第4話 怠惰な実験室

異世界に転移してから、二日が経過した。  

私は今、何をしているか。


「……んー、うすしお味、最高」

ベッドの上でゴロゴロしながら、ポテトチップスを食べていた。  

服装は、ジャージ。  

枕元には読みかけの漫画がタワーのように積まれ、手元にはキンキンに冷えたコーラ。  

エアコンの効いた快適な室温。ふかふかの布団。  

ここは天国か? いいえ、異世界です。


「はぁ……幸せ……」


私は天井を見上げて、だらしない溜息をついた。  

あの悪夢のような到着初日のパニックが嘘のようだ。  

一度この「絶対安全圏」に引きこもってしまえば、こちらのものだった。  

外の世界では、相変わらずあの巨大アリが徘徊しているのかもしれないし、村の人たちがどうなったのかも分からない。  

でも、ここには関係ない。  

玄関の鍵は閉まっているし、窓の外は分厚いカーテンで遮断されている。  

私はただ、食っちゃ寝を繰り返していればいいのだ。

女神様には申し訳ないけど、勇者業は廃業だ。

私はここで一生、スローライフならぬ「ニートライフ」を送るんだ。


バリボリとポテチを咀嚼しながら、ふと考える。  

そういえば、このポテチ、どこから出したんだっけ。


「……『森羅万象』、だっけ」


無意識に使っていたけれど、よく考えなくてもとんでもないスキルだ。  

私が「ポテチ食べたい」と思っただけで、虚空から袋が出現した。  

電気もガスも水道も、私が「通っててほしい」と願ったから機能している。


暇だし、ちょっと検証してみようかな。  

今後、より快適な引きこもり生活を送るためにも、自分の能力の把握は必須だ。

私は重い腰を上げ、実験を開始することにした。


「まずは、食べ物」


ポテチだけじゃ栄養バランスが悪い。

ちゃんとした食事が欲しい。  

イメージするのは、大学の近くにあった回らない寿司屋の特上握り。

――出ろ。


ポンッ。  

軽い音と共に、ローテーブルの上に漆塗りの寿司桶が出現した。  

大トロ、ウニ、イクラ、真鯛……。

艶やかなネタが並んでいる。  

恐る恐る大トロを口に運ぶ。  


「……んんっ!」


美味い。

脂が乗っていて、口の中でとろける。  

完全に再現されている。

いや、むしろ記憶の中で美化された味さえも再現しているかもしれない。  

続けて、漫画の最新刊をイメージする。  


ポンッ。  

発売日に買ったばかりの週刊誌が出現した。

ページをめくると、内容は私が読んだ記憶のあるところまで。

読んでいない続きは白紙だった。  

なるほど、「私が知っているもの」なら完璧に作り出せるらしい。

逆に、知らないものは作れないか、適当な補正がかかるようだ。


「次は、片付け」


食べ終わったポテチの袋と、空になったコーラのペットボトル。  

ゴミ箱に捨てるのも面倒だ。    

――消えろ。


シュンッ。  

音もなく、ゴミが空間から消失した。  

分子レベルで分解されたのか、あるいは異次元に飛ばされたのか。

とにかく、跡形もなく消えた。  

ついでに、部屋の隅に溜まっていた埃も「綺麗になれ」と念じると、一瞬で消滅した。


「……最強の家事スキルじゃん」


掃除機もゴミ出しもいらない。  

洗濯も、着ている服を「汚れだけ消去」と念じれば、新品同様に真っ白になった。

これは人を駄目にする。

確信した。私はもう二度と、真面目な生活には戻れない。


さて、衣食住は完璧だ。  

次に気になるのは、やっぱり「外」のことだ。  

外には出たくない。一歩も出たくない。

でも、安全確認のために周囲の状況は知っておきたい。  

防犯カメラみたいなものがあればいいんだけど。


「……使い魔とか、作れるのかな」


ファンタジーの定番だ。  

私は漫画を置いて、あぐらをかいた。  

イメージするのは、目立たなくて、空を飛べるもの。  

スズメ? いや、この森にはもっと派手な鳥がいた気がする。

森に馴染むような、緑色の小鳥がいいか。


――生成。


私の掌の上に、光の粒子が集まる。  

数秒後、そこには鮮やかなエメラルドグリーンの羽毛を持つ小鳥がちょこんと乗っていた。  

クリッとした黒い瞳が私を見上げ、「ピピ」と鳴く。


「か、可愛い……」


生き物まで作れるのか。  

恐る恐る指で撫でてみる。

温かい。心臓のトクトクという鼓動が伝わってくる。  

「視界、共有できる?」


念じてみる。  

すると、脳裏に「別の映像」が割り込んできた。  

私の巨大な顔が、下から見上げるアングルで映っている。  

小鳥の視界だ。  

「行ってこい!」


私が窓を少しだけ開けて放つと、小鳥は元気に羽ばたいていった。  

すごい。まるで高性能ドローンを飛ばしている気分だ。  

小鳥は森の上空へと舞い上がる。  

木々の緑、遠くに見える山脈、そして――うわ、いた。  

森のあちこちに、あの巨大アリが点在しているのが見える。

やっぱりまだウロウロしているんだ。  

絶対に外には出ないぞ、と改めて心に誓う。


小鳥をそのまま上空で待機させ、私は次の実験に移った。  

偵察はいいとして、もしもの時の「護衛」も必要かもしれない。  

小鳥じゃ戦力にならないし、もっとこう、強そうな……。


「ライオン……いや、クマ?」


――生成。


ドスンッ!!  

