一月十日【紫羅欄花】
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花言葉は「永遠の美」「愛情の絆」「豊かな愛」
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京から外れた山路の途中に、人知れず佇む小さな寺があった。
その裏手の斜面には、毎年春になると紫羅欄花が咲く。
薄紫の花弁は主張せず、ただ季節が巡るたび、同じ場所に、同じ姿で戻ってくる。
お紺がこの寺に来たのは十になる前だった。身寄りを失い、世話になりながら、いつしか花の世話だけが彼女の役目になった。
水をやり、枯れた葉を取り、誰にも気づかれぬよう咲く花に話しかける。
「今年も咲いたね」
ある春、縁側に見慣れぬ男が座っていた。
新之助と名乗る浪士は、脱藩の咎で追われ、深い傷を負ってこの寺に辿り着いたという。
刀は預けられ、行き先もなく、ただ身を潜めていた。
お紺は多くを尋ねなかった。
時代が荒れていることを、彼女なりに知っていたからだ。代わりに、紫羅欄花のことだけを話した。
「この花は、何があっても咲くんです。嵐の年でも、飢えた年でも」
新之助は花を見つめ、苦く笑った。
「人はそうはいかないな」
それでも、彼は毎日その場所を訪れた。
花を前にすると、剣を握ってきた日々が遠のくようだった。
お紺にとっても、その沈黙は不思議と温かかった。
別れは突然だった。
追手が近いと知れた夜、新之助は静かに支度をした。
「生き延びられたら、必ず戻る」
その言葉に、お紺は頷くしかなかった。
引き止める術を、彼女は持たなかった。
紫羅欄花を一輪、手折って差し出すと、新之助はそれを懐にしまった。
それから何度、春が巡っただろう。
幕府は倒れ、町の名も、人の暮らしも変わった。
けれど寺の裏では、今年も紫羅欄花が咲いている。
戻らぬ人を待つと決めたわけではない。
ただ、お紺は花の世話をやめなかった。
変わらぬものを守ることで、失われた約束が、この世に確かに在ったと信じたかったのだ。
ある年、見知らぬ旅人が寺を訪れた。
「昔、この辺りで世話になった者がいたと聞いた」
その手には、色褪せた紫の押し花があった。
新之助の名を、お紺が口にすることはなかった。
けれど風に揺れる紫羅欄花は、何も変わらぬまま、静かに咲き続けていた。
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