その2


 フランシスの業務は多忙を極めていた。

 前団長は不正行為をしており、しかし実家の力で揉み消し表面上は勇退したことになっている。

 職を追われたことを根に持ち、まともな引継もないまま辞めてしまったため、フランシスとしても「で、俺はなにをすれば?」状態。


 現場のことはわかっている。

 しかし、団長というのは管理職であり、事務作業が発生する。ただ剣をとっていればよかった時代とはまったく違う、同じ騎士団でありながら新しい職なのだと思い知った。


「ストレスが溜まるんだ」

「はあ」

「俺はストレスが溜まると過食に走るところがあり」

「はあ」

「だからこうして隠れて」

「べつに隠れる必要ないのでは?」


 食欲旺盛。結構なことじゃないか。男性騎士がたくさん食べて、咎められることもなかろうに。

 首を傾げるエルーシャに、フランシスは眉を顰める。


「自分で言うのもどうかと思うが、俺はこの容姿だ。紅茶を傾けて軽食を取っているような、そういった印象を持たれがちで」

「まあ、たしかにそうですね。高位貴族のお茶会に参加して、ご令嬢たちにうっとりされているのが似合っていらっしゃいます」

「そうなんだ。だが生憎と俺はがっつり派なんだ」

「がっつりは」


 ぐっと拳を握ったフランシスが吠える。


「きゅうりのサンドイッチで腹が膨れるか? いや、否定するわけではないが、エネルギー変換率は低いだろう。せめて厚切りのハムを挟むべきだ。きゅうりよりレタス。そこにトマトと塩気のあるベーコンを挟んだパンなんて最高じゃないか! 肉、やはり肉しか勝たん!」

「ハンバーグステーキの中からとろけたチーズが出てきたら言うことなし、みたいな」

「なんだそれは神か。付け合わせはポテトフライでお願いしたい」

「皮付きで?」

「いいなそれ」


 一見すると穏やかな印象を持つフランシスが、妙にギラギラとした眼差しで熱く語る。ものすごいギャップだ。


「あー、なるほど。団長さんのイメージ戦略の問題なんですね」


 前の騎士団長は横柄な男だった。強い者には媚びを売り、弱い者には高圧的というタイプで、平民の使用人たちの評価はすこぶる悪かった。

 城の中ですらこうなのだから、城下の者たちにどんな態度を取っていたのか、想像に難くない。

 エルーシャが知るかぎり、騎士団の評価は悪化していた。


 だからこその新団長就任だ。

 部下からの評価は高く、容貌から女性人気も集められる。

 粗野で横暴な野郎集団という印象を払拭すべく、フランシスは担ぎ出されたのだろう。



「多くのひとが集まる食堂では、それなりの振る舞いをする必要があるから、好きなものを好きなように思いっきり食べられない。だから、こっそり食べていたということでしょうか」

「……そうだ」


 難儀なことだ。体を資本とする男性が、がっつりモリモリお肉を食べて、なにが悪い。

 だが、エルーシャも末端ながらも貴族令嬢なので、見目麗しい殿方を鑑賞対象として捉える気持ちはわからなくもない。女性使用人たちが「素敵よね」と噂するのとは、すこし性質が異なる。貴族令嬢のそれは、憧れと同時に捕食対象。あわよくば縁組をと思っている。


