第13話
火が消えた後の静けさは、耳に痛い。
宿営の周りに残ったのは焦げ跡と、騎士たちの苛立ちと、捕虜二人の震えだけだった。霧はまだ濃く、川の音が遠い。遠い音ほど不安を育てる。
セラフィナは不安を放置しない。
「シリル。あなたの部下に、捕虜の所持品を全部押収させて。札、蝋、油の瓶、矢羽。――ひとつも捨てない。捨てれば“無かった”になる」
シリルは一瞬だけ彼女を見て、短く頷いた。
「分かった。証拠として保管する」
“証拠”という言葉を、王家の隊長が口にしたこと自体が成果だ。教会の火は、彼の中の秩序を刺激した。
マラが焚き火のそばで言う。
「じゃあ三日、どう動かす? 川筋は裂けたけど、封鎖はまだ生きてる」
「三日で、裂け目を“道”にする」
セラフィナは膝の上の紙束を整えた。王家印の付与状の写し、商会契約の写し、川守任命状、そしてロゼンの署名がある記録の写し。
「今日は契約。明日は護送。最終日は“送付”よ」
エイラが首を傾げる。
「送付?」
「砦の帳簿と証拠を、王都へ。私が連行されても、記録が先に着くようにする」
トリグが唾を飲んだ。
「俺たちが運ぶのか」
「運ばせる。あなたが川守なら、運べる」
トリグの目が揺れる。だが昨夜、王家の目の前で川守として捕虜を引きずった。もう退けない。
セラフィナは続けた。
「マラ、商会の便は何本出せる?」
「今日中に二本。夜に一本。――ただし、教会が道を嗅ぎつけたら終わり」
「嗅ぎつける前に、便を増やす。川守の小舟も使う」
マラが眉を上げる。
「盗賊の舟を“公的”に使うの?」
「公的にするために任命状がある」
セラフィナは言い切った。
「紙を先に作ったのは、そのため」
◆
午前、川筋の仮設集会。
葦を刈って空間を作り、丸太を置いた。そこへトリグの仲間が集まる。目が荒い。武器が馴染んでいる。だが腹が減っている目だ。
トリグが咳払いし、声を張る。
「聞け。今日から俺たちは“川守”だ。――川を通る荷から通行税を取る。奪うんじゃない。取る。半分は俺たち、半分は砦に入る」
仲間の一人が吐き捨てる。
「税? 役人ごっこかよ」
「役人じゃねぇ。生き残りだ」
トリグが拳を握る。
「奪えば、教会が狩る。取れば、王家の名で守れる」
セラフィナが前へ出た。ここは彼の場だが、法の言葉は彼の口では重すぎる。
「通行税は、勝手に取れば盗賊。書面にすれば治安維持。――あなたたちはその境目に座る」
仲間の数人が笑う。
「紙で腹が膨れるか」
「膨れる」
セラフィナは即答した。
「紙があるから商会は安心して荷を流す。荷が流れれば塩と鉄が入る。塩と鉄が入れば、あなたたちは狩られずに稼げる」
マラが横から言う。
「現金も払う。盗賊相場じゃなく、商会相場で。――でも一度でも襲ったら終わり」
男たちの目が変わる。現金の匂いは、忠誠より早い。
セラフィナは最後に、決定的な一言を落とした。
「そして、あなたたちの“仕事”は通行税だけじゃない。教会の動きを見る。矢羽を拾う。札を拾う。――情報を拾う」
仲間の一人が眉を寄せる。
「密偵かよ」
「生存者よ」
セラフィナは言った。
「この土地では、見ない者が最初に死ぬ」
沈黙の後、トリグが短く言う。
「……やる。やらなきゃ、どっちにしろ死ぬ」
合意が生まれた瞬間、集会は“組織”になる。
セラフィナはその場で契約書を作らせた。トリグと二名の副長を立て、印代わりに血を落とす。マラは商会の印を押し、支払い条件を明記する。矢と塩の優先供給も書く。
紙が重なり、未来が少しだけ形になる。
◆
午後、シリルが彼女を呼んだ。
宿営の端。王家の焚き火の前。騎士たちが視線を向ける。敵を見る目ではない。まだ測っている目だ。
「セラフィナ・ヴェイル。捕虜が吐いた」
セラフィナは顔色を変えない。
「何を」
シリルが短く言う。
「『黒法衣の命令で撃った』。だが黒法衣の名は言わない。恐れている」
セラフィナは頷いた。
「恐れの正体は“上”よ。上を名指しすれば殺される。下は捨て駒だから」
シリルの目が細くなる。
「教会が王家を襲った。……これは王都で問題になる」
「だから記録する」
セラフィナは淡々と返す。
「あなたの署名で。“捕虜の証言”と“押収物”を添付して」
シリルが一瞬だけ渋る。
「俺は政治は――」
「政治ではない。職務よ。王命の護送が妨害された。妨害者が教会の関係者だった。――報告の義務がある」
シリルは歯を食いしばり、頷いた。
「……書く」
彼が紙に向かう姿は、少しだけ頼もしい。王家の刃が、教会の火に揺さぶられ、形を求め始めている。
セラフィナは、そこで一つだけ賭けに出た。
「シリル。あなたの王命には『例外なし』とあった。けれど、三日の猶予をあなたは飲んだ。――それはあなたが“状況”を判断できる証拠」
シリルが顔を上げる。
「何が言いたい」
「砦へ一人、伝令を出して。私の命令としてではない。あなたの監視下の報告として。――『補給路の交渉が進んでいる。封鎖の状況はこうだ』と」
シリルの眉が寄る。
「砦に知らせれば、お前の影響が――」
「影響ではない。混乱を減らす。砦が私の不在を知れば、余計な動揺が増える。動揺は事故を生む。事故はあなたの責任になる」
シリルは沈黙し、やがて短く言った。
「……分かった。伝令を出す」
条件付きの協力。だが一歩だ。
王家の刃が、彼女の“紙”に少しだけ縛られた。
◆
夕刻。
川筋に、最初の荷が流れた。
小舟が二艘。葦の陰から滑り出し、塩袋と鉄の束を運ぶ。川守の者が弓を持って周囲を警戒する。商会の馬車は少し後ろで待つ。通行税は袋の数で決まり、半分はその場で分けられる。
トリグが、初めて“奪わずに”金を受け取る。
彼は不思議そうに笑った。
「……奪わない方が、腹が減らねぇ気がする」
マラが笑う。
「奪うと追われるからね。追われると眠れない。眠れないと判断が鈍る。鈍ると死ぬ」
セラフィナは川の流れを見た。
封鎖の輪が、少しだけ裂けた。
裂け目は、道になり始めている。
その夜、彼女は焚き火のそばで帳面に追記した。
――川守契約締結。通行税発生。塩・鉄、初回搬入。
数字が、救いになる。見える救いは、人を立たせる。
だが同時に、見える救いは敵を呼ぶ。
エイラが霧を見て、低く言った。
「……遠くで馬の音。数が増えてる」
セラフィナは息を吸い、目を細めた。
「教会か、王家か。――あるいは、両方」
三日の猶予は、三日で終わる。
その間に作った契約が、彼女の首を守る鎖になるか。
それとも、首を絞める鎖になるか。
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