第22話

 その後はバーガー屋が時間帯もあってか割と空いていたので居座り続け、夕方近くに解散となった。

 一人で家に帰りながら思うのは、佐藤さんの距離感についてだ。


「あれは多分、エタファン世界の感じを引き摺ってるな……」


 やたらと距離が近いから、ひょっとして佐藤さんは俺のことが好きになってるんじゃないかと思ったが、ぬか喜びしないよう慎重に様子を窺ったところ、別にそういうわけでもなさそうだという結論に至った。


 エタファン世界ではとにかく必死で、あまり細かいことを気にしていられない。

 フラフラになりながら肩を貸して歩くこともあれば、怪我の具合を見るために服をペロンと捲ってみたり、戦闘の際にうっかり際どい部分に触れてしまったりと、いわゆるラッキースケベ的な展開は割と多かったりする。

 しかし空腹と疲労に追い込まれながら常時臨戦態勢でいる必要があるあの世界では、佐藤さんどころか俺ですら距離感というものは意識の外に追いやっていた。


 とはいえ俺の方は日本に戻ってから、「そういえばあのときは……」などと思い出したりもするのだが……。

 とにかく佐藤さんは、そんなエタファン世界での距離感のまま俺と接しているのだろう。

 危うくそれに引っ掛かってしまうところだった。やはり佐藤さんは魔性の女だ。


「ま、それも今日までかもしれないんだが」


 今日の盗みの成果次第では、あちらの世界での生活にも少しはゆとりが生まれるだろう。

 そうすれば、今まで気にしてなかったことが頭の片隅によぎる程度の余裕ができるかもしれない。自然と適切な距離感に落ち着くはずだ。


 ラッキースケベ消滅を少し残念だと思うものの、それは日本での生活に余裕があるからに他ならない。

 昼に味が濃くて脂っこいジャンクフードを食べ、夜は栄養のバランスが整えられた多彩な料理を食べ、シャワーを浴びてふかふかのベッドで眠る。そりゃ余計なことを考えてしまうというものだ。


