第10話

明けは、薄い霜と一緒に来た。


 封鎖の白衣は門前に立ったまま動かない。祈りの姿勢を装いながら、実際は見張りだ。砦の出入りを“罪”に変えるための目だ。


 セラフィナは門を見上げ、ルシアンへ言った。


「門から出ない。――今日動くのは“裏口”よ」


「裏口なんて無い」


「無いなら、作る。正確には“人が知らない動線”を使う」


 ルシアンが目を細める。


「秘密の抜け道?」


「抜け道じゃない。作業道。砦の外壁沿い、森の縁を避けた獣道。エイラ、昨日見た“安全の線”を教えて」


 エイラが頷き、短く言う。


「黒森の縁から二十歩離れる。北東に枯れ沢がある。そこを辿れば川筋まで出られる。白衣の目は門前に集中してる。……行ける」


「行く人数は少なく」とルシアンが言う。


「私とエイラと――護衛二名。あとマラ」


 マラが肩をすくめる。


「私も?」


「交渉相手は“金”で動く。あなたがいないと、話が早い」


「なるほど。領主様は怖い顔担当?」


「法担当よ」


 セラフィナは笑わずに言い、オーウェンへ視線を投げた。


「オーウェンは砦に残る。配給を回して、記録を守って。――もし私が戻らない場合、帳簿は王都へ送れる?」


 オーウェンの喉が動く。


「……送れます。商会の便を使えば」


「使う。ルシアン、砦の指揮はあなた。火を使うな。水を見せて抑止を続ける」


 ルシアンが短く頷いた。


「必ず戻れ」


「戻る。戻らないと計算が崩れる」


 セラフィナは外套の襟を立て、机の引き出しから一枚の紙を抜く。王家印の付与状の写し、マラとの契約書の写し、そしてロゼンの署名がある“見た”という記録の一部。


 これが盾であり、刃でもある。


     ◆


 出発は、白衣が交代で祈っている瞬間を狙った。


 門前の視線が緩む。砦の外壁沿い、死角の一角から、四人と一人が滑り出た。足音を殺し、霜を踏まないように土の柔らかいところを選ぶ。


 エイラの動きは風のようだ。止まるべき場所で止まり、見るべき方向を見る。彼女の“安全の線”は勘ではない。生存の積み重ねだ。


 枯れ沢に降りると、空気が湿った。腐臭が薄れ、かわりに川の匂いが混じる。


 やがて、川筋が見えた。


 浅い流れ。だが幅は広く、両岸に葦が茂っている。ここなら荷は運べる。舟も出せる。


 ただし――静かすぎる。


 エイラが指で合図した。止まれ。


 葦の陰に、目がある。人の目だ。獣ではない。数も多い。


「……盗賊」と護衛が囁いた。


「盗賊なら交渉できる」とマラが小声で言う。


「盗賊でも、矢が先に来たら交渉は終わる」とセラフィナが返す。


 セラフィナは一歩前へ出て、声を張らずに言った。


「私はブラックソーン統治者、セラフィナ・ヴェイル。話がある。出てきなさい」


 葦が揺れ、男が一人出てきた。痩せた顔、髭。だが目が鋭い。後ろに数名が続く。弓が見える。


「統治者? 王都の女が、こんなところで何の用だ」


 声が荒い。だが、すぐ撃つ気配はない。探っている。


 マラが一歩前へ出る。


「マラ・フェンウィック。商会の者よ。――あなたたちが川筋を握ってるのは知ってる。だから、席を用意しに来た」


 男が鼻で笑う。


「席? 笑わせる。ここは俺たちの川だ」


 セラフィナが淡々と切り込む。


「あなたたちの川じゃない。王国の川。――ただ、王国がここを放置したから、あなたたちが座っているだけ」


 男の目が険しくなる。


「喧嘩売ってんのか」


「買いに来た。値段を言って」


 短い言葉に、葦の向こうがざわつく。盗賊は自尊心で動くが、腹でも動く。腹は真実だ。


 男は笑った。


「値段なら高いぞ。あんたらの荷は、教会が“禁じた”荷だ。俺たちが通せば、審問官に首を刈られる」


 セラフィナは頷いた。


「だから、首を刈られない形を作る。――あなたたちは盗賊ではなく、“川守”になる」


「は?」


「王家印の統治者として、川筋に“通行税”を設ける。徴収はあなたたち。半分はあなたたちの取り分。半分は砦の補給へ。――代わりに、あなたたちは砦の保護下に入る。教会が手を出せば、王家への干渉になる」


 男が笑った。


「王家が守る? ブラックソーンを?」


「守らせる」


 セラフィナは即答した。


「守らせるために、記録がある。審問官長ロゼンの署名もある。彼は“見た”。――ここで教会が民を飢えさせれば、教会が王家の領地を殺す構図ができる。王都で扱えない問題になる」


