第5話:おっさん、文明の鎧(スーツ)を纏う。

ギルドを後にした俺たちは、エレナの運転する車で銀座へと向かった。

窓の外を流れる景色は、どれもこれも眩しすぎる。

二十年前はもっと煤けた街並みだった気がするんだが、今の日本はどこか魔法的というか、浮世離れした清潔感がある。


「佐藤さん、まずはその格好をなんとかします。いくらなんでも、魔物の皮を剥いだ服で銀座を歩かせるわけにはいきません」


「そうか? これ、断熱性も通気性も最高なんだがな。深層の溶岩地帯でも汗ひとつかかなかったし」


「そういう機能性の問題ではありません。……着きましたよ。ここは探索者御用達の高級ブティックです」


案内されたのは、美術館かと見紛うような小洒落た店だった。

入り口には黒服の男が立ち、俺の姿を見て一瞬眉をひそめたが、隣にいるエレナの顔を見て、即座に最敬礼をした。


「エレナ様、いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件で?」


「この方に、最高級の服を一式用意して。サイズは……そうね、見た目以上に体格がいいから、特注になるかしら」


店の中に踏み入ると、香水のいい匂いが鼻をくすぐる。

俺は居心地が悪くて、ついキョロキョロしてしまった。


「佐藤さん、こちらへ。まずは採寸です。その……上の服を脱いでいただけますか?」


女性店員がメジャーを持って近づいてくる。

俺は言われた通り、二十年間愛用してきた「奈落の黒龍」のベストを脱ぎ捨てた。


その瞬間、店内の空気が凍りついた。


「……っ!? な、何ですか、その体……」


店員が息を呑み、手に持っていたメジャーを落とした。

エレナも、まじまじと俺の体を見て絶句している。


鏡に映った俺の体は、自分で言うのもなんだが、かなり仕上がっていた。

無駄な脂肪は一切なく、鋼のように硬く引き締まった筋肉が全身を覆っている。

そして何より、二十年間の死闘を物語る無数の傷跡。

首筋から脇腹にかけて走る巨大な裂傷の痕や、魔王の呪いを受けた際に刻まれた奇妙な紋様が、皮膚の上で鈍く光っているように見えた。


「おいおい、そんなに見るなよ。恥ずかしいじゃないか。ちょっと、野良犬に噛まれたり転んだりした跡があるだけだ」


「……野良犬に噛まれて、こんな深い抉れ方がするわけないでしょう! 佐藤さん、あなた、本当にどんな生活をしていたんですか……?」


エレナが震える指先で、俺の胸元の傷に触れようとした。

だが、その指が触れる直前、俺の体が無意識に反応し、筋肉が岩のように硬くなる。

それだけで「ゴツッ」と鈍い音がして、エレナの指が弾き返された。


「あ、すまん。つい癖でな。攻撃だと思っちゃったよ」


「……触ろうとしただけでこれですか。鉄板を叩いているみたいだわ」


店員たちは顔を青くしながら、それでもプロの意地で採寸を始めた。

「腕周りが規格外です」「胸筋が厚すぎて、既存の型紙では合いません」と悲鳴のような声を上げている。


数時間後。

ようやく仕上がったのは、魔法銀(ミスリル)の繊維を織り込んだという特注の黒いスーツだった。


「ほう……。なんだか、映画の主役になった気分だな」


鏡の中には、見違えるようなおっさんが立っていた。

伸び放題だった髭と髪は、店に併設されたサロンで綺麗に整えてもらった。

短く刈り込んだ髪に、少し白髪の混じった整った髭。

ボロボロの原始人スタイルから、渋みのある「紳士」へと変貌を遂げていた。


「……悔しいけれど、似合っていますね。とても、さっきまで牛丼をかき込んでいた人とは思えません」


エレナが少し頬を赤くして、そっぽを向いた。

どうやら、お嬢ちゃんの目にも合格点だったらしい。


「さて、次はこれです」


エレナが差し出してきたのは、一枚のカードだった。

金色の縁取りがされた、黒いクリスタル製のカード。

そこには俺の顔写真と、名前、そして信じられない文字が刻まれていた。


「……探索者ライセンス? ランクが『測定不能』になってるぞ。不合格か?」


「いえ。現在の測定器ではあなたの数値を測りきれないため、暫定的に用意された特殊ランクです。ギルド総本部の理事会が、超法規的措置として発行を認めました」


カードを手に取ると、ズシリと重い。

どうやら、これで俺も正式にこの世界の住人として認められたということらしい。


「これがあれば、どこでも好きなものが買えるし、制限区域にも入れます。……もちろん、あなたがその気になれば、国の一つや二つ、簡単に動かせる権利ですよ」


「そんなもんいらんよ。俺はただ、のんびりテレビが見たいだけなんだ」


俺がカードをポケットに突っ込むと、エレナは可笑しそうに笑った。


「そう言うと思っていました。……では、次に行きましょうか。佐藤さんの『住まい』を用意してあります。二十年前、あなたが住んでいた場所の近くですよ」


「……! 本当か? あそこ、まだ残ってるのか?」


俺の胸が、少しだけ高鳴った。

二十年前、仕事帰りにコンビニの袋を下げて帰っていた、あの小さなアパート。

家族も友人も、もういないかもしれない。

それでも、俺が「人間」だった場所に戻れるという事実は、魔王を倒したときよりもずっと嬉しかった。


車が再び動き出す。

日が暮れ始め、街にはネオンの光が灯り始めた。

おっさんの第二の人生。

波乱の予感しかしないが、まぁ、このスーツの着心地は悪くない。


「よし。帰るか、俺の家に」


俺は独り言のように呟き、流れる夜景に目を細めた。

だが、その時の俺はまだ知らなかった。

俺の帰還を察知した、現代の「魔王」たちが動き出していることを。


そして、俺の住むはずの場所が、今や「世界最大のダンジョンの入り口」になっていることも。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

あとがき

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