第1話 コーヒーか紅茶か
休憩室には、二種類の平和がある。
静かな平和と、うるさい平和。
そして今日は――うるさい方だった。
「休憩の飲み物は、コーヒー。以上。正義!」
ミドリがマグを掲げた。湯気が拳を突き上げているように見える。
「いきなり“以上”は乱暴だよ……」
ナナミはティーカップを両手で包んで、香りを吸い込む。
「紅茶もいいよ。落ち着くし、香りのリラックス、コーヒーに負けない。やさしさ!」
「やさしさで眠気は飛ばない!」
ミドリが即答した。
「コーヒーは眠気が飛ぶ。しかも香りで癒される。つまり“強い”と“やさしい”両取り。正義!」
「紅茶もカフェインあるよ……?」
ナナミの声が、ほんの少しだけ鋭くなる。かわいい鋭さ。
「“足りない”って決めつけないで。紅茶もちゃんと効く。やさしさ!」
「でもコーヒーの方が“効く顔”してる!」
「顔で決めないで……!」
ミドリは畳みかける。
「あとアレンジ! ミルク! 砂糖! シロップ! “休憩の夢”が詰まってる!」
ナナミも負けずに返す。
「紅茶はもっとできるよ。ミルクティー、レモン、スパイス、フレーバー。
アレンジって言葉、紅茶の辞書に載ってる。やさしさ!」
「載ってないよ! 辞書に感情入れるな!」
「コーヒーだって“正義”載ってないよ!」
テーブルの上で、マグとカップが無言の睨み合いを始める。
「で、決定打!」
ミドリが胸を張った。
「ご主人もコーヒー好きだし!」
「本来は紅茶派だよ!」
ナナミが食い気味に噛みつく。
「“本来は紅茶”って言ってたもん!」
「“最近はコーヒー”って言ってた!」
「“昔から紅茶”って言ってた!」
「“浅煎りが好き”って言ってた!」
「それコーヒーの話だけじゃないよ!」
「“紅茶も好き”って言ってた!」
「それ私の勝ちじゃん!」
引用が増えて、意味が減っていく。
「……ミナト呼ぶ?」
ナナミが小さく言うと、ミドリが即座に頷いた。
「呼ぶ。揉めたらミナト。正義!」
「それ正義じゃなくて、外注……」ナナミがぼそっと言った。
数分後。
「呼ばれた気がした。……っていうか、胃が呼ばれた気がした」
ミナトが入ってきた瞬間、空気が「会議」に化ける。休憩室なのに。
「議題!」ミドリ。
「コーヒーが正義かどうか!」
「紅茶も正義かどうか!」ナナミ。
「……はい」
ミナトは静かに頷いて、指を二本立てた。
「論点は二つまで。今日は『効き目』と『香り』。以上。どうぞ」
「効き目ならコーヒー!」
「香りなら紅茶!」
「香りならコーヒー!」
「効き目なら紅茶も負けてない!」
「でも“勝った感”が違う!」
「勝った感、休憩にいらないよ!」
ミナトが手を上げる。
「待って。香りは両方ある」
次に、もう片手を上げる。
「効き目も両方ある」
そして、ため息が一つ増える。
「つまり――」
「つまりコーヒー!」
「つまり紅茶!」
「つまり“好み”!」
ミナトが言い切った。
「好みは勝敗が出ない。だから結論は出ない。仕様にぴったりだね」
「仕様に乗るな!」ミドリ。
「でも、ここ“アトリエ・プラス”だよ?」ナナミ。
「仕様で逃げるな!」ミナト。
そのとき、休憩室の隅で黙っていた筆子が、すっと立ち上がった。
音が消える。全員の口が、なぜか一拍止まる。
筆子はこういう時だけ、場の空気を切れる。
筆子はミドリのマグとナナミのカップを、並べて置いた。
きれいに。等間隔に。逃げ場がない配置で。
「……まだ揉めてたの」
「揉めてない! ディベート!」
「ご主人の好みが――」
ミドリとナナミが同時に言いかけたところで、筆子が首をかしげる。
ほんの少しだけ、意地悪に。
「ご主人、どっちも好きだけど。知らないの?」
「ぐっ……」
「……っ、知ってるし……!」
二人の声が、同時に小さくなる。
ミナトが無言で頷いた。はい、ここで終わりの頷き。
筆子は淡々と続けた。
「結論:両方。 どっちも用意して、飲みたい方を飲む。
アレンジも、どっちもできる。
カフェインだけが目的なら、どっちでもいい」
そして、最後の一撃だけ落とす。
「それと――取りすぎは良くない」
ミドリがマグを見て、ナナミがカップを見る。
二人そろって、ちょっとだけ黙る。
筆子が言った。
「今日の一言」
カフェインはほどほどに。
休憩室に、ようやく“休憩”が戻ってきた。
ミドリはむくれながらコーヒーを一口。
ナナミも負けじと紅茶を一口。
ミナトは、胃をいたわるように空気を一口――できればよかったのに、と思っていた。
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アトリエ・プラス 〜今日の一言だけ決めよう〜 ネコ屋ネコ太郎 @kinpika4126
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