第6話 空からの観光客
風を切って降下する。
私の意識は今、緑色の小鳥「ピーちゃん」と完全に同調していた。
眼下に広がるのは、石造りの街並み。
まずは、一番人が多くて賑わっていそうな、中央の大通りを目指してみよう。
高度を下げ、建物の屋根スレスレを滑空する。
途端に、様々な「音」と「匂い」が飛び込んできた。
「ピ!(うわぁ、すごい活気!)」
そこは、まさにお祭り騒ぎだった。
石畳の大通りの両脇には、色とりどりの天幕を張った露店がずらりと並んでいる。
ジュウジュウと肉を焼く香ばしい煙。
独特のスパイスの香り。
「安いよ安いよ!」「新鮮な薬草はいらんかね!」という呼び込みの声。
そして何より私を興奮させたのは、そこを行き交う人々だった。
人間だけじゃない。
屋台で串焼きを買っているのは、頭の上にふさふさした獣の耳を生やし、お尻から尻尾を揺らしている女性――獣人だ。
その隣で酒樽を担いで歩いているのは、背は低いけれど横幅が広く、立派な髭を蓄えたおじさん――ドワーフだろうか。
さらに、人混みを縫うように颯爽と歩く、すらりと背が高く、耳の先端が尖った美しい人たち――エルフまでいる。
「ピ、ピピ!(ファンタジーだ! 本物のファンタジー世界だ!)」
すごい。映画のセットじゃない。コスプレイベントでもない。
ここでは、多種多様な種族が当たり前のように共存し、笑い合い、商売をしている。
馬車がガラガラと車輪を鳴らし、その横をトカゲのような生き物に跨った冒険者が通り過ぎていく。
私は建物の看板の上にちょこんと止まり、その光景を眺めた。
見ているだけで飽きない。
一通り市場の多種族ウォッチングを楽しんだ私は、再び翼を広げた。
次は、少し雰囲気の違う場所へ行ってみよう。
街の奥、少し小高い丘になっているエリアへ向かう。
そこは、空気が一変した。
市場の雑多な喧騒は遠のき、代わりに優雅な静寂が漂っている。
建物の一つ一つが大きく、白い大理石のような素材で造られていて美しい。
手入れの行き届いた庭園には噴水があり、キラキラと水を吹き上げている。
通りを行くのは、豪奢な装飾の馬車や、絹のドレスを纏った貴婦人たち。
巡回する兵士の鎧も、どこかピカピカして見える。
「ピ……(まるで中世ヨーロッパの貴族社会みたい)」
綺麗だ。ゴミ一つ落ちていない。
文化レベルはかなり高そうだ。
これだけ豊かな生活ができているなら、人類滅亡なんてまだまだ先の話かもしれない。
私は噴水の縁を一瞬だけかすめて飛び、水遊び気分を味わった。
なんだ、心配して損した。
人間たち、結構余裕があるじゃないか。
私は安心して、今度は街の外れの方へ旋回した。
街の構造を把握するためにも、端の方も見ておかないと。
そんな軽い気持ちだった。
けれど、路地裏に入り込んだ瞬間、私は後悔することになった。
「ピ……?(くさっ……)」
鼻をつく悪臭。
生ゴミと、汚水と、何かが腐ったような臭い。
建物はボロボロで、窓ガラスは割れ、洗濯物が乱雑に干されている。
スラム街だ。
道端には痩せこけた人々が座り込み、虚ろな目で宙を見つめている。
種族など関係なく、そこには貧困という共通の色が広がっていた。
その時、路地の奥から怒鳴り声が聞こえた。
「あぁ!? これだけかよ! 舐めてんのか!」
「や、やめてください……本当に、これしか……」
三人の男が、一人の小柄な少年を取り囲んでいた。
男たちは汚れた服を着て、手にはナイフや木の棒を持っている。
対する少年は、泥だらけで震えていた。
ドゴッ!
鈍い音が響く。
男の一人が、少年の腹を蹴り上げたのだ。
少年は「ぐぇっ」と蛙が潰れたような声を上げてうずくまる。
「隠してんだろ! 出せよ!」
「服も剥げ! 売れば金になる!」
男たちは笑いながら、うずくまる少年を何度も蹴りつけた。
抵抗できない弱者を、寄ってたかって痛めつける。
そこにあるのは、魔獣の捕食行動よりももっと陰湿で、悪意に満ちた暴力だった。
「…………」
私は建物の屋根の上から、その光景を冷めた目で見下ろしていた。
うわぁ……。
引くわ。ドン引き。
外には人類の天敵がいるっていうのに、中ではこうやって足の引っ張り合い?
魔獣は生きるために食べるけど、こいつらは欲望や憂さ晴らしのために同族を傷つけている。
どっちが野蛮なんだか。
助ける?
まさか。
関わりたくない。
あんな野蛮な連中と関わり合いになったら、どんなトラブルに巻き込まれるか分かったものじゃない。
もし私が人間の姿でここに来ていたら、標的にされていたかもしれないのだ。
「ピ(……帰ろ)」
私はそっとその場を離れた。
決めた。私は絶対にこの街には来ない。
市場のご飯は美味しそうだったけど、あの陰湿な悪意を見てしまった今、ここに移住したいとは微塵も思えなかった。
やっぱり、引きこもりが正義だ。
ツリーハウスこそが至高の楽園だ。
気分が悪くなった。
せっかくの観光気分が台無しだ。
このまま帰るのも後味が悪い。
どこか、静かで綺麗な場所で羽休めをして、気分をリセットしてからリンクを切ろう。
私は視線を巡らせ、街の中で一番高い建物を探した。
天を突くような尖塔を持つ、巨大な建物があった。
教会だ。
ステンドグラスが嵌め込まれた、荘厳な大聖堂。
あそこなら静かそうだ。
私は羽ばたき、大聖堂の尖塔を目指した。
高い場所にある、飾り窓の縁に降り立つ。
ここは風が通って気持ちいい。
下界の喧騒も、ここまでは届かない。
ふと、視線を下に向けると、少し気になった。
飾り窓の隙間から、教会の中が見えるのだ。
「ピ……?(人がいっぱい)」
広い礼拝堂。高い天井。
そこに、驚くほどたくさんの人々が集まっていた。
粗末な服を着た人も、豪華な服を着た人も、種族も性別も関係なく、皆一様に椅子に座り、前を見つめている。
ざわざわとした話し声はなく、不思議な静寂が満ちていた。
何かが始まるのだろうか?
私は首をかしげ、窓の隙間から、さらに身を乗り出して中を覗き込んだ。
その時、祭壇の奥から一人の人物が現れた。
純白の法衣を纏った、老齢の神父だ。
彼が祭壇の前に立つと、さらに空気が張り詰めた。
全員が息を呑み、彼を見つめる。
――カァァァン。
どこかで鐘が鳴った。
それを合図に、神父がゆっくりと両手を広げる。
厳かな儀式、あるいは祈りの時間。
私はその神聖な空気に惹きつけられ、帰るのも忘れてその様子に見入っていた。
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