第6話:我が家がダンジョンになっていた件について

高級な車に揺られながら、俺は窓の外を眺めていた。 銀座のきらびやかな街並みを抜け、車は新宿のさらに奥、俺が二十年前に住んでいたアパートがあるはずの場所へと向かう。


「楽しみだな。ボロいアパートだったけど、俺にとっては唯一の城だったんだ」


俺がしみじみと言うと、ハンドルを握るエレナがどこか言いにくそうな顔をした。


「……佐藤さん。心の準備はできていますか? 二十年という歳月は、単に時間が過ぎただけではないのです」


「分かってるよ。建物が建て替えられてたり、別の誰かが住んでたりするんだろ? まぁ、その時はその時だ。近所の公園で野宿でもするさ。ダンジョンに比べりゃ、公園なんて天国みたいなもんだしな」


「そういうレベルの話ではないのですが……。あ、見えてきましたよ。あれが、現在の新宿三丁目……通称、新宿ゲートエリアです」


エレナが指差した先を見て、俺は思わず身を乗り出した。 そこには、俺が知っている住宅街の面影なんて微塵もなかった。


巨大な、あまりにも巨大な漆黒の塔が、天を突くようにそびえ立っている。 その周囲は何重もの高電圧のフェンスと、武装した兵士たちが守る検問所で囲まれていた。 空には偵察用のドローンが飛び交い、重々しい雰囲気が漂っている。


「なんだありゃ。新しい都庁か? 随分と趣味の悪いデザインだな」


「違います。あれが世界に数か所しかない特級ダンジョン、新宿ゲートですよ。二十年前、この場所を中心に大規模な地殻変動が起き、巨大な縦穴が開いたんです。あなたの住んでいたアパートは……その、穴のちょうど真上だったと言われています」


車が検問所で止まる。 エレナがギルドのライセンスを提示すると、兵士たちは驚いた顔で敬礼し、ゲートを開けた。


車を降りると、そこには不気味なほどの静寂と、濃密な魔力の匂いが立ち込めていた。 この匂いには聞き覚えがある。 ダンジョンの深層、魔王たちが蠢くあの場所と同じ、焦げ付くような空気の味だ。


「ここが、俺の家があった場所か……」


俺は兵士たちの制止を無視して、巨大な塔の入り口……いや、奈落へと続く大穴の縁に立った。 エレナが慌てて追いかけてくる。


「佐藤さん! そこから先は未帰還区域です! 許可なく立ち入れば、いかにあなたでも……!」


「いいんだよ。ちょっと様子を見てくるだけだ」


俺は穴の中へと飛び込んだ。


「ええっ!? ちょっと!」


背後でエレナの悲鳴が聞こえたが、俺は構わず落下する。 高さにして数百メートルはあるだろうが、俺にとっては階段を一段降りるのと大差ない。 着地の寸前、足首のバネを使って衝撃を逃がし、俺は音もなく地面……いや、ダンジョンの第一階層へと降り立った。


そこは、不気味な青白い光に照らされた石造りの回廊だった。 壁には太い蔦のようなものが這い、奥からは獣の唸り声が聞こえてくる。 だが、俺は確信した。


「……間違いない。ここだ」


足元のタイル、その端っこに、俺が二十年前にこぼしたカップラーメンの汁の跡……によく似たシミがある。 いや、さすがにそれは気のせいだろうが、方位磁石も使わずにわかる。 俺の部屋は、ちょうどこの真上、あるいはこの空間の座標のどこかに存在していたはずだ。


「グルルルル……」


暗闇から、三つの頭を持つ巨大な犬――ケルベロスとかいうやつが姿を現した。 体長は五メートルを超え、口からは腐食性の毒液を垂らしている。 現代の探索者が数パーティでかかっても苦戦するような、高ランクの番犬だ。


「おい、そこのワン公。人の家に勝手に上がり込んで、行儀が悪いぞ」


俺はポケットに手を入れたまま、のっそりと近づいた。 ケルベロスは俺の姿を認識すると、三つの口を同時に開いて飛びかかってきた。 その動きは鋭く、獲物を確実に仕留めるための殺意に満ちている。


だが、俺にとっては、スローモーションで飛んでくるハエと変わらない。


「しっ」


俺は右手を軽く振り抜いた。 拳を作るまでもない。ただの裏拳、いや、ハエを追い払うような手振りに過ぎない。


ドォォォォンッ!


