第8話

 試合が終わっても、すぐには立ち上がれなかった。

 喉が痛くて、足が震えて、頭の中がまだ騒がしい。


 美咲も同じだった。

 二人して、ゴール裏のコンクリートに座り込んだまま、ただピッチを見ていた。

 選手たちが、ゆっくりこちらへ向かってくる。

 拍手と声援が起きる。

 さっきまでの諦めの声や怒号とは違う、少し疲れた、でも温度のある音。

 その先頭に、キャプテンがいた。


 美咲のほうを見て、軽く手を挙げる。

 そして、拡声器を指差した。

 一瞬、美咲は戸惑ったけれど、何も言わずにそれを渡した。

 キャプテンは、拡声器を持って、ゴール裏を見回した。


「今日は……」


 低い声だった。


「不甲斐ない試合をして、すみませんでした」


 ざわめきが、少しだけ広がる。


「でも、みんなの声があったから、最後まで走ることができました」


 私は、息を止めて聞いていた。


「最後のゴールは、僕のじゃない。あなた方、サポーターのゴールです」


 一瞬、理解できなかった。

 次の瞬間、ゴール裏が揺れた。

 誰かが泣いて、誰かが笑って、誰かが拳を突き上げる。

 美咲は、顔を覆っていた。


 ——ああ。


 私は、やっと分かった。

 応援は、結果を保証しない。

 勝利も、優勝も、約束してくれない。

 それでも、誰かの足を、最後の一歩だけ前に出させることはある。

 その一歩が、世界を少しだけ変えることもある。


 選手たちが引き上げ、スタンドに静けさが戻る。

 気づけば、周りに人はいなくなっていた。


「……ねえ、ルナ」


 美咲が言う。


「また、一緒に応援しようよ」


 私は、うなずいた。


「うん」


 それだけで、十分だった。

 肩を並べて、スタジアムを出る。

 夜風が、火照った頬に気持ちいい。


 小学生の頃と、同じ帰り道。

 でも、違うのは——

 私はもう、応援が怖くなかった。

 信じることは、傷つくことかもしれない。

 それでも、声を出す価値はある。


 あの夜、私はもう一度、フロンターレのサポーターになった。

 そしてきっと、誰かを応援する人間であり続ける。

 ——それは、アイドルとしても、同じだった。

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応援なんて、意味がないと思ってた @tama_kawasaki

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