「全員動くな」

 汐見が言った。「神鳥、死因は分かるか」

「検視の心得はないので、状況的判断ですが――熱中症ないし窒息かと。首に、絞めたような跡が。首を絞めて意識を失わせて放置したか、あるいは決定打になったかどちらかでしょう」

「鍵がかかっているな」

 後方の扉に一番近いのは、花柳だった。

「開けられるか」

 その挙動を、汐見はじっと見守る。怪しい素振りを許さない目だ。花柳はつまみに触れ、すぐ、手を離した。

「熱いです」

「隊長、花柳さんに開けさせるのはまずい。狙撃手の指は繊細です」

「引き金は右で引く。問題ない。けど、火傷は覚悟しなきゃいけないです。……開けた方が良いですか?」

「いや、いい。窓の鍵はかかっている。割れてもいない。前側の扉が閉まっていたのは、私と犬飼と深川で確認した。……犬飼、お前も扉を素手で触ったな」

 犬飼はため息をついて、左手を差し出した。掌が赤く腫れ上がっている。

「お揃いですね、花柳さん」


 暑さに耐えかね、五人は一階の犬飼の根城へ移った。後方扉は閉ざされたままだ。

 汐見が無線を取る。

「こちら北陸第四汐見、北陸指令局に告ぐ。応答されたし」

『こちら北陸指令局、どうぞ』

「緊急事態発生。隊員一名が死亡、殺人の疑いあり、指示を仰ぎたく。どうぞ」

 さすがに通信相手も動揺したようだった。しばし音声が乱れ、低い男の声に代わる。

『北陸統括室の矢波だ。誰が死んだ』

「兎羽隊員が」

『不審死を疑う根拠は』

「首に絞められたような跡、暑さにもかかわらずエアコンが切れていました。他の部屋では正常稼働しています」

 汐見は端的に言った。指令局にも島の環境は伝わっている。矢波は事態を察したようだった。

『……島にいるのは。お前らだけか』

「避難は完了したと聞いています。隊員以外の姿は認めていません」

 矢波とのやりとりは、考え得る可能性を言語化してみせた。犯人は隊員の可能性が高い。

 矢波が言葉を返す前に、汐見が続けた。

「マキューラは未だ目を覚ましません。ですが、いつ活動再開するか分からない。その上、寝ていても尚気温は上昇しています。このままでは人間の住めない環境になりかねません」