衝撃波が回廊を駆け抜け、ケルベロスの巨体は一瞬で霧散した。 壁にぶつかった破片すら残らず、ただの塵となって消えていく。


「全く。不法侵入者はどいつもこいつも元気だな」


俺はケルベロスがいた場所を通り過ぎ、さらに奥へと進んだ。 そこには、かつてのアパートの間取りを奇妙に歪めたような空間が広がっていた。 おそらくダンジョンの魔力によって、俺の記憶が形作られたのだろう。


ボロボロのちゃぶ台。 壊れかけたブラウン管テレビ。 そして、二十年前のまま、時間が止まったような俺の布団。


「……あった。俺の、部屋だ」


その部屋の隅には、一体の禍々しい鎧武者が座っていた。 全身から黒いオーラを放ち、手には巨大な斬馬刀を握っている。 この階層の主、フロアボスというやつだろう。


鎧武者はゆっくりと立ち上がり、俺に向けて刀を構えた。 その威圧感は凄まじく、普通の人間なら対峙しただけで精神が崩壊するレベルだ。 だが、俺は溜息をついて言った。


「おい。そこ、俺が寝る場所なんだよ。どいてくれよ、おっさん」


鎧武者が咆哮を上げ、一閃を放つ。 空気を切り裂き、空間そのものを断つような一撃。 俺はそれを、左手の二本指でひょいと受け止めた。


「な……っ!?」


鎧の奥で、魔物の驚愕した気配が伝わってくる。 俺はそのまま指に力を込め、鋼鉄の刀を飴細工のようにへし折った。


「いいか、よく聞け。ここは俺の家だ。家賃も払わずに居座る奴は、俺が許さない」


俺は一歩踏み込み、鎧武者の胸板に掌を当てた。 浸透勁。 二十年間、硬い魔物の殻を内側から破壊するために磨き上げた、俺なりの「掃除」の仕方だ。


パァン、と小さな乾いた音がした。


次の瞬間、鎧武者の巨体は内側から爆ぜ、黒い霧となって消え失せた。 後には、床に転がった豪華な宝箱と、俺の古い布団だけが残った。


「ふぅ……。ようやく片付いたな」


俺はボロボロの布団に腰を下ろした。 カビ臭いが、どこか懐かしい匂いがする。 天井を見上げれば、そこにはダンジョンの不気味な岩肌が広がっているが、俺にとってはここが一番落ち着く場所だ。


「佐藤さん! 佐藤さん! 生きてますかー!」


大穴の上から、エレナの必死な叫び声が聞こえてくる。 俺は立ち上がり、思い切り声を張り上げた。


「おーい! 無事だぞ! ついでに部屋の掃除も終わったから、今から上がる!」


俺は足元に落ちていた宝箱を小脇に抱えると、壁を蹴って垂直に跳躍した。 数百メートルの高さを、ただの跳躍数回で登り切る。


ゲートの縁に飛び乗ると、そこには腰を抜かしたエレナと、銃を構えた兵士たちが立ち尽くしていた。


「お待たせ。いやぁ、ちょっと不法侵入者がいたけど、追い出しといたよ」


俺が笑って宝箱を地面に置くと、エレナは信じられないものを見る目で俺と大穴を交互に見た。


「……追い出したって、あなた。あの第一階層の主、デス・ナイトを一人で? しかも、その宝箱……特級のドロップアイテムじゃないですか!」


「え? これか。なんか邪魔だったから持ってきた。お嬢ちゃんにあげるよ、牛丼のお礼だ」


俺が軽い調子で言うと、エレナはついに頭を抱えて座り込んでしまった。 どうやら、自分の家に帰るだけでも、この世界では一苦労らしい。


「佐藤さん……もう、勝手にしてください。でも一つだけ言わせてください」


「なんだ?」


「あなたの『家』は、今や世界で一番攻略が困難な、SSランク指定の魔窟なんです。そこに住むなんて、正気の沙汰じゃありません!」


「いいじゃないか。静かで、広くて、家賃もタダだ。こんなにいい物件、他にはないぞ」


俺は誇らしげに胸を張った。 二十年ぶりの我が家。 多少の間取りの変更(ダンジョン化)はあるが、俺の新しい地上生活は、ここから始まることになりそうだ。




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あとがき

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