第3話 鋼鉄の姉御
月日は流れ、季節は四度巡った。
僕は十六歳になっていた。
「はぁぁぁぁッ!!」
深い森の開けた場所。
僕は
目の前にいた大熊の魔物が、その一撃を受けてどうっと倒れ伏す。
「ふぅ……。なんとかなった」
額の汗を拭いながら、僕は剣を鞘に納める。
使い古した鉄の剣は、今の衝撃でまた一つ刃こぼれを作っていた。
背も伸びたし、筋肉もついた。
村にいた頃のひ弱な自分とは違う。
この四年間、僕は一度も右腕の力を解放しなかった。
『精神が成熟するまでは、決してその力は使うな』
それが、師匠と交わした約束だった。
心が未熟なまま力を使えば、安易な力に溺れ、自分自身を見失ってしまう。
だから僕は、己の心を練り上げるように、あくまで「人間」として剣だけを振り続けてきたのだ。
だから僕の右腕には、今も変わらず分厚い包帯が巻かれたままだ。
「甘いわ、たわけ者!」
背後から飛んできた木の実が、僕の後頭部に直撃した。
痛っ、と振り返ると、師匠――ガルドが腕組みをして仁王立ちしていた。
四年経っても、この雷親父の迫力は全く衰えていない。
「倒した後に気を抜くなと何度言えばわかる! もし死んだフリをしていたら、今頃お前の喉笛は食いちぎられておるぞ」
「うう……ごめん、師匠」
師匠は呆れたように鼻を鳴らした後、ふと真面目な顔つきになって僕を見据えた。
「……アレンよ。お前ももう十六歳じゃな」
「え? うん、そうだけど」
「剣の腕も上がり、体もできた。……そろそろ、ここも潮時じゃろう」
師匠は遠くの空――森の外へと広がる空を指差した。
「旅に出るぞ、アレン」
「えっ……旅?」
「そうじゃ。……お前、ずっと気にしておったじゃろう。『本当の親は誰なのか』『なぜこんな腕をして生まれたのか』と」
「……ッ」
僕は息を呑んだ。
図星だった。
それは、あの村を出てから今日まで、僕が毎日自問自答し続けてきたことだ。
でも、捨て子の僕を拾ってくれた師匠に聞いたところで、わかるはずがない。
困らせると思って、一度も口には出さなかったのに。
「ここには何もない。真実を知りたくば、広い世界を見ろ。自分の足で歩き、多くのものを見聞きし……その果てに、お前自身の答えを見つけるんじゃ」
師匠の言葉が、胸に熱く響く。
井の中の蛙で終わるな。自分の運命と向き合え、と言われている気がした。
「……うん。行きたい。僕、知りたいんだ。自分が何者なのか」
「うむ。いい目じゃ」
師匠はニカっと笑い、僕の腰にあるボロボロの剣を指差した。
「だが、そのナマクラ刀で旅に出るのは自殺行為じゃな。まずは装備を整えねばならん」
「装備?」
「うむ。ここから一番近い都市……『城塞都市バルディア』へ向かう。そこで、お前に相応しい剣を調達するぞ」
「バルディア……!」
初めて聞く街の名前。
そして、初めて踏み出す外の世界。
不安がないわけじゃないけれど、それ以上に胸が高鳴っていた。
しかし、師匠の顔は険しい。
彼は僕の包帯だらけの右腕をじっと見つめ、厳しく言い放った。
「よいかアレン。バルディアは、『魔族狩り』に執心しておる街じゃ。住人の魔族に対する憎悪は尋常ではない。……お前のその腕が露見すれば、即座に処刑されるじゃろう」
「えっ……」
師匠の言葉には、重い覚悟が滲んでいた。
「絶対に右腕の力を使うな。正体を知られることだけは避けよ」
「は、はい! 守ります! ……じゃあ、なるべく目立たないように……」
「……勘違いするな。『コソコソ逃げ回れ』と言っておるのではないぞ」
「え?」
「お前は修行中の身じゃ。降りかかる火の粉を払わねばならん時もある。……その時、腕の力に頼らず、剣技だけで切り抜けてみせよ」
「……!」
「いかなる状況でも、己を律し、秘密を守り通して勝つ。……それがお前に課す『試練』じゃ。よいな?」
「はい、師匠!」
「よし。……では行くぞ」
僕は生唾を飲み込み、師匠の背中を追った。
新しい剣への期待よりも、緊張感が勝っていた。
僕はついに、外の世界へと足を踏み出すのだ。
そうして僕たちは住み慣れた隠れ家を後にし、山を降りた。
だが、その道中にある「霧の谷」で――さっそくトラブルに見舞われた。
「師匠ーっ! どこーっ!?」
濃い霧に巻かれ、僕たちはあっさりと
呼びかけても返事はない。
しまったな、と頭を掻いていると、霧の奥から湿っぽい獣の臭いが漂ってきた。
グルルルルゥ……。
現れたのは、豚の顔をした亜人――オークの群れだった。
それも三匹や四匹じゃない。十匹以上はいる。
「うわぁ、最悪だ……」
僕は剣を抜いて構える。
逃げようと思えば逃げられる距離だ。
でも、僕は足を止めた。
オークたちの足元に、一匹の小さな野兎が震えているのが見えたからだ。
どうやら、逃げ遅れたらしい。
「……見なかったことには、できないよな」
僕は苦笑して、野兎とオークの間に割って入った。
「グルァッ!」
オークたちが棍棒を振り回して襲いかかってくる。
僕は剣で受け流すが、数が多い。
一匹を弾き返しても、死角から別の棍棒が飛んでくる。
ガゴォッ!