『……作戦を続行すると? 観測手なしでか』

「朝五時の時限は変更しない。駆除が遅れれば島民の生活も戻りません。観測手は、犬飼隊員が務めます」

 事前に聞かされていたわけでもないのに、犬飼は動じなかった。

 汐見の行動原理は一貫している。災害獣を滅すること。だから今も、マキューラを最短で駆除するよう働きかけていた。

『作戦続行を許可する。ただし互いに行動を監視すること。すぐに別働隊を派遣する。以上』

 狙撃手が他にいれば、すぐに撤退命令がなされただろう。だが汐見隊の代わりはいない。隊の特異性がここで働くとは、神鳥は思ってもみなかった。

「……犯人を捜しましょう。よそに探られるより気分はマシでしょう」

「深川さんって意外と縄張り意識あるんですね。まあ、俺も賛成です」

 犬飼が続くと、花柳も頷いた。

「まずはアリバイの精査でしょうね。兎羽さんが確実に生きていたのは六時過ぎ。深川さん以外のみんなが、2―1に集まったタイミング。それ以降に見た人は?」

 誰からも手は上がらない。

 犬飼が立ち上がり、黒板に全員の名前を書いた。 言い出しっぺだからか、そのままアリバイを語る。

「じゃあ、犯行は六時から八時の間ですね。俺は2―1を出た後この自室に戻って、七時頃までアリバイなしです」

「七時以降は?」

 続きを、花柳が引き取った。

「私とこの部屋にいました。マキューラの動きの予測を立ててもらうために来たんです。向かうときに神鳥さんとすれ違っています。

 四十五分頃まで、一緒だったと思う。その後は3―3に戻りました。そのときには汐見隊長とすれ違いました。あれが、兎羽さんの部屋に向かうところだったんですね」

「タイミング的には、花柳が出て行って二、三分で隊長の無線が入った感じですね。俺と花柳さんの犯行なら、七時以前です」

 犬飼――発見時までずっと1―3に。

 花柳――七時までは3―3。七時以降、発見時まで1―3。

 次いで、神鳥がアリバイを語る。

「俺は六時過ぎ、倉庫に行った。七時までは深川さんと倉庫で一緒だ。それから3―2に戻る最中、花柳とすれ違っている」

「倉庫に?」

 花柳が怪訝そうに言った。「職員室じゃないんですか」

「備蓄は職員室にあると、見取り図には書いてた。けど実際行ってみたら閉まっていて、深川さんに確認したら倉庫にあるって話だったんだ」

「職員室は閉まっていたんですか?」

 質問を重ねる花柳を、深川が制した。

「言いたいことは分かる。ただ、話が錯綜するから後にしよう。僕のアリバイも神鳥さんと変わらない。七時頃まで倉庫で一緒にいて、その後は1―2でひとりだ。犬飼と花柳の声は時々聞こえたけど、それで自分のアリバイが証明できるわけでもないね」

 神鳥――七時まで倉庫。それ以降は3―2。  深川――七時まで倉庫。それ以降は1―2。

 犬飼が最後に聞いた。「汐見隊長は?」

 汐見は無言で立ち上がり、六時から八時前までの広い幅に、「3―1」と記した。

「アリバイはない」


 神鳥が現場に行くことを提案すると、全員で行動する運びとなった。分かれれば必ず二人になる組み合わせができる。

「さっき花柳が言いたかったことは分かる。職員室が閉まっていたのなら、どうやって犯行現場を施錠したのかって話だろう」

「はい。というか私は、神鳥さんが中から出てくるのを見ています。2―1の鍵を取りに行ったときに。だからてっきり、職員室の鍵は開いていたのかと」

「俺の教室は職員室の真上だ。緊急だから窓を割って入った」

 現場に到着する。あらかじめ見渡しても、出入りできそうな場所は、前後の扉だけだ。

「後ろの扉も鍵がかかってたんですよね」

「ああ。最初に前の扉を開けようとしたが、鍵がかかっていた。返事はないし、今度は後ろから開けようとして、それも駄目だった。無線でも呼び出したが、同じだった」

「花柳さんと神鳥さんが鍵を取りに行ってる間、俺と深川さんが到着しました。一刻を争うと判断して、鍵を破壊しました」

「……そのやりとりは無線越しに私も聞いた。ところで、隊長はどうして兎羽さんのところに?」

 蒸し暑さも相まって、空気は緊張している。花柳の問いに対し、汐見はしばしの沈黙の後、答えた。

「花柳のことで話があった」

「私?」

「……すまない。人前で言うことじゃないんだ。だが状況が状況だ。隠さず話す。

 兎羽さんは轟市の現場にいた。要請に背いて中型の狙撃を試み、被害を拡大させた――そう責め立てられた民間の狙撃手だった。

 花柳、お前の家族は轟市の獣災に巻き込まれて亡くなっているな。だからそれが不和の原因になるんじゃないかと思った。実際、兎羽さんはどこか上の空だった。任務に支障を来すと思って、話を聞きに行った」

 汐見にしては、どこか独白めいた語りだった。これが告発にも聞こえると皆が気づいている。花柳には動機がある、と。

 沈黙を破ったのは、砂嵐にも似た無線のうめきだった。

『こちら東海第二月野。北陸第四、応答されたし』

「こちら北陸第四汐見。聞こえている。どうぞ」

『三十分ほどで阿鹿島へ到着する。進展はあったか。どうぞ』

「マキューラは動かない。不審死の件も進展なし。どうぞ」

『了解した。到着まで相互監視を解かぬように。以上』

 音が途絶えたのを確かめ、汐見が告げる。

「猶予は三十分だ」

 神鳥は目を瞑った。今の無線。何かが引っかかった。会話の内容に目ぼしい情報はない。だが、今この瞬間に、違和感が生じた。

 やがて思い至る。だ。

「その教卓の上。そこから音がした。何かないか?」

「これですか」

 教室の前方にある教卓。その上に、鞄が置いてある。兎羽のものだろう。犬飼がそこへ近寄った。

「中を見ますよ」

 手袋に鍵束。スコープの予備、ノートパッド。任務の最中に携帯するもので、さして珍しいものはない。最後に出てきたものに、神鳥は目を留めた。無線機だ。神鳥の耳が捉えたのは、そこから発せられた音だった。

 神鳥は目を瞑る。汗がだらだらと流れては床に落ちる。やがてぽつりと、この暑さでか、とだけ言った。

 汐見が立ち上がる。

「北陸指令局から通信だ。私と、神鳥だけで聞けと言っている。神鳥、来い」

 不自然な口実で廊下に連れ出された神鳥は、不思議な気分で汐見を見た。隊長は、人の心でも読めるのだろうか?