狭いワンルームに、体長三メートル近いヒグマが出現した。  

「うわでかっ!?」


クマは大人しくお座りをしているが、圧倒的な圧迫感だ。

天井に頭がつきそうだし、獣臭い。  

私が「お手」と言うと、巨大な前足が差し出された。

賢い。私の意のままだ。


でも、邪魔すぎる。  

こんなのが部屋にいたらリラックスできない。  

「……ごめん、消えて」


シュン。  

クマは光の粒子となって消えた。

心が痛むので、生物の消去はあまりやりたくないな。  

護衛は保留だ。  

寂しさを紛らわせるために、ゴールデンレトリバーの子犬を一匹だけ作り出し、部屋の中で放し飼いにすることにした。

名前はポチ。安直だけど、可愛いからいいのだ。


ポチと戯れているうちに、ふと思いついた。  

動物がいけるなら、「人間」もいけるんじゃないか?  

一人暮らしは気楽だけど、話し相手がいないのは少し寂しい。  

それに、家事は魔法でできるとはいえ、紅茶を淹れてくれたり、マッサージをしてくれたりする「執事」や「メイド」がいたら、もっと最高じゃないか。


「……やってみよう」


理想の執事。  

背が高くて、黒髪で、燕尾服が似合う、物静かなイケメン。  

性格は忠実で、私のわがままを何でも聞いてくれる。  

細部までイメージを固め、魔力を練り上げる。


――生成。


光が人の形を成す。  

そして、部屋の真ん中に、一人の青年が立っていた。  

完璧だ。  

彫刻のように整った顔立ち。すらりとした手足。

私の想像通りの「理想の執事」だ。


「……おはよう」


私が声をかけると、彼はゆっくりと目を開けた。  

そして、流れるような動作で恭しくお辞儀をした。


「おはようございます、お嬢様。ご命令を」


声もいい。落ち着いたバリトンボイス。  

成功だ。これで私の引きこもりライフは盤石なものに……。    

そう思った瞬間だった。  


背筋に、冷たいものが走った。

「…………」


彼は微笑んでいる。  

口角を完璧な角度で上げ、優しげな表情を作っている。  

でも、目が。  

目が、笑っていない。  

いや、笑っていないだけならいい。

そこには「意志」という光がなかった。  

まるで精巧な蝋人形が動いているような、あるいはロボットと対峙しているような。

生物としての温かみが、決定的に欠落していた。


「お嬢様? 紅茶をお淹れしましょうか?」

「あ、いや……」


彼は私の反応を待って、ピクリとも動かない。  

呼吸はしている。心臓も動いている。  

でも、中身がない。  

私が「紅茶を淹れろ」と設定したからそう言うだけで、彼自身の意思で私を気遣っているわけではない。  

それは人間じゃない。  


――気持ち悪い。


生理的な嫌悪感が、胃の底からせり上がってきた。  

これは冒涜だ。  

命を、魂を持たない「人間もどき」を、私の都合で作って侍らせるなんて。  

不気味の谷、という言葉があるけれど、これは谷底だ。

直視していられないほどの虚無感が、彼から漂っていた。


「……ごめん。やっぱり、なし」

私は震える声で告げた。  


「消えて」


彼が「かしこまりました」と言い終わる前に、その体は光となって霧散した。  

部屋に静寂が戻る。  

ポチが、私の足元でクゥンと甘えた声を上げた。  

私はポチを抱き上げた。温かい。

この子には、少なくとも動物としての無邪気さがある。

でも、さっきの「彼」には何もなかった。


「……やっぱり、友達はスキルじゃ作れないか」


苦笑いが漏れた。  

何でもできる『森羅万象』にも、限界はあるらしい。

あるいは、私の倫理観がそれを拒絶したのか。  

どちらにせよ、孤独を埋めるのは、こんなインスタントな方法じゃ駄目だということだ。


私は窓辺に行き、少しだけカーテンの隙間を開けた。  

上空を旋回する小鳥の視界を借りて、遠くを眺める。  

どこまでも続く森。  

その向こうには、誰かが住んでいるのだろうか。  

言葉の通じる、体温のある、本当の人間が。  

 

人と関わるのは怖い。

でも、偽物の人形に囲まれて暮らすのは、もっと怖くて寂しいことなのかもしれない。  

そんなことをぼんやりと思いながら、私は再びポテチの袋に手を伸ばした。

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