第11話

 王家の旗は、小さいほど怖い。


 大軍なら理屈で止められる余地がある。だが十騎の拘束隊は、理屈を焼き切るための刃だ。静かに来て、静かに首を取る。


 霧の中から現れた騎士たちは、渡し場の土を踏みしめて止まった。先頭の男は兜を外し、顔を晒す。若くはない。傷のある頬、冷たい目。


「王命だ。セラフィナ・ヴェイルを拘束する。抵抗は反逆と見なす」


 セラフィナは一歩前へ出た。護衛二名が動こうとするのを、指先で止める。


「王命の書状を見せなさい。――拘束の理由、執行者の名、日時、署名」


 先頭の男が紙を掲げた。王家印の封蝋。短い文面。拘束、王都への移送、例外なし。執行者の名は――王都騎士団の一隊長。


 セラフィナは目を細める。


「……例外なし、ね。あなたの名は」


「シリル・ヴァンデル」


 名乗りが硬い。使命のために感情を削った声だ。


 セラフィナは即座に言う。


「あなたが私を拘束する権限はある。だが、今ここで拘束すれば――この川筋の治安維持は崩れる。補給路が死ぬ。封鎖が完成する。つまり王国の辺境が落ちる」


 シリルは眉一つ動かさない。


「辺境が落ちようが、王命は王命だ」


 マラが横で小さく笑った。


「典型的ね。命令に忠実で、頭は別に貸さないタイプ」


 エイラが短く呟く。


「こいつら、戦う気だ」


 トリグが唾を飲む。川守になったばかりの男には、王家の鎧は眩しすぎる。


 セラフィナは声を落とした。


「シリル・ヴァンデル。あなたが命令に忠実なのは分かった。なら確認する。――この王命は、誰の進言で出た?」


「知らん」


「知らないなら、知らないと記録する。オーウェンはいないけれど、ここに証人がいる」


 セラフィナは周囲を一瞥した。マラ、エイラ、トリグ、護衛。全員が聞いている。


 彼女は続けた。


「王命の“目的”は拘束。――拘束した後、私はどこへ連れていかれる?」


「王都へ」


「直行?」


「状況次第だ」


 セラフィナの目が冷える。


「状況次第、という言葉は危険ね。道中で“事故”が起きても、あなたは言い訳できる」


 シリルが鼻で笑った。


「疑うのか」


「疑う。私は王都で“証拠”を作られて断罪された。だから、紙と形以外は信用しない」


 シリルは紙を握り直す。


「話は終わりだ。来い」


 騎士たちが一歩進む。拘束具が見える。鎖ではなく革の手枷。静かな暴力。


 その瞬間、セラフィナはトリグへ言った。


「川守トリグ。あなたの立場で言いなさい。ここはあなたの管轄。王家の拘束隊がここに入るなら、治安維持の妨害になる」


 トリグは顔色を変えた。震える。だが彼は、さっき血で押印した。


 名を作ったのなら、名で立つしかない。


「……ここは、川守の……管轄だ。王家の者が勝手に――」


 シリルが冷たく切り捨てた。


「黙れ、盗賊。王命の前では塵だ」


 その一言で、トリグの顔が歪む。怒りと屈辱が噛み合う。


 セラフィナは、その言葉を拾い上げるように静かに言った。


「今の発言、聞いたわね。――王家の拘束隊が、王家の統治者が任命した治安役を“盗賊”と断じ、権限を否定した」


 シリルが目を細める。


「何が言いたい」


「あなたは王命を遂行する。私はそれを妨害しない。――ただし、条件がある」


「条件だと?」


「拘束の“形”をこちらが決める。あなたの手枷ではなく、私の随行として“同行”にする。監視はあなた。逃げない証拠は、ここで作る」


 シリルが嘲るように笑った。


「逃げない証拠?」


「私は今ここで、王命への不服申し立てを“拒否しない”。ただし、領地の安全確保のため、三日間の猶予を求める。――その間、あなたが私を監視し、私は逃げない」


 エイラが小声で言う。


「三日? そんなにいる?」


「いる」


 セラフィナは即答した。


「三日で、補給路の契約を固定する。民兵護送班を作る。砦の記録を封印して、王都へ送る準備を整える。――私がいなくても砦が回る状態にする」


 マラが肩をすくめる。


「合理的。だけど、こいつが飲むかは別」