「犯人が分かったのか? それとも何かに気づいたのか」

「犯人が、分かりました」

「時間が惜しい。話せ」

 神鳥は自分の思考の道筋を、再度振り返り説明した。話し終えると一息に、水を含む。

「……俺の推理は以上です。狙撃を完遂させてから拘束し、帰還するのが良いかと思います」

 だが、汐見の決断は違った。

「全員の前で話せ。今すぐ犯人を指摘する」


 汗で衣服が張り付くのを感じる。どうしようもない不快感は平等に降り注いでいる。もちろん、犯人にも。

 神鳥は教室に戻ると、隊員らの顔を見回し、言った。

「犯人が分かった。今から犯人の名前と、そこに至る道筋を話す」

 汐見が黙ったままなので、誰も何も言わなかった。隊長の許可を得ているか、或いは指示を受けているかのどちらかだと察した。もとよりさっきの汐見の挙動は、かなり不自然だった。

「現場は密室だった。ドアを施錠する方法は二つある。中から鍵をおろすか、外から鍵をかけるか。前者なら、兎羽さんが自発的に閉めたことになる。窓は閉まっていたし、他に出入り口はない。後者なら、職員室の鍵が必要だ。だが、職員室自体も施錠されていた。

 つまり犯人が鍵をかけようとすれば、何かの策が必要だ。だが……そこまでして施錠にこだわる理由があるか?」

 真っ先に答えたのは犬飼だった。

「発見を遅らせるのは無理ですね。この状況で鍵が開かず返事もなければ、むしろ急いで突入されるリスクになる」

「事故死を装うためっていうのは?」

「それは無理筋だろう。鍵がかかっているうえ冷房が切れている。何より首には跡が残っていた。事故で通せないことは、犯人もすぐ分かったはずだ」

 可能性が浮かんでは否定され、その隙間に答えを見たように、犬飼が再度言う。

「兎羽さんを確実に殺すため。扉は熱を持っていたでしょう。万一兎羽さんの意識が後から戻っても、その状態で鍵を開けるのは難しい」

 花柳の指先の火傷が、全員の脳裏に想起された。「それも考えづらい」

 しかし、神鳥は犬飼の説すら否と断じた。

「兎羽さんは少なくとも、首を絞められ意識を失っていたはずだ。鍵を閉めて確実に殺すつもりなら、そもそもその状態でとどめをさせばいい」

 密室を作ることの利得はない。全員がそう納得した。

「俺はこれを推理の前提と考えている。つまり扉を閉めたのは、犯人ではないのだと」

「僕は賛成です」

 深川が言った。「そもそも、職員室にどうやって入るのか説明がつけられない」

「じゃあ兎羽さんが中から鍵を閉めたって思ってるんですか、

 さも不満そうに、犬飼が言った。神鳥はその気持ちがよく分かった。それでは理屈が通らない。それを教えてくれたのは、さっきの無線機だった。「教室、あるいは廊下で襲撃されて、鍵を閉める。犯人から身を守るためだろうな。だがそれでは、兎羽さんの位置がおかしい」

「窓際。……無線は、教卓の上にあったね。鍵を閉めて、当然助けを呼ぶはず。窓際まで向かうのは解せない。そっちには、マキューラしかいないんだから」

 再び全員の意見が一致したので、神鳥はあらかじめ用意していたものを取り出した。それは、薄手の手袋であった。これも、教卓のうえにあったものだ。

「兎羽さんの遺留品だ。断熱性が高く、それでいいて薄い。恐らく、銃の温度が上がって撃てなくなったときのためのもの。小さくて、おそらく兎羽さんがつけるものではない」

 かつて兎羽は狙撃手だった。狙撃をするという意思と指先の動きは、緊密に繋がらなければならない。緊張や怯みで生まれる一瞬のずれが失敗を招くからだ。そして高温に包まれた島でも、その恐れがあった。兎羽は予見していたのだろう。

