【四】原初の巨人の解体から
世界の始まりに、巨大な存在がいた。
その存在は世界よりも古く、世界よりも大きかった。やがてその存在は殺され、遺体は解体された。肉は大地となり、骨は山となり、血は海となり、頭蓋は天空となった。
世界は、原初の巨人の死体から作られたのである。
これが「原初の巨人の解体から」という類型である。比較神話学では、この類型が印欧語族——インド、イラン、ギリシャ、ローマ、ケルト、ゲルマン、スラヴなど——に広く分布することが知られている。
◇ ◇ ◇
北欧神話のユミルは、この類型の最も明確な例である。
世界の始まりには、ニフルヘイム(氷の国)とムスペルヘイム(火の国)があった。二つの世界の間には、ギンヌンガガプ(裂け目)が広がっていた。
ニフルヘイムの氷とムスペルヘイムの炎が出会ったとき、氷が溶け、その滴からユミルが生まれた。ユミルは霜の巨人の祖であり、両性具有の存在だった。彼の脇の下から男女の巨人が生まれ、両足を擦り合わせると六つの頭を持つ巨人が生まれた。
同じ頃、溶けた氷からアウズンブラという雌牛が現れた。ユミルはアウズンブラの乳を飲んで育った。アウズンブラは塩辛い氷を舐め続け、やがて氷の中からブーリという神が現れた。
ブーリの子ボルは巨人の娘ベストラと結婚し、オーディン、ヴィリ、ヴェーの三兄弟を産んだ。
オーディン三兄弟は、ユミルを殺した。
『スノッリのエッダ』は、ユミルの遺体からの世界創造を詳細に記している。
肉は大地となった。血は海と湖となった。骨は山となり、歯と砕けた骨は岩と小石となった。頭蓋は天空となり、四人のドワーフ——北のノルズリ、東のアウストリ、南のスズリ、西のヴェストリ——が四隅で天を支えた。脳は雲となった。眉毛は人間界ミズガルズの境界となった。
ユミルの血があまりにも大量だったため、ほとんどの霜の巨人は溺れ死んだ。生き残ったのはベルゲルミルとその妻だけだった。
◇ ◇ ◇
北欧神話のユミル解体には、いくつかの特徴がある。
第一に、殺す側が「後の世代」であることだ。オーディン三兄弟は、ユミルの子孫ではないが、ユミルより後に生まれた存在である。原初の存在を殺して世界を作るのは、常に後から来た者たちなのである。
第二に、解体が「秩序の創造」であることだ。ユミルが生きている間、世界は混沌だった。彼の死体を素材として使うことで、天と地が分離し、方位が定まり、人間の住む世界が形成される。巨人の死は、秩序の誕生を意味する。
第三に、「人間界の境界」が眉毛から作られるという細部だ。ミズガルズ(中つ国、人間界)は、巨人の眉毛でできた壁によって外界から守られている。人間の世界は、巨人の体の一部に囲まれて存在しているのである。
◇ ◇ ◇
インド神話のプルシャは、巨人解体型のもう一つの重要な例である。
『リグ・ヴェーダ』の「プルシャ・スークタ」(原人讃歌)は、原人プルシャの供犠と解体を歌っている。
プルシャは千の頭、千の目、千の足を持つ巨大な存在だった。彼は大地を覆い、さらに十指の幅だけ大地を超えて広がっていた。プルシャこそが、過去・現在・未来のすべてであった。
神々はプルシャを供犠の犠牲として捧げた。春は溶かしバター、夏は薪、秋は供物となった。
解体されたプルシャの体から、世界のあらゆる要素が生まれた。
口からはバラモン(司祭階級)が生まれた。腕からはクシャトリヤ(王侯・戦士階級)が生まれた。腿からはヴァイシャ(庶民階級)が生まれた。足からはシュードラ(隷属民階級)が生まれた。
心からは月が生まれた。目からは太陽が生まれた。口からはインドラ(雷神)とアグニ(火神)が生まれた。息からは風が生まれた。臍からは大気が生まれた。頭からは天が生まれた。足からは大地が生まれた。耳からは方位が生まれた。
◇ ◇ ◇
プルシャ神話の最大の特徴は、カースト制度の起源神話として機能していることである。
バラモンは口から、クシャトリヤは腕から、ヴァイシャは腿から、シュードラは足から生まれた。体の上部から生まれた者ほど地位が高く、下部から生まれた者ほど地位が低い。この神話的説明によって、カースト制度は宇宙論的な正統性を与えられている。
社会秩序が身体の構造に対応するという発想は、他の文化にも見られる。国家を「体」に喩え、王を「頭」、民衆を「足」とする比喩は、中世ヨーロッパにも存在した。しかし、その起源を原初の巨人の解体に求めるのは、インド神話に特徴的である。
また、プルシャの解体は「供犠」として語られている点も重要だ。神々がプルシャを犠牲として捧げる。これは、後のヴェーダ祭祀における供犠の原型となる。祭祀で動物を供犠することは、原初のプルシャ供犠の再現なのである。
◇ ◇ ◇