「うおお……」


 エタファン世界で目覚めると同時、強烈な飢餓感のようなものが襲い掛かってくる。何もかもが満ち足りていた日本の俺の体との落差が凄まじい。

 飢餓感のようなものと表現したのは、厳密には飢餓感ではないからだ。腹はジャガイモで満たされている。

 足りないのはとにかく肉と塩だ。あと多分ビタミンやミネラルの類も色々足りていないはず。

 この倦怠感に慣れるまで寝転がって待っていると、すぐ隣に佐藤さんがパッと現れた。


「あ、うあああ……」


 佐藤さんは登場するなり苦悶の声を上げている。

 きっと佐藤さんの脳内で、あれが足りないこれが足りないとアラートがギャンギャンに鳴らされているんだろう。


「……うーっす」

「あ、鈴木くん。おはよー……」


 今日は大一番なので、起き上がって軽く準備運動を行う。

 西の空はほんのり赤いが、頭上はもうすっかり暗く、今まさに夜になったところか。

 村に侵入して鍋と塩を盗むという予定を立ててはいるものの、迂闊に近付けないため下見などは全くしていない。

 そのため多少時間がかかることが予想されるので、夜になったならすぐに村に向かわなければならない。


「じゃあ佐藤さん、行ってくる」

「っ……! 鈴木くん……」


 <気配遮断>を使用し、いざ出発しようとしたところで、佐藤さんが慌てた様子で飛び起きた。

 俺一人を危険な場所に向かわせる罪悪感からか、はっきり顔が強張っている。


「佐藤さん、なんか俺より緊張してないか?」

「だ、だって……!」

「まあ気楽に待っててくれ。場合によっては下見だけして帰ってくるつもりだし」

「うん、安全第一だよ」


 心配そうな佐藤さんに見送られて、村の方へ向かって歩き出す。

 死んだところで本当に死ぬほど痛くて死ぬほど辛くて、さらに日本ですごく嫌な気分で目が覚めるだけなのだが……実際今日は安全第一でいきたいと考えている。


 恐らく一度侵入して失敗してしまえば、警備が強化されて再度の侵入は格段に難しくなるだろう。

 どうせ警備を担当するのはただの村人だろうから、一ヶ月も経てば警戒も緩むとは思うが、今の状態で暢気に一ヶ月も待つのは不可能だ。

 できれば今日、それが無理なら明日にでも何らかの成果を得たい。

 そのためには今日のところは下見に留めて、明日万全の体勢で臨むという選択肢も有力になってくる。


 さすがに暗くてはっきりとはわからないが、恐らく村まであと一キロぐらいの距離まで近付いた。

 前回来たときは気にも留めなかったが、この辺りから先はずっと畑が続いている。植えているのは恐らく麦で、立派に成長していて収穫も間近といったところか。


 村人の数はゲームより随分増えていたが、これだけの広さがあれば食っていける程度の収穫はありそうだ。

 村の中心部に家が密集して、その周りに畑というのは奇妙な配置に思えるが……これは神が中途半端にゲームを再現した結果こうなったんだろうか。


「……ん?」


 いや、こんな広い畑が必要か?

 ここまでやる労力と時間をジャガイモ狩りに回せば、とんでもない収穫量になるに違いない。それをしないということは何か事情があるのだろうか。

 俺を取り押さえてきた村人の強さならば、ジャガイモ男爵相手に後れを取ることはないはずだ。


 そんなことを考えながら畑道を進み続けていると、いよいよ村が近くなってきた。ここからはより慎重に、物音一つ立てないようにしなければならない。

 村は高さ二メートルほどの木でできた柵で囲われていて、俺が侵入しようとしている村の東側には物見台というのか、櫓のような建物も一つある。そこには見張りが一人常駐していて、かがり火まで焚かれていた。

 村の東にはただの草原しかないというのにこの警戒度の高さは、以前聞いた誰かと揉めているという話はなかなか深刻なのかもしれない。


 ただ、その見張りの視線は随分遠くに向けられている。これは恐らく、遠くから来る集団を早期発見しようという目的で高い櫓の上にいるのだろう。

 つまり、一人でこそこそ忍び込んでくる奴を見逃さないようにするための警戒はしていない。

 麦畑の中をガサガサと歩くとさすがに気付かれそうなので、遠回りになるが畑の間の道を通って、櫓から離れつつ村の傍まで近付く。

 やはり記憶の通り簡素な柵で、ネズミ一匹の侵入も許さないといった設計ではない。上から乗り越えなくても、隙間からどうにか侵入できそうだ。


 まずはその隙間から村の中の様子を窺う。

 まだ夜になったばかりだというのに既に寝静まっているのか、どの家からも明かりが漏れていない。

 また、この村は柵の中に建物が密集してはいるのだが、それはあくまでも田舎の農村にしては、という但し書きが付く。それぞれの家の間隔は十メートル以上ありそうだ。

 綿密な都市計画、というか村計画に基づいて設計がされたわけではないようで、家は乱雑といっていい立ち並び方をしている。空いていた場所にそれぞれが好き勝手に家を建てたらこうなる、といった具合だ。

 

 これは俺にとっては悪くない。身を隠す場所には困らないだろう。

 村への侵入はじっくり機を窺って、と考えてはいたのだが、あまりにも人の気配が無さすぎる。このまま待っていても時間を浪費するだけのように感じたので、意を決して侵入開始だ。

 腰の高さにある柵の隙間に右足、右腕、そして頭から胴体を通し、次に左腕、左足と一つ一つの動作を慎重に確かめながらゆっくりと確実に行い、物音一つ立てずに村の中に入る。


「っ……ふーっ……」


 さすがに緊張してきたので、静かに一息深呼吸をする。

 ここからは一つのミスが即座に死と、今後の侵入に対する警戒を強めることに繋がる。うっかり枯れ枝なんかをパキッと踏んで見つかってしまう、などというありがちなミスを犯すわけにはいかない。


 身を屈めて足元に気を付けながら慎重に、なるべく暗い場所を移動して周囲の様子を確認する。

 やはりどの家からも人の気配を感じない。さすがに村全体が寝静まるのは早すぎるんじゃないかと疑問に思ったが、その答えは村の中心部にあった。


 立ち並ぶ家の間から少しだけ見える、村のど真ん中にある一際大きい建物。

 そこの窓からは煌々と明かりが漏れていて、さらに大勢の声や物音もかすかに聞こえてくる。

 さすがに明るい方へ近づくわけにはいかないので詳細はわからないが、ひょっとして村人はあの建物に集まっているんじゃないだろうか。つまり寝静まっているのではなく、そもそも家に誰もいない。

 ……だとするなら、今は望外のチャンスだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る