 花柳の瞼がぴくりと動いた。神鳥の持つそれをまじまじと見て、手を差し出す。

「ならそれは、私がつけるべきものですね」

 神鳥からそれを受け取ると、花柳は教室の後方まで向かい、閉ざされたままの扉に触れた。つまみを引き上げ、解錠する。そのまま扉を開けようとするも、がたがたと音がして、それきりだった。 花柳は息を吐いて、告げる。

「扉は開かない。

「そう。犯人は花柳、お前だな」


 現場は甲根島から発せられる熱を、真正面から受けている。その影響は、単なる暑さに留まらなかった。

「扉が開かないのは熱膨張のせいだった。錠前を破壊しても開かなかったのはその傍証だ。

 そもそも施錠されているのを確認したのは、後ろの扉だけだ。鍵はかかっていなくて扉が歪んだだけだとしたら、殺害後に施錠はされていないことになる。前扉は破壊したから有耶無耶になった。じゃあ、後ろ扉の鍵は、いつかけられか。教室に突入してからは、全員が兎羽さんに駆け寄って、その後互いに見張っていた。

 だがそれより前に一度だけ、堂々と鍵が持ち出された瞬間があった」

「教室に入る直前ですね」

「花柳は鍵を持ったまま、後ろの扉から、中を覗き込んでいた。俺は汐見隊長に状況を尋ねていた。犬飼が扉を銃で撃つとき、全員の視線がそこに集まった。音も大きい。あの瞬間、花柳だけが鍵をかけることができた」

 告発されている当人は、感情をおくびにも出さずにいた。それを肩代わりするかのように、深川が言う。

「自白も同然の行動です。花柳がそんな綱渡りをする理由がない。いったいなぜ……」

「それは花柳が、密室で自分が嫌疑を逃れられると思ったからだ」

 神鳥は端末を取り出し、地図を表示した。ここ、阿鹿中学校の見取り図である。

「これには防災グッズや非常食の位置が明示されている。けど、深川さんも知ってるように、実際には職員室ではなく倉庫でしたよね」

「……はい」

「深川さんと俺はそれを知っていた。他の三人がそれを知ったのは、事件が起こって、それぞれの居場所を明確にしたときだ。

 犬飼がこの教室に来て、深川さんは学校の非常食をチェックしていると言った。花柳と階段ですれ違ったとき俺は、防災グッズを確かめていると言った。

 だから花柳は、七時までの間、。そして無線を通じて扉が開かないと知ったとき、一計を案じた。熱膨張まで見抜いていたかは分からないが、とにかく鍵を施錠できれば、職員室の鍵が使われたと思われる。前扉は銃で破壊されると聞いていたから、後扉だけを閉めればいい。それだけで、

 そして間の悪いことに……神鳥は、内心で呟いた。紛れもない自分の行動がその思い込みを加速させた。

「俺は教室の鍵を回収するため――一刻を争っていたから、窓を破って職員室に入った。そして。職員室は出入り可能だと信じるには十分な光景だ」

 花柳は尚、何も言わなかった。

 反論はないと見て、汐見が後を引き取る。

「作戦は変更しない。マキューラを狙撃し、帰還する」

「本気か」

 深川の声はうわずっている。「この状況で花柳に、作戦の成否を握らせるのか」

「そうだ。もとよりそれしか手段はない」

 汐見は揺るがなかった。

「花柳、まだ何も言うな。お前はまだ何も認めていない。任務が終わった後、月野隊にこの推理を報告する」

 ヘリの音が潮騒を打ち消して、校舎を覆った。

『こちら東海第二月野、間もなく、阿鹿中学校グラウンドへ着陸。合流地点を教示されたし。どうぞ』


 それから一時間して、マキューラの目覚めが確認された。のそのそと、暢気とも思える歩みで、甲根島を徘徊する。

 汐見隊は屋上へ出て、南方を狙っていた。それを月野隊がさらに見張る。何とも異様な光景だ。空は高く、張り付いた星がまぶしい。

 案の定、銃は熱を帯びた。花柳はベージュの手袋をつけ額にタオルを巻くと、暗視スコープを覗き込んだ。

 対災害獣用の狙撃銃は、光線を発射する。風の影響は受けない。潮風が吹き付けていたが、それは何の障壁にもならなかった。

 犬飼がレーザー距離計を手に、淡々と告げる。「対象との距離十五.六キロメートル。銃身が五度上方に傾いています。マキューラがあと五歩西に進むと、足から腰までが遮蔽される」