中国の盤古神話は、【二】でも触れたが、巨人解体型としても重要である。
盤古は宇宙卵の中で生まれ、斧で卵を割って天地を分離し、一万八千年のあいだ天を支え続けた。その仕事を終えた後、盤古は死んだ。
盤古の遺体は世界を構成する要素となった。
息は風と雲になった。声は雷になった。左目は太陽になり、右目は月になった。四肢と五体は大地の四極と五岳になった。血は河川になった。筋は地脈になった。肉は田畑になった。髪と髭は星々になった。皮膚と体毛は草木になった。歯と骨は金属と石になった。精液は真珠になった。骨髄は玉になった。汗は雨露になった。
盤古神話は、北欧のユミルやインドのプルシャと驚くほど類似した構造を持っている。
肉→大地、血→水、骨→山・石、頭/目→天体、息→風、汗/涙→雨
これらの対応関係は、印欧語族とは言語系統の異なる中国にも存在する。文化の伝播によるのか、人類共通の発想によるのか、議論が続いている。
◇ ◇ ◇
メソポタミアのティアマト神話は、巨人解体型の変形として位置づけられる。
『エヌマ・エリシュ』では、マルドゥクが原初の海の女神ティアマトを殺害する。マルドゥクはティアマトの遺体を二つに割り、上半分で天を作り、下半分で地を作った。
ティアマトは「巨人」というよりは「海の怪物」「龍」として描かれることが多い。しかし、原初の存在が殺害され、その遺体から世界が形成されるという構造は、ユミルやプルシャと共通している。
ティアマト神話の特徴は、解体がより単純であることだ。北欧やインドのように、体の各部位が世界の各要素に対応するという詳細な対応関係は語られない。ティアマトは単に「二つに割られる」だけであり、上が天、下が地となる。
また、ティアマトの配偶者キングーの血から人間が創られるという話もある。これは【五】で論じる「神殺しから生じる」類型と重なる。
◇ ◇ ◇
イラン(ゾロアスター教)にも巨人解体型神話がある。
原人ガヨーマルトは、アフラ・マズダ(善神)によって創られた最初の人間だった。しかし彼はアンラ・マンユ(悪神)によって殺された。
ガヨーマルトの遺体から金属が生じた。また、彼の精液は大地に落ち、四十年後にそこから人類の祖先——マシュヤとマシュヤーナグ——が生まれた。
別の伝承では、悪の存在クニーの遺体から世界が形成される。皮は天に、肉は大地に、骨は山に、髪は植物になった。
ゾロアスター教の巨人解体神話は、善と悪の二元論という独自の枠組みの中に置かれている。世界の創造は、善神と悪神の闘争の中で起こる出来事なのである。
◇ ◇ ◇
比較神話学者ブルース・リンカーンとジャレッド・ダイアモンドは、印欧語族における巨人解体神話の共通性を詳細に研究した。
彼らによれば、以下の対応関係が印欧語族に広く共有されている。
肉は大地に対応する。骨は石または山に対応する。血は水または海に対応する。目は太陽に対応する。心または精神は月に対応する。脳は雲に対応する。頭または頭蓋は天空に対応する。息は風に対応する。
この対応の一致は、印欧祖語時代(紀元前四千年~三千年頃)にすでにこの神話パターンが存在していた可能性を示唆している。ユミル、プルシャ、そしておそらく失われた他の神話は、共通の祖先神話から分岐したものかもしれない。
マイケル・ウィッツェルは、巨人解体神話を「ローラシア神話」の特徴的パターンとして挙げている。彼は、この神話が石器時代の狩猟文化に起源を持つと推定している。大型動物を狩り、解体し、その部位を様々な用途に使うという日常的経験が、宇宙論に投影されたのではないかという仮説である。
◇ ◇ ◇
■日本の場合:存在しない
日本神話には、原初の巨人の解体から世界が形成されるという神話は存在しない。
カグツチの遺体から神々が生まれる話はある。オオゲツヒメの遺体から穀物が生まれる話もある。しかし、これらは「世界」を形成するのではなく、「神々」や「食物」を生み出すのである。構造的に異なる。
ユミルやプルシャの神話では、巨人の遺体から天地、山河、太陽、月、風、雨——つまり世界を構成するすべての要素——が生まれる。巨人の死は、世界の創造そのものである。
日本神話では、世界はすでに存在している。天と地は分離済みであり、高天原があり、葦原中国がある。イザナギとイザナミは国土(島々)を「産む」が、これは巨人の解体ではなく、性的結合による出産である。
なぜ日本には巨人解体型がないのか。
◇ ◇ ◇
第一の仮説は、文化系統の違いである。
巨人解体型神話は、印欧語族に集中して分布している。北欧、インド、イラン、そしておそらくギリシャ・ローマにも痕跡がある(オウィディウスのアトラス描写など)。これらは言語学的に同じ系統に属する民族であり、共通の祖先神話を持っていた可能性が高い。