 シリルは黙った。彼は命令に忠実だ。だが、“合理”も嫌いではないタイプの目をしている。合理があるなら、命令の遂行を安定させられる。


 セラフィナは畳みかける。


「あなたが今ここで私を手枷で引けば、砦は混乱する。補給路は途切れる。飢えた民が暴れる。怪物が来る。――あなたは“護送中の事故”を増やす」


 シリルが口を開く。


「それはお前の責任だ」


「責任は取る。だから三日で整える」


 シリルは騎士たちを一瞥した。彼らも疲れている。長距離の拘束は面倒だ。事故は嫌だ。だが上官の評価も欲しい。


 沈黙ののち、シリルが言った。


「……三日。だが条件がある」


「聞く」


「お前は砦に戻らず、川筋の“臨時宿営”に留まれ。監視下だ。砦に戻れば、兵を煽動する恐れがある」


 セラフィナの目が細くなる。砦から切り離し、孤立させる策だ。ロゼンの匂いがする。


 だが、拒否すれば拘束は即時。


 セラフィナは即断した。


「いい。川筋に留まる。ただし、書面にする。あなたの署名で」


 シリルが紙を取り、書く。セラフィナはその文面を確認し、修正を入れる。


「“逃亡の疑いがある場合、即時拘束”――この文言は曖昧。条件を具体化する。『指定範囲外へ出た場合』に変更」


 シリルが歯を鳴らしながらも、修正に応じる。


 紙ができる。署名が入る。証人がいる。


 セラフィナは手を差し出さない。手枷はつけない。代わりに、シリルの部下が二人、彼女の両側に立つ。


「これで三日だ」とシリルが言った。


「三日で十分」


 セラフィナは頷いた。


 だが――この三日が、彼女の首を守る時間であると同時に、誰かにとっては“首を折る準備”の時間でもある。


     ◆


 その夜、川筋の臨時宿営。


 焚き火が二つ。ひとつはセラフィナ側。ひとつはシリル側。近すぎず遠すぎず。距離が不信を表している。


 マラが火のそばで言った。


「王家まで動くのは、想定してた?」


「早すぎるけど、想定はしてた。ロゼンが“紙で勝てない”と分かったら、別の刃を呼ぶ」


 エイラが短く言う。


「王家の刃は、教会の刃よりきれいに刺さる」


「刺さる場所が違う。教会は恐怖。王家は正当性」


 セラフィナは紙束を膝に置き、指で叩いた。


「だから、正当性を奪い返す。――三日の間に“川守”を固定する。契約を増やす。補給を動かす。王命の紙が来ても、砦が回るように」


 トリグが火の向こうで唸る。


「俺は……本当に川守になれるのか」


「なれる。なった。血で押した」


 セラフィナは視線を上げた。


「あなたが川守でいる限り、川筋は生きる。川筋が生きれば、砦も生きる。砦が生きれば、王都へ行く私の背中が折れない」


 トリグは拳を握りしめ、頷いた。


 そのとき、シリルが焚き火越しに声を投げた。


「セラフィナ・ヴェイル。聞いておく。……なぜそこまで、この辺境に固執する」


 セラフィナは答えた。


「固執じゃない。ここは私が選んだ領地。――選んだものは、守る」


 シリルが目を細めた。


「王都での名誉を捨てたのか」


「王都が捨てた。私は拾い直す」


 シリルは黙った。彼は忠実な犬ではない。疑問を持てる騎士だ。だからこそ厄介でもあり、使える可能性もある。


 夜が深まる。


 霧が濃くなり、川の音が遠くなる。


 その静けさの中で、エイラが突然、顔を上げた。


「……匂い。油」


 セラフィナの背筋が冷える。


 次の瞬間、宿営の外縁で火が弾けた。


 焚き火ではない。火矢の光。油の匂い。白衣の影が、霧の向こうで動く。


 教会の先遣が、川筋にも牙を立てた。


 そして、もっと悪いことに――


 火矢が狙ったのは、セラフィナではなかった。


 王家の騎士たちの荷。馬の飼葉。鎧の予備。――補給。


 火が上がり、シリルが叫ぶ。


「伏せろ! 敵襲だ!」


 セラフィナは息を吸い、目を細めた。


「……ロゼン。王家の刃を、“教会の火”で折りに来たわね」

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