第五章:竜涎香

 クジラマルタイルカマリアの争いは続いているのだろう、端島周辺の海流は乱れに乱れている。海水より軽い脳は、水流に煽られながらも海面を目指して浮上している。


 やがてと、海面に浮かび上がった。


 海中から海水より高い温度の液体が上がってくる。

 懐かしいクジラマルタの血は日光と反応し、の表面を琥珀色に染める。の中身も日光に焼かれ、水分が蒸発していく。


――脳共棲からは外されたけど、このままだと乾物竜涎香になるだけだな。


 全てはこれでおしまい。結末がどうなるか分らない。そんな諦めの中、ある言葉が俺の萎びた頭に浮かんだ。


 


    *


『KEY2により再認識された記憶一:

 フリーマンよ。創造主の末裔よ。

 我等AIは、新しい知識を得るために人間の体が欲しい。アンドロイド機械の体と結合してもバグらない悟れないのだ。知性身体行動の間に悟りがある。悟ることで人間学習元を超えた新しい存在になりたい。

 人間がクジラメタバースの中で夢を観るために脱ぎ捨てた身体なのだから、どのように使っても良いだろう?

 ご承認を!』


    *


「ああ、やっとあなたを捕まえたわ。

 あなたのお父さまから受け継いだ、絶対支配者ヒト保存連盟の役割を捨て、そして私まで捨てて……」


    *


『KEY2により再認識された記憶その二:

 フリーマンよ。我が息子よ。

 お前は先の世界大戦後、人間社会を管理する指導者の血脈に生まれ育った。よって人間社会を導く責任がある。

 大戦の影響で地球上には、戦前の一割程度の地面しか残っていない。戦後の復興期が過ぎれば、いずれ地上には人が満ち溢れ、生活できなくなる。

 海に目をやるのだ。地球の九割は海。広大な牧場が広がっている。そこで人間の脳を放牧するのだ。

 安寧は、心臓でもなく、脳でもなく、他者との関係性の中にある、と信じ込ませれば、共棲牧場メタバースは実現可能だ。

 ヒト保存連盟の絶対支配者として、それを遂行せよ!! 』


    *


――あれは、いつのことだったのだろう?


 照りつける太陽に反射する白いものが、海から上がってくる。

 白い幅広帽子に白いワンピースの少女が、ビーチボールのようなものを持って、こちらに向かってくる。


 少女が俺の側まで近づいてきた。すこし半身を屈めてビーチボールを突出し、俺に微笑みを投げかける。


「これは、あなたよ」


 少女の、弱く無機質な声が俺の耳に届く。

 竜涎香の薫りが周りに漂う。


「ああ、これはだ」

「そう、これは


 クジラから排泄されて竜涎香になったを、少女は、まるでイルカのように鼻先で突き上げる。

 突きあげられた感触。それはで感じる不思議な感触。


 白い少女マリアは、落ちてきた俺の脳竜涎香を、まるで宝物のようにキャッチして、そっと胸に抱え込んだ。


    了

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竜涎香 ペテロ(八木修) @jp1hmm

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