日本語は印欧語族に属さない。日本列島の文化は、南方系(オーストロネシア)、北方系(アルタイ)、大陸系(中国・朝鮮)など複数の系統が混合して形成されたと考えられている。これらの系統には、印欧語族的な巨人解体神話は含まれていなかったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
第二の仮説は、世界観の違いである。
巨人解体型神話は、「暴力的創造」の論理を持っている。殺害と解体によって世界が生まれる。創造は破壊を前提とし、生は死から生じる。
日本神話は、「生成的創造」の論理を持っている。神々は「成る」。国土は「産まれる」。世界は暴力的に作られるのではなく、自発的に、あるいは生殖によって生じる。
古事記の冒頭で、天地はすでに分離した状態から始まる。「天地初めて発けし時」——天地が開けた時、高天原に神が成った。天と地がいつ、どのように分離したかは詳しく語られない。それは所与の前提であり、説明を要しない出来事として扱われている。
日本書紀では「清陽なるものは薄靡きて天と為り、重濁なるものは淹滞りて地と為る」と、天地分離の過程が描かれるが、これも「自然に」分離したのであって、誰かが何かを殺して分離させたのではない。
暴力なき創造。これが日本神話の基調である。
◇ ◇ ◇
第三の仮説は、伝播の問題である。
盤古神話は中国に存在し、日本書紀の編纂者は中国の宇宙論を参照していた。では、盤古の巨人解体も日本に伝わっていたのではないか。
『三五歴紀』には盤古の死と遺体の変容が記されている。しかし、この部分が日本に伝わり、影響を与えた形跡はない。日本書紀は「鶏子の如く」という比喩を借用したが、盤古が卵を割る話も、盤古の遺体から世界が生まれる話も採用しなかった。
これは【二】で論じた宇宙卵の場合と同じパターンである。日本の編纂者たちは、中国の神話を知っていながら、その核心部分を採用しなかった。宇宙卵も巨人解体も、日本神話の構造には馴染まなかったのである。
◇ ◇ ◇
第四の仮説は、より投機的だが、「解体」という行為への忌避である。
日本の神話と儀礼において、「穢れ」の観念は重要な位置を占めている。死は穢れであり、血は穢れであり、それらに触れた者は禊によって清めなければならない。
巨人解体型神話は、死体の解体を世界創造の中心に置く。血が流れ、肉が裂かれ、骨が砕かれる。これは「穢れ」に満ちた行為である。
日本神話がこの類型を持たないのは、死体の解体を宇宙論の中心に置くことへの、無意識的な忌避があったからかもしれない。
ただし、この仮説には反論もありうる。カグツチは斬り殺され、その血と遺体から神々が生まれている。オオゲツヒメも殺され、その遺体から穀物が生じている。日本神話にも「神殺しと解体」は存在するのである。
違いは、それが「世界創造」ではなく「神々や食物の起源」であるという点だ。規模と位置づけが異なる。世界の根源に死体解体を置くことは避けられたが、より限定的な起源譚としては許容された——そのように解釈できるかもしれない。
◇ ◇ ◇
巨人解体型神話の「ある」文化と「ない」文化を比較すると、興味深いパターンが見えてくる。
「ある」文化——印欧語族——は、しばしば牧畜・騎馬文化と結びついている。大型動物を飼育し、屠殺し、解体するという日常的経験が、宇宙論に反映されているのかもしれない。
「ない」文化——日本を含む東アジアの一部——は、農耕文化の色彩が強い。稲作を中心とする農耕では、種を蒔き、育て、収穫する。植物は「殺す」というより「刈り取る」のであり、解体ではなく収穫が中心的なイメージとなる。
もちろんこれは単純化しすぎた図式であり、例外も多い。しかし、生業形態と神話構造の間に何らかの関連がある可能性は、考慮に値する。
◇ ◇ ◇
日本神話に巨人解体型が存在しないことは、何を意味するのだろうか。
一つには、日本神話が印欧語族の神話圏とは異なる系統に属することを示している。日本の神話的想像力は、ユミルやプルシャを生み出した想像力とは別の源泉から流れ出ている。
もう一つには、日本神話が「暴力的創造」よりも「生成的創造」を好むことを示している。世界は殺害と解体によって作られるのではなく、自発的に生じ、性的結合によって産まれる。この選好は、日本文化の深層に何かを語りかけているのかもしれない。
「ない」ことは、「ある」ことと同じくらい、その文化の特質を明らかにする。
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