■2-1 職探しの秋

その日、俺はマルセラにいた。


大気には、湿った薪と泥炭が燻る重たい匂いが澱のように漂っている。

息を深く吸い込むたび、燃え残りの灰が喉の奥にまとわりつくようで、舌の上に微かな苦味が残った。

日没を目前にして、河口からの風は容赦なく肌を撫で、外套の隙間から冷えを忍び込ませてくる。

秋とは名ばかりで、今日の空気は骨身に沁みる。要するに、ひたすらに冷たい。


顔を上げると、煤と雨に汚れた煉瓦造りの家々が、夕映えの空を裂く刃物の列のように並び立っていた。

屋根の上には低い煙突が点々と口を開け、暖炉の吐息を疲れ切った溜息のように空へ放っている。

時刻はおよそ五つ時前後だろう。

まだ火の入らぬ街灯の柱が、濡れた石畳の上に、墓標めいた細長い影を引きずっていた。


中央の広場には、夜という覆いを待つ者たちが、潮の満ち引きのように集まり始めている。

毛織の外套を翻す裕福な紳士の脇を、荷馬車の泥を浴びた職人が言葉もなくすり抜けていく。

彼らの吐く白く濁った息が絡み合い、街の輪郭そのものを、ゆっくりと曖昧なものへと溶かしていた。 


俺は、湿り気を帯びた緩い土手に腰を下ろした。

冷気がズボンを抜けて皮膚に触れ、じわりと体温を奪っていく。

その確かな不快感だけを頼りに、今日の朝から街中の壁を巡ってかき集めた冒険者用求人票を膝の上に広げた。

質の悪い羊皮紙は寒さで硬直し、指先にカサついた頼りない感触だけを残していた。


一番額面の大きな募集は、雪山での警備であった。上流階級によるリゾート遊びには十重二十重の危険回避が必要だ。恐らくは厳戒態勢そのものが連中の心を満たす存在なのだろう。「ああ、屈強な貧乏人が我らを必死で守っている。これが世界の縮図!ああ、ご飯が美味しい!」そんなことは、当たり前だが書いてはいない。いないが、俺にはそう見えるのだ。

「寝言言ってなよ。自分が世界を知っているような気になってんじゃねーよ」

俺は羊皮紙に小さく吠える。


後頭部をがしがし掻きながら、残った手でガサゴソと求人票に目を通していく。

「古代遺跡で宝物庫の扉を共に開けよう!はぁ~、なんだそりゃ。ないから、そんなもん。こんな弱小集団に存在を知られている時点で既に無価値であることを証明してるんだよ。だいたい何人で行くつもりだよ。ぞろぞろと遺跡に並んで入るつもりなのか?冒険ってのは、もっと緊張感をもってやるもんだろ。一歩一歩が死と隣り合わせ、違うか?」


十枚!三十枚!五十枚!俺は常人の2倍速で求人票を消化していく。頭に入る情報も半分だがそれで構わない。質の悪い羊皮紙にぎっしり詰めこまれた文字たち。感心するぐらい、世の中にはいろんな仕事があるもんだ。


俺の狙いは短期の仕事。理想は即日採用・即日解散、報酬は全額日払い。

かなり限定されるが、管理官の滞在時間を考えると、そうならざるを得ない。

身体の方はそれなりに鍛えてあるものだ。この世界に来てまだ日は浅いが、なかなか良い人材だと自負している。

しかし現実は非情。圧倒的に多い中長期の雇用。


「あーあ。しょうもないねぇ、どこもかしこも。分不相応だよ。やれドラゴン討伐だの、ダンジョン最深部だの。目標は高けりゃいいってもんじゃないぜ」そんな調子で求人票にグチっていた俺だが、それすらもかなわなくなった。日が落ちてきた。気づけば夕方の時間も終わりになっていた。

「はい」

がさごそ。俺は音を立てて求人票を一つに集めた。それをくるくる丸めて立ちあがった。


諦めよう。正攻法の手段を捨てる。こうしたオープンな仕事は望みが薄い。そして前後の手続きやら何やらが今の俺の状況に実にミスマッチ。よって裏の手。言ってしまえば人頼み。俺がこの街で培ってきたコネクションが試される。


俺は大型ギルドへと足を進めた。入口脇のゴミ箱へ溜息といっしょに求人票を放り投げる。一応の最終チェックを掲示板でしたついでに、俺はぶらぶらと館内の人間を観察。あいつは強そう、あそこの奴は同等ってところか、あれには勝てる、あそこならパーティーごと潰せる ・・・そう、俺は決して弱い冒険者ではない、むしろこの街のランカーに名前を連ねてもおかしくない。が、それと職探しは別の話・・・!


表に出ると、日は完全に落ち、景色は夜のものとなっていた。白く眩い星空の下、オレンジに灯る居酒屋たち。姿を消していったのは魔道学院の在校生。代わりに登場するのは戦闘やら護衛やらから帰還してきた冒険者の皆々様。今日も一日お疲れ様です。

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