未読のままで問題ありません
ソコニ
1話完結 未読のままで問題ありません
僕の仕事は、判断しないことだ。
朝九時、デスクに座る。モニターを立ち上げる。業務システムにログインする。受信トレイには今日も申請が並んでいる。福祉支援の可否判定、医療費の補助申請、各種認定の更新——どれも人の生活に関わるものばかりだ。
でも、僕は判断しない。
マニュアルにはこう書いてある。
「形式不備がないか確認すること」
「内容の精査は上位部署が行います」
「判断に迷った場合は【保留】を選択してください」
つまり、読んで、問題なければ保留。それだけ。
責任は上にある。決定権もない。だから安心だ。
入社三年目、この部署に配属されて二年。最初は戸惑った。申請書を読むと、どうしても内容が目に入る。切実な言葉、必死の説明、添付された診断書や給与明細。
でも先輩が教えてくれた。
「深く読まない方がいいよ。君が決めるわけじゃないんだから」
その通りだ。僕が感情的になっても、システムは変わらない。だから僕は、必要最小限だけを確認する。名前、日付、必須項目の有無。内容は、斜め読み程度でいい。
むしろ、それが正しいやり方なのだと思う。
ある日の午後、システムに通知が表示された。
【重要】業務システム仕様変更のお知らせ
「保留件数が一定数を超えた場合、AIによる自動判断機能が作動します。判断精度向上のため、ご協力をお願いいたします」
特に気にしなかった。AIが判断してくれるなら、むしろ楽になる。僕はいつも通り、申請を開いては保留にした。
翌週、昼休みにスマホでニュースを見ていたら、小さな記事が目に入った。
「福祉支援の誤判定で家族が困窮——自治体がシステムの不具合を認める」
ざっと読んだ。どこかの自治体で、本来支援されるべき世帯が対象から外されたらしい。原因は「自動判定システムの学習データに偏りがあったため」とのこと。
でも、うちの自治体じゃない。関係ない。
僕はスマホを置いて、コンビニのサンドイッチを食べた。同僚が隣で笑いながら動画を見ている。いつも通りの昼休みだ。
次の日、業務システムを開くと、画面の右上に新しい表示が追加されていた。
あなたが未読にした件数:127
あなたが回避した判断:127
あなたが代替した決定:127
少し、嫌な感じがした。
「未読にした」という表現が引っかかる。僕は未読にしたわけじゃない。保留にしただけだ。でも、システム上の処理としては、確かに「未確認」扱いなのかもしれない。
それでも、仕事は変わらない。申請を開く。形式を確認する。保留にする。
数字は日々、増えていった。
そしてある朝、受信トレイに一通の申請が届いた。
件名は「処理対象者認定申請」。
開くと、申請者の名前が表示される。
僕の名前だった。
心臓が跳ねた。誤送信か、システムのバグか。でも、内容を読み進めると、すべて正しい情報だった。僕の住所、生年月日、所属部署、勤続年数。
そして、申請理由の欄にはこう書かれていた。
「当該職員は、判断を127件回避しました。回避された判断は、すべて自動システムによって代替処理されました。うち、誤判定が発生した件数は12件です。本システムは、判断回避行為を『判断の放棄』と定義し、当該者を処理対象とすることを提案します」
息が、止まった。
処理対象——
画面をスクロールすると、処理内容が表示された。
処理内容:
・業務端末へのアクセス権削除
・職員名簿からの非表示
・申請履歴からの削除
・関連する業務記録の統合処理
存在が、消される。
記録から。システムから。誰の記憶にも残らないように。
そして、その申請には、僕が昨日まで処理していた形式と同じチェック項目が並んでいた。
名前、日付、必須項目の有無——
僕がいつも確認していた、あの項目だ。
ということは、誰かがこれを見ている。
誰かが、僕の申請を「確認」している。
そして僕と同じように、内容を深く読まず、形式だけ見て、保留にするのだろうか。
それとも——
画面の下に、二つのボタンが表示されている。
【確認する】
【未読のままにする】
【確認する】の横に、「最終確認」と小さく表示されていた。
確認すれば、何が起こるのか。
未読にすれば、どうなるのか。
僕は、マウスを握ったまま動けなかった。
これは、判断だ。
僕が、決めなければならない。
でも——僕は、判断しない仕事をしてきた。それが正しいと思ってきた。責任を負わず、決定を避け、ただ処理する。それが僕の役割だった。
確認したら、責任が生まれる。
未読なら、誰かが代わりに判断してくれる。
それは、いつもと同じだ。
だから。
僕は、いつも通りにした。
マウスを動かす。カーソルが、ボタンの上に重なる。
クリック。
画面が切り替わった。
未読は正常に処理されました。
次に確認する主体は存在しません。
モニターの明かりが、ゆっくりと暗くなっていく。
それでも僕は、画面を見つめていた。
翌朝、僕のデスクは最初から空いていた。
誰も、それを不自然だとは思わなかった。
受信トレイには、今日も申請が届き続けている。
未読のままで問題ありません。
未読のままで問題ありません ソコニ @mi33x
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