第二話 劇団「水平線」ワークショップ
数日後、都内某所の古い公民館を借りたホールで、中級者向けの演劇ワークショップが開かれていた。
会場にはプロやセミプロの俳優、演劇サークルの大学生、劇団志望の社会人など、二十人ほどの受講生が集まっていた。
アダルトDVDの撮影現場とはまるで違う、静かな緊張感と創造的な熱気が漂う空気。真由美はそれを肌で感じ、胸が高鳴るのを感じた。
講師は劇団「水平線」の看板女優、星ルイ。黒のシンプルなワンピースに身を包み、落ち着いた佇まいだが、受講生を見渡す目は鋭い。
「まずは基礎トレーニングから。感情は強いのに身体が追いついていない人が多いから、しっかり見ておきますよ」
ルイの言葉に、受講生たちは姿勢を正した。ワークショップは発声練習と身体表現から始まり、徐々にペアワークや短いシーン練習へと移っていった。
プロ女優の米沢美鈴をはじめとする経験者たちは、ルイの指導を積極的に吸収し、演技が目に見えて洗練されていく。一方、真由美は動きが硬く、台詞の抑揚も単調だった。ルイは一度だけ彼女に近づき、小声で言った。
「感情は伝わってくる。でも、身体が感情を邪魔してるわね」
その指摘に、真由美は小さく頷いた。セクシー女優の現場で鍛えた“感情を出す”力はあったが、それを演技として形にする技術は、まだほとんど持っていなかった。
自己紹介の時間になると、競争の空気が一気に濃くなった。プロたちは堂々と経歴を語り、大学生たちは情熱を爆発させる。最後に真由美が立ち上がった。
「藤原真由美、二十一歳。芸名は幻夢子。この数年、セクシー女優として活動してきました」
会場に小さなざわめきが起きた。美鈴が隣の受講生に囁く声が聞こえた。
「……場違いじゃない?」
数人がクスクスと笑う。ルイは無表情のまま、次の指示に移った。休憩時間、美鈴のグループは隅で活発に演技談義をしていたが、真由美には誰も声をかけない。彼女は一人で壁際に立ち、水を飲みながら鏡の前で小さな動作練習を繰り返した。
後半は即興演劇のセッション。テーマは自由。受講生たちは次々と個性を発揮し、会場を沸かせる。真由美は何度か挑戦したが、コツが掴めず、演技は散漫なままだった。美鈴が横目で鼻で笑うのがわかった。
そして最後の順番が回ってきた。真由美は静かに立ち上がり、ルイに向かって言った。
「女子学生が女子グループから理不尽ないじめとセクハラを受けるシーンをやりたいです。相手役は……米沢さんたちのグループでお願いできますか」
一瞬の静寂。美鈴がゆっくりと立ち上がり、口元に薄い笑みを浮かべた。
「いいわ。ちゃんと演じてあげる」
彼女たちは本気だった。冷たく鋭い言葉、嘲る視線、仲間たちと息の合った圧迫感――あまりのリアリティに、観ている他の受講生が息を呑む。ルイも眉を寄せ、止めに入ろうかと一瞬身じろぎした。
だが、真由美は目を逸らさなかった。彼女は幻夢子として、数えきれない撮影で培った感情を、すべて解き放った。恐怖に震える声。屈辱で潤む瞳。固く握られた拳。それでも奥底で灯る、折れない光。美鈴の攻撃を真正面から受け止め、真由美は叫んだ。
「もう……やめて……! でも、私……負けない……!」
その声は、過去の自分に向けた叫びでもあった。小学生から中学生にかけて受けた傷、不登校の暗い部屋で抱えた絶望、そしてセクシー女優として這い上がり続けた日々のすべてが、重なり合って響いた。
美鈴の動きが、一瞬止まった。彼女の瞳に、ほんの一瞬、何かが揺らいだ。会場は水を打ったように静まり返った。やがて、ぽつぽつと拍手が始まり、次第に大きくなっていく。
ルイはしばらく無言で真由美を見つめていた。やがて、珍しく口元を緩め、静かに言った。
「夢子さん。この感情の生々しさは、経験でしか出せないものね。テクニックはまだ粗いけど……もっと磨けば、確実に化けるわ」
美鈴は複雑な表情を浮かべ、唇を軽く噛んだあと、小さく呟いた。
「……やるじゃない」
ワークショップが終わり、受講生たちがぞろぞろと帰路につく頃。真由美はホールの出口に向かいながら、冷たい冬の風を頰に感じた。足取りは、来たときより少しだけ確かだった。過去の傷が、初めて力に変わった瞬間だった。幻夢子の物語は、ここから新たな舞台へと続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます