妹が俺の部屋のドアを開けるまで残り3分。社会的死(エッチなフォルダ開示)を回避するため、呪いのブーツで異世界を爆走する。〜名前がドロシーに似てるからってそれはないでしょう!〜

いぬがみとうま

第1話:そのフォルダを閉じるまで、俺は止まれない

 「……よし、この『2024年秋・保存版:エッチな猫耳メイドは実在した』フォルダは……完パケだ」


 俺、泥石徹どろいし とおるは、夜の自室で勝利の咆哮を上げた。

 モニターに並ぶのは、人類の至宝とも呼ぶべき厳選された画像データの数々である。


 これらは俺の血であり、肉であり、そして俺という人格を構成する重要なパズルの一片だ。


 そして同時に、万が一にも他人の目に触れれば、俺の人格が文字通り粉砕され、二度と社会復帰できないレベルの破壊力を持つ「精神的核爆弾」でもある。


そんな俺の聖域――サンクチュアリに、絶望を知らせる電子音が響いた。



【LINE:小春】

『お兄ちゃーん、今からそっち行くね! お母さんに部屋の掃除してきなさいって言われちゃった。もうコンビニのところ。合鍵持ってるから勝手に入るよー』



 全身の血が逆流した。これは有事だ。

 俺の脳内で、緊急警報のアラートがけたたましく鳴り響く。

 小春、俺の実妹だ。


「んがーー! 存立危機事態発生ーーッッ」


 彼女は現在、近所のコンビニ。俺の済む元・祖父の家である木造住宅まで、距離にして三〇メートル、時間にして残り五分を切っている。




 俺はマッハの速度でマウスを動かし、フォルダを閉じようとした。

ところが、モニターの真ん中に、見たこともない漆黒のポップアップが出現した。


『【重要】キミ、名前がドロシーっぽいので採用。物語を爆走させろ』


「は? ドロシー? 俺の名前は泥石だぞ! それよりフォルダを閉じさせろ! 死ぬ! 俺が社会的に死ぬんだよーーッッ!」


 俺の叫びも虚しく、床に巨大な幾何学模様――竜巻の形をした魔法陣が展開された。


 強烈な重力が俺を押し潰す。

 視界が歪み、空間が捻じ曲がり、俺の意識は強引に異次元へと引きずり込まれた。




次の瞬間、俺の鼻を突いたのは、焦げた石と、誰かの悲鳴だ。


「……ッ、ここは……どこだ?」


 目を開けると、そこは豪華な石造りの部屋だった。

 天井には巨大な穴が開き、そこから俺の住んでいた木造住宅の「自室」が突き刺さっている。


 二階建ての木造住宅が、ファンタジー全開の城に垂直落下した。

 そんな物理法則を無視した光景が目の前に広がっている。


そして、俺の家の「床下」からは、何やら豪華な装飾を施した鎧を着た男の腕が、ピクリとも動かずに突き出していた。


「いきなり人殺し!? おい、これ俺のせいか!? 俺の家がこのおっさんを押し潰したのか!?」


「その通りだ。いい着地だったぞ、ドロシー」


 空中から、妙に軽い声が降ってきた。

 見上げると、そこには透き通るような翼を持ち、タキシードを纏ったチャラそうな男が浮いている。

 彼こそが、俺をこの不条理に叩き込んだ張本人に違いない。


「転生神ライマンだ。いやあ、前のドロシーがスローライフを始めて物語が全然進まなくてね。PVもガタ落ち。だから君みたいな『一刻も早く帰りたがっているせっかちな奴』が必要だったんだよ」


「ライマンだか何だか知らねえが、今すぐ俺を日本に戻せ! 妹が! 妹がもうドアの前に来てるんだ! 俺のPCの中身を見られたら、俺の余生は一生『猫耳メイドのお兄ちゃん』として蔑まれることになるんだよ!」


「落ち着けよ。ほら、君の足元を見てごらん」


 神が指差した先。

 いつの間にか、俺の足には鈍く輝く銀色のブーツが装着されていた。

 そして、ブーツの側面には「走行中」と書かれたデジタルカウンターが浮かんでいる。


「それが『銀のブーツ』だ。君が履いている限り、異世界の時間は加速する。異世界での一ヶ月は、日本での一分に相当するんだ。つまり、君が爆速でこの物語を完結させれば、日本側では妹がドアを開ける前に帰れるってわけさ」


「一ヶ月が一分……? ってことは」


「だが、日本側の時間は今も進んでいる。妹は今、ドアノブに手をかけたぞ。残り時間は日本時間で……およそ三分ってところかな。異世界時間に直せば、三ヶ月。三ヶ月以内に王都のオズに会って、帰還ポータルを開け。さもなくば、君の秘密は君の妹に晒されることになる」


「神のくせに慈悲がねえーーッッ! というか、この死体どうすんのーーッッ」


「それは東の魔女の右腕、徴税官だ。君は今、彼を殺して略奪した『銀のブーツ』を履いた伝説の英雄ドロシーとして認識された。ほら、もう止まれないぞ。銀のブーツの呪いは、目的地に着くまで止まることを許さないからな!」


 ギギギ、と不気味な駆動音が足元から響いた。


「そうだ、寄り道しないように呪いかけといたから! 黄金のレンガ道から外れたら、キミに向かって隕石が落ちるようにしておいた」


「ふざけるな悪魔ーーッッ!」


 俺の足が、俺の意思を無視して勝手に一歩を踏み出す。

 そして、その一歩は爆発的な加速を生んだ。


 俺の体は砲弾のように壁を突き破り、城の外へと飛び出した。

さらに、背後では俺の二階建ての家が、巨大な多脚を生やして地面を蹴り上げている。


「待て! 家がついてくるのかよ!? というか止まれない! 足が勝手に! うおおおおおッ!」


 俺は、黄金色に輝くレンガの道を猛スピードで駆け抜ける。

 前方には果てしない平原。


 そんなことはどうでもいい。

 俺の頭にあるのは、日本でドアノブを回そうとしている妹の指先だけだ。


「絶対に帰る……! 三ヶ月以内に、あのフォルダを完全にデリートしてやるぞ!」


 俺の絶叫は、銀のブーツが地面を削る激しい轟音に飲み込まれていった。

 そして、俺の爆走は、もう誰にも止められない。



 社会的死を回避するための、史上最速の異世界攻略。

 その第一歩は、徴税官の血と、俺の絶望によって刻まれたのである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る