第5話 空の遊覧飛行
異世界引きこもり生活、三日目。
私は愛犬のポチのお腹を撫でながら、ふと天井を見上げた。
「……ねえ、ポチ」
「クゥ?」
「もしさ、この世界の人間が全滅したら、私ってどうなると思う?」
ポチは首をかしげ、私の手をペロペロと舐めるだけだ。
可愛い。癒やされる。
この子の温もりと、エアコンの効いた快適な部屋。
ポテチはあるし、漫画もある。お風呂も入り放題。
今の生活は完璧だ。
不老不死だから病気の心配もないし、老後の不安もない。
まさに私が夢見ていた「究極のダラダラ生活」がここにある。
でも、ここ数日、脳裏をよぎる不安があった。
あの女神様のことだ。
彼女は確かに「適当によろしく」と言って私を放り出した。
やる気はゼロだったし、私に期待なんてこれっぽっちもしていないだろう。
だが、仮にも「世界を救う勇者」として召喚されたのだ。
その任務が、完全に失敗に終わったら?
例えば、あのアリみたいな魔獣が世界中を覆い尽くして、人間が一人残らず食い尽くされたとする。
そうなったら、私はどうなる?
「……用済み、だよね」
任務失敗。ゲームオーバー。
普通のゲームならタイトル画面に戻るだけだけど、ここは現実だ。
女神様は「キャンセル不可」と言っていた。
もし人類が滅んだら、「じゃあ君ももういらないね」と言って、スキルを没収されるかもしれない。
いや、それならまだマシだ。
一番怖いのは――放置だ。
人類がいない、話し相手もいない、魔獣だらけの荒廃した世界に、不老不死のまま永遠に取り残される。
あるいは、「世界が滅んだから空間ごと削除ね」となって、何もない真っ暗な虚無の空間に、死ねない体で永遠に漂うことになるかもしれない。
「ヒッ……!」
想像しただけで、背筋が凍りついた。
怖い。怖すぎる。
アリに食われるより、そっちの方がよっぽど怖い。
永遠の孤独。終わらない退屈。それは精神的な死だ。
「……まずい。それは非常にまずい」
私はガバッとベッドから起き上がった。
私のこの、至高のニート生活を守るためには、この世界そのものが存続してくれないと困るのだ。
別に魔王を倒して英雄になりたいわけじゃない。
ただ、「人類が全滅しない程度」には、頑張ってもらわないと。
「よし、現状把握だ。まずは人間がまだ生きているか確認しないと」
私は部屋の空中に向かって手をかざした。
イメージするのは、この周辺の地理情報。
――『森羅万象』、マップ表示。
フォン、という電子音のような音がして、私の目の前に半透明のウィンドウが出現した。
空中に浮かぶ、光の板。
そこには、上空から撮影したような精細な俯瞰図が映し出されていた。
中央にある青い点が、私の現在地だ。
周囲は深い緑色――森で覆われている。
「うわ、本当に便利」
私はスマホを操作する感覚で、ウィンドウの表面を指でなぞった。
スワイプすると地図がスクロールし、ピンチアウトすると縮小される。
森は広大だった。けれど、無限に続いているわけではない。
地図を北の方角へずらしていくと、緑色が途切れ、茶色の荒野が広がっていた。
さらにその先へ進む。
「……あった」
私の指が止まる。
荒野を抜けた先に、ひときわ目立つ人工物があった。
円形の高い城壁に囲まれた、灰色のエリア。
拡大してみる。
ピンチイン。 画像がググッとズームされる。
見える。
整然と並んだ建物の屋根。
城壁の上に立つ小さな影。
そして、中心にそびえる立派なお城のような建物。
「町だ……しかも、結構大きい」
距離にして、ここから数十キロといったところか。
森を抜ければ、そこまで遠くない。
壁があるということは、防衛機能が生きているということだ。
あの中なら、まだ人間が生存している可能性は高い。
「よし、目的地は決まった」
とはいえ、いきなり生身で行くのは論外だ。
道中にはあのアリがいるかもしれないし、他の魔獣がいるかもしれない。
安全確認もせずに外出するなんて、引きこもりの名折れだ。
私は視線を部屋の隅に向けた。
カーテンレールの上で、鮮やかな緑色の小鳥が羽繕いをしている。
昨日作った、偵察用の使い魔だ。
