第4話:Sランクの「全力」は、おっさんの「あくび」より軽い

「……てめぇ、今、何をした?」


キョウヤと呼ばれた赤鎧の男が、信じられないものを見たという顔で固まっていた。

俺としては、ただ寄ってきた手を邪魔だから横にどかしただけなんだが。


「何って、危ないから手をどけただけだぞ。最近の若者は距離感が近すぎて困るな」


俺が苦笑いしながら言うと、キョウヤの額に青筋が浮かんだ。

どうやらプライドを刺激しちまったらしい。

ダンジョンの魔物だって、手を払われたくらいでこんなに怒りはしなかったぞ。


「ふざけるな! この俺はSランク探索者だぞ! 国内に数人しかいない、生ける伝説の一人なんだよ!」


「伝説かぁ。すごいんだな。俺の頃の伝説といえば、近所の公園で毎日素振りを百回してた頑固なじいさんくらいだったが」


「バカにしていやがるな……! おい、その汚いツラ、二度と笑えないようにしてやる!」


キョウヤが背中の大剣を抜き放った。

刀身がボッと赤い炎に包まれる。

どうやら魔法剣というやつらしい。

見た目は派手だが、魔力の流れがガタガタだ。

あんな風に魔力を漏らしていたら、ダンジョンの最深部じゃ三分と持たずに干からびちまうぞ。


「キョウヤ、やめなさい! ギルド内での私闘は禁止されているわ!」


エレナが制止しようとするが、キョウヤは完全に頭に血が上っている。


「うるせぇ聖女! こいつは不法侵入の不審者だ! 探索者のプライドにかけて、叩き出してやる!」


キョウヤが地面を蹴った。

炎を纏った大剣が、猛烈な勢いで俺の首筋を狙って振り下ろされる。

周囲の研究員たちが「ひっ」と短い悲鳴を上げた。


……遅い。


あまりにも遅すぎる。

ダンジョンの深層で、視認することすら不可能な速さで突っ込んでくる影狼(シャドウウルフ)に比べれば、止まって見えるほどだ。

俺はあくびを噛み殺しながら、半歩だけ横に動いて剣筋をかわした。


「なっ……!?」


空振りした大剣が、床のタイルを粉々に砕く。

キョウヤは目を見開いて、無理やり剣を横に薙ぎ払った。

俺はそれを、ひょいとジャンプして避ける。


「おいおい、お兄ちゃん。そんなに振り回すと、せっかくの綺麗な鎧が汚れちゃうぞ」


「チョコマカと逃げ回りやがって! これならどうだ! 奥義――紅蓮裂破斬!」


キョウヤが絶叫すると、大剣から巨大な火柱が噴き出し、俺を包み込もうとした。

なるほど。

確かに威力だけは一人前だ。

直撃すれば、牛丼屋の店舗が丸ごと消し飛ぶくらいの熱量はありそうだな。


だが、俺にとっては、冬場の焚き火より少し熱いくらいの温度でしかない。


「ほいよっと」


俺は立ち込める炎の中に手を突っ込み、その火柱の「核」となっている魔力の流れを、指先でピンと弾いた。

これは二十年のサバイバルで身につけた、魔力散らしという技術だ。

要は、風船の結び目を解くようなもんである。


シュウゥゥ……。


勢いよく燃え盛っていた火柱が、一瞬で霧散した。

後には、ただ呆然と立ち尽くすキョウヤと、火の粉一つ付いていない俺が残った。


「そ、そんなバカな……。俺の奥義を、手で……? 魔法もスキルも使わずに、ただの平手で消したのか……?」


「いや、ちょっと火加減が強すぎると思ってな。料理でも戦いでも、火力の使いすぎは禁物だぞ」


俺は一歩、キョウヤに近づいた。

キョウヤは腰を抜かしたように後ずさり、尻もちをつく。


「ひ、ひぃっ……! 来るな! 化け物め!」


「化け物とは失礼な。俺はただのおっさんだって言ってるだろ。……まぁ、少しだけお返しだ」


俺は指先を丸め、キョウヤの額に向かって、軽くデコピンを放った。

二十年前の俺なら、ただの悪ふざけで済んだはずの動作。

だが、今の俺のデコピンは、岩石を粉砕し、城門を貫く威力を持っている。


「っぺし」


パァンッ!!


乾いた音が響き、キョウヤの体が砲弾のような速さで吹き飛んだ。

彼は部屋の壁を突き破り、さらにもう一枚の壁を貫通して、廊下の向こう側にある自動販売機に突っ込んでようやく止まった。


「……あ。しまった。つい力んじゃったな」


俺は自分の指を見て反省した。

どうも地上の「物」が柔らかすぎて、加減が難しい。


「……キ、キョウヤさんが……Sランク探索者が、デコピン一発で……」


エレナが、膝から崩れ落ちる。

彼女の隣で、一部始終を見ていたギルド職員たちも、まるで幽霊でも見たかのような顔で固まっていた。


「おい、お嬢ちゃん。あのお兄ちゃん、生きてるか?」


「……え、ええ。たぶん、死んではいないと思いますけど……探索者としての自信は、木っ端微塵に砕け散ったでしょうね……」


エレナは焦点の定まらない目で、壁に開いた大きな穴を見つめていた。


「それは悪いことをしたな。後で謝っておいてくれ。……それより、測定はこれで終わりか? そろそろ風呂に入りたいんだが」


俺が言うと、エレナはのろのろと立ち上がり、どこか諦めたような笑顔を浮かべた。


「……分かりました。佐藤さん。あなたの実力は、もう十分に証明されました。いえ、証明しすぎてギルドの予算が半分くらい吹き飛んだ気がします」


「そんなにか。現代の機械ってのは金がかかるんだな」


「そういうレベルではありません……。さあ、行きましょう。まずはあなたの身分証の発行、そして……その原始人みたいな格好をなんとかするのが先決です」


エレナに手を引かれ、俺は破壊された測定室を後にした。

どうやら、ただの迷子として静かに暮らすという俺の計画は、初日から大きく狂い始めているようだ。


でも、まぁ。

二十年も一人でいたんだ。

たまには、これくらい騒がしいのも悪くないかもしれないな。


俺はエレナの後ろを歩きながら、まだ見ぬ現代の「風呂」という文明の利器に、思いを馳せていた。




 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

あとがき

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