「ぐっ……!」
脇腹に直撃をもらい、息が詰まる。
骨が一本、嫌な音を立てた気がした。
普通の剣術だけでこの数を相手にするのは限界だ。
(……右腕を使えば)
包帯の下の右腕が、熱を持って
解放すれば、こんな奴ら一瞬で消し飛ばせる。
でも、師匠との約束がある。
『安易な力に溺れるな』
それに何より、僕はもう二度と、誰かに「化け物」と呼ばれたくなかった。
(意地でも……人間として勝つ!)
僕は歯を食いしばり、泥だらけになりながら剣を振るい続けた。
肩を殴られ、足を斬られ、視界が血で滲む。
それでも、後ろの小さな命を守るために、一歩も引かなかった。
だが、限界は唐突に訪れた。
「はぁ……はぁ……ッ、ぐぅ……!」
肺が焼けつくように熱い。
喉の奥から、鉄の味がした。
何度も棍棒を受け止めた腕は、感覚がないほど痺れ、握っている剣が岩のように重く感じる。
額から流れる血と汗が目に入り、視界が赤く歪んだ。
(動け……動いてくれ……!)
脳からの命令を、体が拒絶する。
ガクン、と膝の力が抜けた。
まるで操り人形の糸が切れたように、僕は泥まみれの地面へと崩れ落ちた。
その瞬間――。
「グググ……ッ!」
嘲笑うような唸り声と共に、分厚い肉の壁が僕を取り囲んだ。
前後、左右。
逃げ場は完全に塞がれた。
視界を埋め尽くすように、四方八方から無骨な棍棒が一斉に振り上げられる。
空が、オークたちの影で覆い隠された。
(――あ、ダメだ)
どう足掻いても、防御が間に合わない。
僕はギュッと目を瞑り、訪れるはずの激痛に身を固くした。
そう覚悟した、その時だった。
ドゴォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃音が響き、目の前のオークたちがまとめて吹き飛んだ。
まるで、巨大な暴風雨が通り抜けたかのように。
「あ、れ……?」
土煙の中から現れたのは、身の丈ほどもある巨大な鉄塊――「大剣」を軽々と肩に担いだ、一人の女性だった。
長い赤髪をポニーテールに束ね、露出の多い革鎧を着ている。
その顔立ちは美しいが、鋭い瞳は猛獣のように獰猛だった。
「おいおい、オーク風情が群れてんじゃないよ。アタシの通り道だ、どきなッ!」
女性が大剣を一閃させる。
ただの横薙ぎ。
それだけで、残っていたオークたちが木の葉のように空へ舞い上がった。
圧倒的な暴力。
あっという間に敵を全滅させた彼女は、ふぅ、と息を吐いてこちらを向いた。
「おい、そこのボロボロの坊主」
「へ、はい!?」
「なんで逃げなかった? その程度の腕なら、死ぬってわかってただろうに」
彼女は呆れたように僕を見下ろした。
僕は痛む体を引きずりながら、背後を振り返った。
そこには、無傷のまま、驚いたように鼻をヒクヒクさせている野兎がいた。
「……この子が、逃げ遅れてたから」
僕がそう答えると、彼女は目を丸くした。
そして次の瞬間、ケラケラと豪快に笑い出した。
「ハハハハッ! なんだそりゃ! 自分の命より兎一匹を守ったってのかい? こりゃまた、とびきりの馬鹿だねぇ!」
彼女は笑いながら僕に近づき、バシッ! と背中を叩いた。
激痛に僕がのたうち回ると、彼女はニヤリと笑った。
「嫌いじゃないよ、そういう馬鹿は」
「え……?」
「アタシはミレイユ。見ての通り、通りすがりの傭兵さ。……あーあ、見ちゃいられないね。ほら、貸しな」
ミレイユさんは強引に僕の腕を掴むと、手際よく傷の手当てを始めた。
そこへ、遅れて師匠が駆けつけてきた。
「アレン! 無事か!?」
「あ、師匠……」
「む……? その女、何者だ」
師匠が警戒して剣に手をかける。
すると、ミレイユさんは不敵に笑って言い放った。
「挨拶より先に剣に触るとは、随分と余裕のない爺さんだね」
「なんじゃと?」
「まあいいさ。この坊主、気に入ったよ。この谷を抜けるってことは、行き先はバルディアだろ?そこまでアタシが護衛してやる。拒否権はないからね!」
「はぁ!? 何を勝手に……」
「いいから行くよ! ほら坊主、立てるかい?」
ミレイユさんは僕を軽々と背負い上げると、スタスタと歩き出した。
師匠は「待たんか、馬鹿者!」と叫びながら追いかけてくる。
背中で揺られながら、僕は苦笑いした。
なんだか、とんでもない嵐に巻き込まれちゃったみたいだ。
でも、不思議と悪い気はしなかった。
僕を背負うその背中は、鋼鉄のように
忌み嫌われた右腕が、誰かの希望になるまで ~正体を隠した半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~ 御影 零 @matuan
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