「頼んだよ、ピーちゃん」
私は再びベッドにゴロンと横になった。
目を閉じ、意識を集中させる。
『森羅万象』のパスをつなぐ。
私の感覚が、肉体から離脱し、別の器へと滑り込んでいく感覚。
――リンク、開始。
カッ、と視界が開けた。
さっきまで見ていた白い天井ではない。
目の前には、巨大なベージュの布――カーテンのひだが見える。
視線が低い。そして、色彩が鮮やかだ。
首を動かすと、ベッドの上でだらしなく寝転がっている「私」が見えた。
抜け殻の私だ。
「ピ!(よし、感度良好!)」
自分の口から出たさえずりに驚きつつ、私は翼を広げた。
窓は、小鳥が出入りできるよう数センチだけ開けてある。
私はそこに向かって飛び立った。
フワッ。
体が浮く。
重力から解き放たれる浮遊感。
VRゴーグルなんて目じゃない。
風の抵抗、羽ばたく筋肉の感覚、気流の動き。
すべてがリアルだ。だって、現実なのだから。
隙間をすり抜け、外の世界へ飛び出す。
「ピィィィィィ――ッ!(うわぁぁぁぁ、すごーい!)」
思わず歓声を上げた。
視界いっぱいに広がる青空。眼下に広がる緑の絨毯。
風が全身を撫でていく。
怖いと思っていた森も、上空から見ればただの美しい風景だった。
あのアリたちも、ここから見れば黒い豆粒にしか見えない。
私は風を捉え、北へ向かって加速した。
速い。
自分で走るのとは違う、三次元的な自由。
右へ左へ、気ままに旋回しながら、私は空の旅を楽しんだ。
これなら、ちょっとした観光気分だ。
安全な部屋で寝っ転がりながら、こんな絶景が見られるなんて、やっぱりこのスキルは最高かもしれない。
森を抜けると、景色は荒涼とした大地に変わった。
岩肌がむき出しになった荒野。
そこを一直線に飛んでいく。
マップで見た通り、しばらく飛ぶと、それは見えてきた。
「ピ!(見えた!)」
巨大な城塞都市だ。
灰色の石材で組まれた、見上げるほど高い城壁。
それが街全体をぐるりと囲んでいる。
壁の外側には深い堀があり、跳ね橋がかかっている。
典型的な、ファンタジーRPGに出てくる都のような佇まいだ。
私は高度を少し下げ、街の上空を旋回した。
ズームレンズのように視覚を強化する。
見える、見えるぞ。
城壁の上には、鎧を着た兵士たちが槍を持って見張りをしている。
街の中には、石畳の道路が網の目のように走り、煉瓦造りの家々が密集している。
大通りには、米粒のような人々が行き交っていた。
荷車を引く馬(のような動物)、屋台から上がる湯気、井戸端会議をする女性たち。
「ピ、ピピピ!(すごい、本当に人が住んでる! 生活してる!)」
感動で胸が高鳴った。
映画やゲームの中でしか見たことのない光景が、今、私の眼下でリアルタイムに動いている。
あそこには、文化がある。社会がある。
この数日、怪物と森しか見ていなかったから、この「人間の営み」を見るだけで、なんだか泣きそうなくらい安心した。
まだ、人類は終わっていない。
ちゃんと抵抗して、生き残っている。
上空から眺めているだけでは、彼らが何を話しているのか、どんな問題を抱えているのかまでは分からない。
でも、ここから見ている分には、ただの平和な街に見える。
怖い魔獣も、ここまでは入ってこられないようだ。
「ピ……(もっと近くで見てみたい)」
好奇心がムクムクと湧き上がってきた。
安全な空の上からなら、もう少し近づいても大丈夫だろう。
動物園の檻の外からライオンを見るような、あるいは水族館の水槽を眺めるような、安全が保証されたワクワク感。
私は翼の角度を変えた。
風を切る音が変わる。
まるで獲物を見つけた猛禽類のように、あるいは新しいおもちゃを見つけた子供のように、私はその城塞都市に向かって滑空を開始した。
どんな服を着ているんだろう?
何が売っているんだろう?
魔法使いとか、本当にいるのかな?
神様の罰への恐怖から始まった偵察任務は、いつの間にか、初めての異世界観光へとその目的を変えていた。
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