菜瀬田先生や真希音先輩が来てくれれば…という淡い希望を抱きながらもズタズタのボロボロになっていくメンタルを抱えるので必死だった。
「で、何してたの?練習?それとも……体育館裏で枕営業?あ、違うか、先生に媚び売ってた?それとも、あーもしかして、そういう関係?ねえ、どっち?正直に言ってよ、私たちに隠すことじゃないでしょ?だって、最近やけに先生に気に入られてるよね?副部長って便利だねー、そういう意味でもさぁ?」
言葉が、喉に貼り付いた。
思うような声が出ない。
笑い声が消えて、視線が冷たくなる。
「……違います」
声が震えた。
「メソメソすんじゃねぇよ!」
三年生が怒鳴る。体育館の空気は凍りつく。
自然と涙が溢れる。
「泣くなら菜瀬田にバレないようにトイレで泣いてこいよ。そういう関係途切れちゃうでしょ?」
ひどい。なんて酷なんだ。
副部長がこんなにも泣いていても。
ボコボコにされていても。
でも、誰も助けてくれなかった。
あの、流羽でさえも。
その瞬間、私は悟った。
きっと、ここからが――地獄の始まりだ。
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