フーカ編

フーリン・セイ・コルのお嬢様

『■■』


……随分、懐かしい名前ね。


「なあに、ママ?」


 これはいつのことだったかしら?

 普段、あたしに話しかけない不愛想なママが気味悪い位に笑いながら話しかけてきたの。

 それにしても久しぶりね。最近は全然見なかったのに。


『ずっとおうちの中でつまらないでしょう?お散歩でもしましょうか。』


 この言葉で気づいた。

 ああ、あたし……とうとう捨てられちゃうんだってね。


「……いいの!?行く!」


 これが初めてのお外だった。ずっとママに出るなって言われて来たから。

 ずっと、ずっと待ってた。ママが笑顔であたしに話しかけてくれるの。だから、目的が何であれ、それが作り笑顔であれ、話しかけてくれたことが嬉しかったわ。


『ええ、早く行きましょうか。』


 きっとママは凄く嬉しかったでしょうね。やっと邪魔なあたしがいなくなるんだもの。だから諦めたの。ママがあたしのこと、愛してくれるのを。


 そして……案の定捨てられた。

 深い深い森の奥で一人置いてかれちゃった。


 泣きもしなかったわ。だって嬉しかったもの。あたしがいなくなったことで、きっとパパはあの家に帰ってきてくれる。そしたら、ママは幸せになれるの。

 でもどうしようかしら。このままじゃ、あたし死んじゃうわ。ママが幸せになってくれるのは嬉しいけど、死にたいわけじゃないの。

 ママは優しいから、沢山食べ物がある森に置いて行ってくれた。幸いすぐ死ぬことはないわ。

 あたしタフなの!生き延びるなんて余裕のよっちゃんよ!


_________……


「……ッ!」


 長いようで短い夢から跳び起きた。そこは鬱蒼とした森の中ではなく、綺麗な天蓋付きのベッドがある、ラットカイソ2階の自室だった。空を見ると、まだ薄っすらと星が見える程度には暗く、しかし起きるには申し分ない程の時間だった。


「はあ……最近夢見が悪いわね。気分転換にちょっと外でも出ようかしら。」


__『ずっとおうちの中でつまらないでしょう?お散歩でもしましょうか。』__


「……!」


 夢の内容……いや、過去を思い出し、外に出る気も失って大人しく1階のリビングに向かった。


「あら、コルマク?早いのね。」

「……。」


 いつも通りだ。1度で気づくことは少ない。朝なら余計に。


「コルマクっていつもこの時間に起きてるの?」


 苛立ちもせず、大人しくもう一度声をかける。


「……うん。……フーちゃん、いつもより早い。」

「まあ、ちょっと目が覚めちゃったから。」

「そういう顔、顔色が悪いって言うってセーちゃん、言ってた。……大丈夫?」


 コルマクは表情を変えることなく首を傾げる。だから本当にフーカのことを心配しているのか分からなかった。

 表情の変わらなさが何だか母親に似ていて少し気味が悪い。最初はそう思っていた。


「大丈夫よ。コルマク、それ何飲んでいるの?」

「蜂蜜と、柚子の紅茶。フーちゃんも飲む?」

「いいの?」

「うん。淹れてくる……ね。」

「ありがとう。」


 少しリビングは冷えていた。コルマクが持っていた温かそうな飲み物が気になってしょうがなかったのだ。


「……はい。」


 浮いているお陰で歩きよりもバランスが取れている。普段ボーっとしていても零す心配はなかった。


「ありがとう。……美味しいわ。コルマクはうちの中で一番お茶淹れるのが上手だものね!」

「……皆が淹れるお茶、私、好き。……すーちゃんのやつ以外。」

「あ、あれは……お茶じゃないから。」


 鈴凛は壊滅的に家事ができない。掃除、洗濯、料理……お茶を淹れることすらままならない。典型的なダークマターが出来上がるだけだ。


「……コルマクは、過去のこと夢に見たりする?」

「……。」

「コルマク?」

「……私、わからない。」

「そっか。」


 別にいつも通りだ。だから特に何も思わなかった。


「今日はお客さん来ると思う?」

「前、来たばっかり。多分、来ない。来ないで、ほしい。疲れた。」

「ふふふ、それもそうね。」


 会話しているうちに、夢のことも薄れてきた。


「コルマクって過去のこと、覚えてるの?」

「……わからない。」

「どこから覚えてるの?」

「……わからない。……ううん、わかる。皆と、会ったときのこと、覚えてる。その前、覚えてない。……多分。」


 コルマクの言葉は纏まらない。いつもそうだ。


「あたしたちと会ったときのこと、覚えてるの?」


 それには驚いた。まさかそんな前のことを覚えているとは思わなかった。

 聞くに、フーリン・セイ・コルに入ってからの記憶はしっかりしているらしい。


「意外。直ぐに忘れてるんだと思ってたわ。」

「……皆とのこと、大事。忘れたくない。頑張る。」

「そう。嬉しいわね、それ。」

「嬉しい?……わからない。嬉しい……どういうの?」

「それはセイに訊いて頂戴。あたし、難しいことは分からないの。」


 紅茶を飲み切って、一度着替えに戻る。コルマクは気にせず、いつも通りボーっとどこかを見つめている。

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