第2話:記憶力3歩の賢者と、異常な効率の騎士

「止まれッ! 止まってくれ俺の足ィィィィッ!」


 俺の絶叫は、時速二百キロで流れる景色の中に虚しく消えていった。

 足元では『銀のブーツ』がギチギチと不気味な駆動音を立て、『黄金のレンガ』を火花とともに削り取っている。


 そして、俺の背後からは「ズドドドド!」という地響きが追いかけてくる。

 振り返るまでもない。

 神ライマンによって魔改造された俺のアパート――多脚要塞と化した『泥石家(レプリカ)』が、巨大なクモのような動きで俺を追走しているのだ。


 俺は走っている。

 いや、走らされている。

 目的地である王都オズに着くまでは、このブーツの出力は弱まることを知らないと思っていた。


 そして、脳裏にこびりついて離れないのは、日本側に残してきた「あの」光景だ。

 今この瞬間も、実家から俺の家へ向かっている妹の小春は、コンビニの角を曲がって俺の部屋へ一歩ずつ近づいている。

 異世界の三ヶ月が日本の一分。


 一秒でも無駄にすれば、俺の人生は「エッチな猫耳メイドフォルダを妹に開示された男」として幕を閉じる。

 ゆえに、俺は止まるわけにはいかないのだ。




「うおおおおお! どけええええ! そこをどけえええええ!」


 前方に、トウモロコシ畑のような場所が見えてきた。

 その中心に、一本の杭が立っている。

 そこに縛り付けられているのは、銀髪の絶世の美少女だった。


 彼女はボロ布を纏いながらも、その立ち姿には王者のような気品が漂っている。

 さらに驚くべきことに、彼女の周囲には無数のカラスが群がっており、彼女の頭を情け容赦なく突き続けていた。


「おい、危ないぞッ! 衝突するッ!」


 俺は必死に回避を試みる。

 突如、ブーツが機械的な音声を響かせた。


『【イベント検知】:重要キャラクターを発見。強制ブレーキを開始します』


「え、ブレーキ? あ、ちょっと待っ――」


 キュォォォォォォォンッ!!


 鼓膜を突き破るような摩擦音とともに、銀のブーツがその場で完全停止した。

 しかし、時速二百キロの慣性は消えない。

 俺の体は盛大に前方へと投げ出され、トウモロコシ畑を派手に転がりながら、銀髪の少女の足元へと突っ込んだ。


「ぶふぉっ……!? し、死ぬ……死ぬかと思った……」


「おや。儂を殺しにきた厄災かと思えば、なかなか威勢の良い殿方ではないか」


 頭上から、鈴を転がすような透き通った声が聞こえた。

 顔を上げると、杭に縛られた美少女が、慈愛に満ちた微笑みを俺に向けていた。

 その瞳は深い知性に溢れ、まるで世界のすべてを見通しているかのようだ。


「おい、あんた大丈夫か!? カラスに突かれてるし、杭に縛られてるし……俺は泥石徹どろいし とおるだ! 今、助けてやるからな!」


「ドロシーか。良い名じゃ。儂は大賢者ミネルヴァ。あらゆる魔導を極め、この世の真理を脳に刻んだ者じゃ。……じゃが、困ったのう。儂は今、自分がなぜここに縛られているのかを思い出せないのじゃ」


「え? 大賢者だろ? 自分で自分を封印したとか、そういう高尚な理由じゃないのか?」


「いいや、違う。儂は膨大な知識を詰め込みすぎた代償として、短期記憶が三歩歩くとリセットされるのじゃ。ゆえに、儂は先ほどまで自分が何を考えていたかも、君が誰であるかも、すでに忘却の彼方じゃ。……ところで、君は誰じゃ?」