「地面を足につけてから、片足を出すまでが一番鈍い。そこを狙うから、指示して」

 スコープを覗き込んだまま、花柳が言った。

「足を上げた。下ろす……三、二、一」

 銃口が赤く光り、一直線にマキューラを目指す。そして、眼窩を撃ち抜いた。命中、と犬飼が言う。

 マキューラが倒れる。地響きを聞きながら、神鳥は端末を操作した。

「こちら北陸第四神鳥、北陸指令局に告ぐ。狙撃は命中、頭部を破壊したと思われる。十時七分、マキューラの生死観察を開始されたし。どうぞ」

『こちら北陸指令局。生死観察を開始する。十時三十七分に帰還されたし。以上』

 花柳が顔を上げ、呟く。

「犬飼くん。あなたは良い隊員になれる」

「……どうも」

 それは賞賛と呼ぶにはあまりに苦々しいやりとりだった。花柳は汐見を一瞥した後、精悍な顔つきをした男のもとへ近寄った。そして、両腕を差し出す。

「月野さん。北陸第四の花柳です。私が、兎羽隊員を殺害しました」


 帰還した汐見隊を待っていたのは、数多の取り調べだった。めまぐるしい疲労の中で、神鳥は汐見に呼び出された。事件からは一週間、マキューラの駆除判定からは五日が経過していた。

「珍しいですね、飯なんて」

 個室の居酒屋で、まだ開店直後のためか、客はまばらだった。

 神鳥は串から焼き鳥を一個一個取り外す。皿の上にばらばらと、もも肉が乗った。

「礼を言えてなかったからな。私は、お前ほど頭が働かない。事実を突き止めてくれてありがとう」

「あの状況で作戦遂行する胆力こそ、俺にはないです。礼代わりに教えてください。なんで先に、犯人を指摘するよう指示したのか」

 花柳が犯人だと分かった時点で、神鳥は、それを伏せる気でいた。自棄を起こして狙撃を放棄されるのを恐れたのだ。だが、汐見の思惑は違った。「任務を果たしたらそのまま飛び降りて死ぬかもしれないからな。すぐに拘束できる状況にしたかった。結局観念したのか、無茶はしなかったが」

「花柳が狙撃を完遂すると、信じたんですか」

 汐見はビールをあおった。

「推理に異論はなかった。だが動機が気になった。なんで花柳は、リスクを負って密室を作ったのか」

「アリバイ作りですよ」

「それにしたってリスクが高い。だから腑に落ちなかった。花柳に全部聞いてきたよ。あいつは自分のアリバイを確保したかったんだ」

 七時以降、犬飼と花柳は一緒にいた。つまり目論見通りにいけば、確かに二人とも無実を主張できる。

「あいつの言葉をそのまま言おう。『憎いだけなら、本土で殺す』。花柳は、兎羽さんの過去を知ってしまったらしい。兎羽さんが話したんだ――自責の念か、うっかり口を滑らせたか。轟市で花柳が家族を亡くしていることまでは、知らなかったんだろうな。そしてそのまま、殺した」

「分かりません。憎い以外に殺す理由がありますか。それも、災害獣駆除の真っ最中に」

「花柳は兎羽さんのことを信用できなくなった。そう言っていた」

 轟市。功名心に惑わされた兎羽は、判断を誤った。結果、花柳の家族が死んだ。汐見は何度も、花柳の言葉を反芻していた。

 ――狙撃手の世界は観測手が作るんです。その観測手を信用できなくなったら、盲目で撃つのと同じです。あれが、次善の策だった。

 まさか、と神鳥は気が付く。

。兎羽さんを殺して犬飼と自分を安全圏に置けば、狙撃の補助ができるオペレータと、狙撃手自身が無実と分かれば……作戦続行の可能性が高くなる。それでも、無茶だ」

「だがその無茶を成し遂げた。いや、花柳の中では、無茶どころか勝算の高い策だったかもしれない。お前の推理を聞いてからこの可能性は浮かんでいた。そこまで狙撃に固執するなら、告発されても完遂する。そう考えた」

 花柳は確かに死ぬつもりだっただろう、と神鳥は思った。だがどちらにせよ、彼女は隊員に戻れない。特務課から、狙撃手は失われた。

 誰かが店に入ってきて、涼風が流れ込む。阿鹿島の熱気を、神鳥はもう忘れかけていた。

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