 男は理解していないふりをしたが、目だけが動いた。政治の匂いを嗅いだ目だ。盗賊であっても、政治に殺されるのは嫌う。


 マラが畳みかけた。


「それに、商会はあなたたちに現金を払う。塩も鉄も。――ただし、条件がある。荷を奪わない。護送を襲わない」


 男は顎を撫で、周囲を一瞥した。葦の陰の仲間たちは、飢えている顔だ。


「……話は甘い。だが、信用できない」


 セラフィナは紙束を出した。


「契約書を作る。あなたの名を記す。署名する。破れば、あなたは“盗賊”に戻る。守れば、“川守”として座る」


 男は笑いながらも、目がいくらか真剣になった。


「名を言えってか。……俺は“トリグ”だ」


「姓は?」


「そんなもん、捨てた」


「捨てたなら、拾い直しなさい。ここで名を作る。――川守トリグ」


 エイラが小さく鼻で笑った。ルシアンがいない場で、セラフィナがここまで前へ出るのを見て、少し面白がっている。


 トリグは首を傾げ、やがて言った。


「……いいだろう。だが条件が一つ増える」


「聞く」


「教会の白衣が、すでにこの川筋にも来てる。奴らは“盗賊狩り”を名目に、俺たちを潰しに来た。……その連中をどうにかしてくれ」


 セラフィナの目が細くなる。


「何人。どこに」


「南の渡し場に陣を張った。十数人。黒法衣が一人。火油も持ってる」


 マラが舌打ちする。


「本当にどこにでもいるわね」


 セラフィナは短く言った。


「なら、こちらも“形”で潰す」


 トリグが眉を上げる。


「形?」


「あなたは盗賊。教会はあなたを狩る。――その構図を、教会が嫌がる構図に変える」


 セラフィナは紙を取り出し、その場で文言を作り始めた。オーウェンはいない。だから自分で書く。筆致は迷わない。


「“川守”の任命状。ブラックソーン統治者名で。王家印はここには無いから、写しと併せて効力を作る。――そして、教会の黒法衣に突きつける。『王家の領地の治安維持を妨害するのか』と」


 エイラが言う。


「通るの?」


「通させる。通らないなら、黒法衣が“王家の法は届かぬ”と言ったのと同じになる。――それを記録に残す」


 マラが笑う。


「相変わらず殴り方が紙だね」


「紙は濡れても燃えても、写しが残る」


 セラフィナは書き終え、トリグへ渡した。


「あなたの印代わりに、指の血で押しなさい。ここに」


 トリグが一瞬怯んだが、指先をナイフで切り、血を落とした。赤い点が紙に滲む。


「……これで、俺は川守か」


「今日からそう」


 セラフィナは頷いた。


「では、南の渡し場へ行く。あなたも来て。――あなたの名の最初の仕事よ」


     ◆


 南の渡し場は、嫌な静けさに支配されていた。


 教会の白衣が陣を張り、葦を踏み荒らし、聖印の旗を立てている。火油の桶。矢束。祈りの言葉を口にしながら、目は獲物を探している。


 黒法衣の男がこちらに気づき、声を上げた。


「何者だ!」


 トリグが一歩前へ出る。背筋を伸ばし、声を張った。


「川守トリグだ。ブラックソーン統治者の任命を受けた。――ここは王家の領地の治安維持区域。お前たちが勝手に陣を張る理由を言え」


 白衣がざわつく。黒法衣が笑う。


「盗賊が名乗りを変えただけだ。異端の手先め。狩る」


 火油の桶に手が伸びる。


 セラフィナは前へ出た。


「審問官長ロゼンの名で来たのなら、権限を示しなさい。――そして、あなたが“王家の治安維持”を妨害する理由を、署名で残しなさい」


 黒法衣の男の笑みが消える。


「……お前は……」


「セラフィナ・ヴェイル。ブラックソーン統治者。あなたが火を使えば、民の補給路が死ぬ。つまり教会が民を飢えで殺す。――ロゼンの署名がある記録と繋がる」


 黒法衣は一瞬だけ迷った。火を使えば早い。だが火を使えば“記録”が残る。ロゼンの頭上に火が上がる。上官に嫌われるのは嫌だ。


 セラフィナは続けた。


「撤収しなさい。ここは“治安維持”の場。あなたの狩り場ではない」


 黒法衣が唇を噛む。


「……命令だ。禁域の補給路を断て、と」


「命令なら、書面で。署名と日時。今ここで」


 沈黙。白衣の一人が小声で言う。


「……面倒だ。ここで騒ぐと、上に怒られる」


 黒法衣の男は、結局、杖を振った。


「撤収する。……だが覚えておけ。お前の足元は、いずれ崩れる」


 陣が畳まれ、旗が下ろされる。火油の桶が引かれる。


 トリグが息を吐き、初めて笑った。


「……紙で追い払いやがった」


「追い払ったんじゃない。足場を奪った」


 セラフィナは淡々と返す。


「彼らは“正義”の顔で動きたい。暴力の顔を晒すのは嫌う。だから、晒させる」


 マラが頷く。


「これで川筋は動く」


「動かす」


 セラフィナは川を見た。流れは細いが、確かに続いている。封鎖の輪に、最初の裂け目が入った。


 ただ――その裂け目に、牙がある。


 エイラが耳を澄ませ、低く言った。


「……来る。森じゃない。人。馬蹄の音」


 霧の向こう、別の影が現れた。


 鎧を着た騎士。数は十。先頭に、王家の小さな旗。


 そして、先頭の騎士が声を張った。


「王命だ! ブラックソーン統治者セラフィナ・ヴェイルを拘束する!」


 マラが舌打ちした。


「王家も動いた。……ロゼンが手を回したわね」


 セラフィナは息を吸い、目を細めた。


「拘束は“形”で拒む。――だが王家の刃は、教会より厄介よ」


 川の流れが、冷たく光った。


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