「早すぎるだろ忘れるのがッ! しかもまだ一歩も歩いてねえ! 鳥かお前はッ! メメントかーーッッ」


「失礼な。鳥はもっと記憶力が良い。……おや、儂の頭の上にいるこの黒い生き物は何だ? 友達か?」


「カラスだよ! さっきからお前の頭を突いてる天敵だよ! おい、これじゃ会話にならないぞ!」


 俺は絶望した。

 知性の塊のような外見をして、中身は完全に空っぽなのだ。

 神ライマンの野郎、こんなポンコツを仲間にしろというのか。

 次の瞬間、再びブーツが駆動音を上げた。


『【イベント終了】:走行を再開します。目的地、王都オズ。加速……開始』


「待て待て待て! 勝手に始めるな! うおおおおおッ!」


 俺はミネルヴァを杭ごと引き抜き、小脇に抱えたまま再び爆走を開始した。

 背後からは多脚ハウスが「ガシャガシャ」と猛追してくる。


 ミネルヴァは俺の腕の中で「おやおや、景色が流れる。これは新種の魔法か?」とのん気に笑っている。

 俺はさらに加速し、黄金のレンガ道を突き進んだ。




 トウモロコシ畑を抜けると、今度は深い森の入り口に、真っ黒なフルプレートアーマーを纏った騎士が立っていた。


 彼女は巨大な斧を手にし、地面に這いつくばって、何やら精密な測量を行っている。

 俺が接近しても、彼女は微動だにしない。


『【イベント検知】:重要キャラクターを発見。強制ブレーキを開始します』


「またかよおおおおおッ!」


 ズドドドドドドッ!!


 今度は前回の反省を活かして踏ん張ったが、やはり俺の体は数メートル滑って、黒騎士の目の前まで転がった。


「……今の速度。推定速度、時速二百十五キロ。誤差、三パーセント以内といったところか。あなたは何者だ?」


 黒い騎士が、兜の隙間から美貌を覗かせた。

 

「俺は泥石。理由わけあって爆走中だ!」


「そうか。奇っ怪だな。私は重装騎士モリー。究極の効率を求める」


「お前だって奇っ怪だろ! こんなところに這いつくばって」


「ああ、先ほどまで、この先に出現する予定のスライムを『最も効率的に、かつ一撃で』葬り去るための罠を、百時間かけて設置していたのだ」


「スライムなら普通に倒したほうが……」


「しかし、あなたの移動速度を利用した方が〇・二秒早そうだ。ゆえに、これまでの百時間の作業をすべて破棄し、あなたについて行くことにした」


「百時間を〇・二秒のために捨てるのは効率的じゃねだろ! それはただのサンクコストの無駄遣いだからねッ! お前、効率の意味分かってるか!?」


「効率とは、目的を最小のステップで達成すること。私の目的は『勝利』です。その過程で費やした時間は、勝利の瞬間に価値を失います」


「哲学すぎて、もう効率の意味が分からねぇ……」


「……ところで、その小脇に抱えている『喋る生ゴミ』は何ですか?」


「誰が生ゴミだ。私は大賢者ミネルヴァ。……ところで、君は誰だ?」


「今説明してただろーーッッ!」


 一瞬でこれだよ! このパーティ、終わってるぞ。


 俺は頭を抱えた。

 記憶力が小鳥以下の賢者と、計算はできるが情緒が死んでいる効率厨の騎士。

 神ライマンの声が、追い打ちをかけるように頭の中に響く。


『いいぞ、いいテンポで仲間を二人集めたな! 見てごらん、日本側では小春ちゃんが廊下を歩き終わって、ついにドアノブに手をかけたぞ! あ、指が動いた! 今にもガチャリと開きそうだ!』


「やめろッ! 実況するなッ! 俺の社会的尊厳がーーッッ!」


 俺の叫びとともに、銀のブーツが最大出力で咆哮した。

 イベントが終了したと判断したらしい。

 俺はミネルヴァを担ぎ直し、モリーを多脚ハウスの屋根に飛び乗らせた。


「行くぞお前ら! 俺の尊厳が、俺の過去が、俺のすべてがかかってるんだ! 王都まで全力でぶっ飛ばすぞッ!」


 黄金の道の上を、日本の家屋が火花を散らして爆走する。


「わあ、速いのう。ところでお前たちは誰じゃ?」


「めんどくせぇぇぇーーッッ」


 俺の叫びが異世界の大空に虚しく響き渡る。

 日本側のタイムリミットまで、あと三ヶ月弱。

 俺たちの、あまりにも騒がしくて不条理な旅が、本格的に加速し始めたのである。


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