 皆が羨望する殿方を自身の傍に置くことで虚栄心を満たしつつ、貴族令嬢界隈において、自身の存在価値を高めんとしている。女性の社会は嫉妬の塊。

 いまはまだ誰とも特別な仲になっていないフランシスには、ひとまず『美しい存在』であって欲しいのだ。

 その優美な蝶を自身の指に止まらせるまでは、全女性の憧れであってほしい。

 であるからこそ、射止めたときの騒ぎは大きくなるし、乗じて自分の名前も噂になる。あのフランシスの心を捕らえた自分に酔えるというわけだ。


「大変よくわかりました。では存分にゆっくりなさってください」

「やけに理解が早いな」

「ひとの目が気になるのはわたしも同じなので。あの――」

「なんだ」

「わたしもここを使ってもいいでしょうか?」


 せっかく見つけた穴場ポイント。別の場所を選定するのは難関である。


「無論かまわない。だからこのことは黙っていてくれ」

「承知しました。ではお互いに食事をしましょうか」


 エルーシャは巾着から新しいサンドイッチを取り出した。持参した水筒からスープをコップに注ぎ、いざランチを再開。

 今日はいつもより遅れて休憩に入ったとはいえ、戻るのがあまりに遅いと心象が悪くなる。さっさと食べて持ち場につこう。


 フランシスはしばし迷ったのち、エルーシャの対面に座り、持っていた紙袋を机上へ置く。

 取り出したのは紙に包まれたなにか。ガサガサと包みを剥がしかぶりついている。

 見るとはなしに見ていたエルーシャは、思わず目をぱちくりと瞬かせた。

 そのさまを見たフランシスは不服そうな顔をしてエルーシャに言う。


「なんだ」

「あ、いえ、すみません。さきほどのお言葉があったので、味の濃いボリュームたっぷりのものが出てくるのかと」

「……忙しくて買う時間がなかったんだ」

「あー、そういう」


 フランシスの手にあるのは、ただの棒パン。切り目を入れてクリームを挟んだり、あるいは具を挟んで食べる、言ってみれば基礎となるパンだ。

 そのままかじるだけなら、味も素っ気もない。シンプル以前の問題である。


「昨日、退勤明けに寄った店の売れ残りだ。これしかなかった」

「いっそ寮母さんとかに頼んで作ってもらったらどうですか?」

「特定のひとりだけに料理を提供するのは、規律が乱れるから容認できない」


 許可が下りたら、我も我もと人数が増えてしまい、寮母の負担が増えてしまう問題もあるだろう。

 げっそりした様子のフランシスは本当に疲れて見えて、エルーシャは差し出がましいと思いつつ、つい言ってしまった。


「あの、ものすごく失礼ですが、交換します? こっちはまだくちをつけていないので」


 包みを外したばかりのサンドイッチを見せる。

 今日はいつもより具沢山だ。というのも、残りものをすべて使い切っておこうと思ったから。


 肉屋で安く売っていた魔物のバラ肉を濃いめのソースで煮詰めたもの、細く刻んだキャベツを薄い平焼きパンに乗せ、ゆで卵を混ぜ込んだタルタルソースを落として、再度パンを乗せて挟んだサンドイッチだ。

 その他、余ったくず野菜を煮込んでコンソメで味を調えた野菜スープも、朝食の残り。

 貧乏節約メニューだが、味のないパンよりはましだと思う。


「いや、しかし、ならば君はどうする」

「団長さんのパンを食べます」

「これをか。持ってきておいてなんだが、本当にただの棒パンだぞ」

「デザートにしようかと思ってカスタードを持ってきているので、それを塗って食べますよ」


 ジャムの瓶を再利用して使っているそれを取り出し、蓋を開けて提示する。氷の魔石を敷いていたので、傷んではいないはずだ。これも半分ほどに減っており、今日中に食べきって終わるつもりでいた。


「甘い匂いがするな」

「そりゃカスタードですから。あ、甘いもの苦手ですか?」

「いや、普通に食べるが」

「よかった。嫌いなひとは匂いだけでも気持ち悪くなるって言いますし。それで、どうされますか?」

「……君の迷惑でなければ、交換してくれるとありがたい」

「じゃあ、はいどうぞ」


 包み紙ごと差し出すと、フランシスの手が伸びてきて、それを受け取った。

 近くで見ると意外とゴツゴツした指だ。艶やかな容姿に反するそれに、この男が『実力派の騎士団長』であることをあらためて認識させられる。


 よく見るとがっしりした体格をしているし、ご令嬢主催のサロンで優雅に茶を飲んでいる貴公子にはまったく見えない。噂とはあてにならないものだ。

 実物との差異に幻滅するひともいるのだろうが、エルーシャは逆に好感を抱いた。労働者の体は嫌いじゃない。


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