第2話 依存者(ジャンキー)の最初の一歩

スマホの画面が、いつもより近くに感じた。


 通知が来たわけでもない。

 アプリを開いた覚えもない。

 それでも、画面の奥から見られている感覚だけが、はっきりと残っている。


 指が、勝手に動いた。


 ホーム画面の隅に、見覚えのないアイコンが増えている。

 「黒い塔のシルエット。」

 そう自分でささやいてアプリを開いた

 タイトルも説明文もないのに、それが“入り口”だと直感でわかった。


 押した瞬間、音はしなかった。

 代わりに、世界の輪郭が一瞬だけ歪む。


 床が遠のき、体の重さが消える。

 落ちているはずなのに、風は感じなかった。


 次に目を開けたとき、俺は知らない場所に立っていた。


 空はあるのに、太陽がない。

 遠くに伸びるのは、建物じゃない。

 天を突き刺すような、一本の塔だった。


 ——ここが、タワー。


 喉が鳴る。

 逃げろ、という本能と、進め、という衝動が同時に体を引っ張った。


 そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。


 画面に浮かんだ文字は、短い。


 《依存レベル:測定中》


 そして、理解してしまう。

 ここでは、強さじゃない。

 どれだけ何かに縛られているかが、力になる世界だということを。


「さぁ第二戦を始めよう。」


 スマホの画面が、白く点滅した。


 《依存レベル:測定開始》


「……測定? 何をだよ」


 問いかけても、答えは返ってこない。

 代わりに、画面に円形のゲージが現れ、ゆっくりと回り始めた。


 胸の奥が、ざわつく。

 考えないようにしていた記憶が、勝手に引きずり出される。


 閉じられたドア。

 画面を見続けて現実から逃げていた、何百時間。


 ゲージが、急に跳ね上がった。


 《依存対象:スマートフォン》

 《依存度:極めて高い》


「……ふざけるな」


 思わず声が漏れる。

 依存している自覚はあった。

 でも、それをこうして突きつけられると、心臓を直接掴まれた気分だった。


 次の瞬間、画面が割れた。


 正確には、割れた“ように見えた”。


 ガラスの向こうから、黒い影が溢れ出す。

 指先に、じんわりと熱が集まっていく。


「っ……なに、だ……」


 スマホを握る右手が、震えながら光を帯びた。

 画面に映っていたアイコンや通知が、粒子みたいに剥がれ落ち、空中で再構築される。


 ——繋がっている。


 目に見えないはずの“線”が、見えた。

 空間のあちこちに、細い光の糸が張り巡らされている。


「……人、か?」


 遠くに、誰かが立っている。

 人影はあるのに、顔がぼやけて見えない。


 俺が糸に意識を向けた瞬間、スマホが震えた。


 《能力発現:リンク視(リンク・サイト)》

 《依存対象と対象者を接続します》


「能力……?」


 言葉にした瞬間、理解した。

 あの人影と俺は、同じ糸で繋がっている。


 近づくと、相手もこちらを見た。


 虚ろな目。

 手には、俺と同じスマホ。


「……あんたも、依存者か」


 声をかけると、相手は一瞬だけ反応した。


「……帰りたい」


 それだけ言って、視線を逸らす。


 糸が、さらに濃くなる。

 胸の奥に、相手の感情が流れ込んできた。


 焦燥。

 恐怖。

 そして、諦め。


「待て。ここから、出る方法を——」


 言い終わる前に、背後で別の気配が動いた。


 重たい足音。

 糸が、歪む。


 振り向いた先にいたのは、さっきの人物とは違う。

 立っているだけなのに、空気が軋んでいる。


 そのスマホ画面には、赤い警告が点滅していた。


 《依存レベル:暴走域》


 相手が、笑った。


「……新人か」


 低い声が、舞台に反響する。


「ここはな、

 依存を捨てられないやつから、喰われる場所だ」


 俺は、スマホを握り直す。


「……悪いな」


 指先の光が、糸を強く引き寄せる。


「俺は、お前に戦いを挑みに来ただけだ」


 ——逃げる気は、最初からなかった。


赤い警告が、相手のスマホ画面で脈打っていた。


 《依存レベル:暴走域》


 空気が重い。

 ただ立っているだけなのに、胸が押し潰されそうになる。


「新人は大体、最初に死ぬ」


 男は笑いながら、一歩踏み出した。


「ここでな」


「……脅しのつもりか」


 喉が乾いているのに、声だけは意外と落ち着いていた。

 逃げ道を探す余裕はない。


「脅し? 忠告だよ」


 男のスマホから、黒いノイズみたいなものが溢れ出す。

 糸が、狂ったように絡み合う。


「お前、自分の依存対象を見ただろ?」


「……見た」


「なら分かるはずだ。

 大事なものほど、ここじゃ弱点になる」


 男が、俺を指差す。


「特に――家族はな」


 心臓が、跳ねた。


「……何が言いたい」


 男は、にやりと口角を上げる。


「お前の妹、

 俺、知ってるぜ」


 一瞬、世界が止まった。


「……は?」


「裏世界の舞台じゃ、そこそこ有名だ」


 男は肩をすくめる。


「よく泣くくせに、逃げなかった。

 壊れそうなのに、妙に目が死んでない」


 視界が、赤く染まる。


「……どこで会った」


「下層だよ。

 “保護”って名目で連れてこられた連中のエリアだ」


 拳が震える。

 糸が、勝手に男へと伸びる。


「嘘だったら、殺す」


 自分でも驚くほど、低い声が出た。


「はは、いい目だ」


 男は楽しそうに笑った。


「でもな、新人。

 妹を取り戻したいなら、俺を倒せ」


 男が、地面を蹴る。


 次の瞬間、衝撃が走った。


「っ——!」


 避けきれない。

 肩に、黒い塊が直撃する。


「ぐ……!」


 体が、吹き飛ぶ。

 地面を転がりながら、スマホを離さないよう必死に掴む。


「能力の使い方も知らねぇのに、

 助けに来たつもりか?」


 男が、ゆっくり近づいてくる。


「妹はな、

 強い依存があるから生き残ってる」


「……黙れ」


 息が荒い。

 視界の端で、糸が激しく揺れている。


「依存は力だ。

 でも制御できなきゃ、ただの餌だ」


 男が、腕を振り上げた。


「お前も、妹もな」


 その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


 妹の声が、頭の中で重なる。


『お兄ちゃん、ごめんね』


「……謝るな」


 俺は、スマホを強く握りしめる。


「俺が——迎えに行く」


 糸が、一本に束ねられる。

 男と俺を繋ぐ線が、限界まで張り詰める。


「能力ってのはな……」


 俺は、震える声で言った。


「奪われたものを、取り返すためにあるんだろ」


 光が、爆ぜた。


光が弾けた、その直後。


男が、地面を蹴った。


「——来る!」


 反射的に身構えた瞬間、黒い影が視界を埋め尽くす。


「遅い」


 腹に、重い衝撃。

 息が詰まり、体が宙を舞った。


「ぐっ……!」


 背中から床に叩きつけられ、視界が揺れる。

 それでも、スマホだけは離さなかった。


「新人はな、まず“痛み”から教えられる」


 男は悠々と歩み寄ってくる。

 スマホ画面には、赤い警告が明滅していた。


 《依存レベル:暴走域》


「ここじゃ、覚悟のない依存は——餌だ」


「……黙れ」


 立ち上がろうとして、足が震える。

 糸が見える。

 俺と男を繋ぐ、濁った一本の線。


「まだ分からないか?」


 男が腕を振ると、糸が鞭みたいにしなり、空気を裂いた。

 男の右手から肩に糸を引いた直線の一撃が入った


「依存は力だ。

 だが制御できなきゃ、自分を食い潰す」


 次の一撃。

 血潮が飛ぶ。


「っ……!」


 相手が歯を食いしばる。

 自分も歯を食いしばって次の一撃にかけた。

 痛みより、恐怖より——頭に浮かぶのは妹の顔だった。


「……あんた」


 息を整えながら、睨み返す。


「俺の妹を知ってるって言ったな」


 男の口元が、歪む。


「ああ」


 その一言で、胸の奥が燃え上がった。


「下層で見た。

 泣きながら、それでも立ってた」


 糸が、強く揺れる。


「……どこだ」


「今は、上だ」


 男は、天井を指差した。


「ヒロイン枠としてな」


 一瞬、思考が止まる。


「……ヒロイン?」


「物語には役割がある」


 男は、嗤った。


「主人公。

 敵。

 そして——守られる存在だ」


 世界が、歪む。


「ふざけるな……!」


 怒りに反応するように、糸が光を帯びた。


 スマホが、激しく震える。


 《リンク視:過負荷》


「おっ、やっと分かったか」


 男が、最後の一撃を放つ。


「妹を取り戻したいなら——」


「——俺を越えろ!」


 俺は、糸を掴んだ。


 見えないはずの線を、確かに“握った”。


「っ……!」


 引き寄せる。

 全力で、感情ごと。


 男の動きが、一瞬止まる。


「な……!」


 その隙を、逃さない。


「俺は……!」


 声が、震える。


「物語の都合で、妹を奪われる気はない!」


 光が、爆ぜた。


 衝撃。

 男の体が、床を転がり、壁に叩きつけられる。


「が……っ……」


 勝った。


 そう思った瞬間、膝が折れる。


「……はぁ……はぁ……」


 辛勝だった。

 立っているのが、やっとだ。


 それでも、男はまだ息をしている。


「……教えろ」


 俺は、近づいて言った。


「ヒロイン枠って、何だ」


 男は、血を吐きながら笑う。


「……‘‘特別な存在‘‘だよ」


「‘‘タワー‘‘が、

 物語を続けるために必要な人間だ」


 嫌な沈黙。


「殺されない。

 でも、自由もない」


 糸が、ぷつりと切れる。


 男は動かなくなった。


 残されたのは、ひとつの事実だけ。


 ——妹は、囚われ人じゃない。

 この裏世界タワーの“舞台装置”に組み込まれている。


「……待ってろ」


 俺は、スマホを握りしめる。


「主人公だろうが、ヒロインだろうが……

 全部、俺が連れ帰る」


 塔が、低く軋んだ。


 まるで、

 次の幕を用意するみたいに。

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スマホ依存ニートですが、裏世界で超能力バトルに巻き込まれました @hiiragishathi

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