第8話 応急処置と猫のツッコミ


「ふぅ、片付いたな」

 俺は野盗の返り血で少し汚れたローブを払い、唖然としている獣人たちに向き直った。  彼らはまだ、目の前で起きた「マジック正拳突き」の衝撃から抜け出せていないようだ。俺は咳払いを一つして、努めて魔導士らしく振る舞った。

「助太刀させてもらった。俺はシン、しがない魔導士だ」 「おう! こっちは剣士のザキだ! よろしくな!」

 ザキが爽やかに親指を立てる。  完璧な自己紹介だ。しかし、一番小柄で軽装備の猫耳少女――斥候のリアが、引きつった顔で絞り出すように言った。

「……魔法も剣も、一回も使ってないニャ……」

 痛いところを突く。さすがは斥候、観察眼が鋭い。  俺が言い訳を考えようとしたその時、馬車の陰から悲鳴に近い声が上がった。

「リア、来てくれ! ミーナとワールが……!」

 重装兵のワルダーが叫んでいる。  その声に、場の空気が一瞬で凍りついた。  リアが弾かれたように駆け寄る。俺たちもそれに続いた。

 馬車の裏手には、二人の獣人が横たわっていた。  猫耳の魔導士ミーナは肩を矢で射抜かれ、呼吸が浅い。  犬耳の神官戦士ワールは脇腹を深く斬られ、地面に血だまりを作っていた。どちらも重傷だ。

「まずいニャ……! すぐに止血しないと死んじゃうニャ! ミミコッテ、頼むニャ!」 「は、はいっ!」

 司祭のミミコッテが震える手で聖印を握りしめ、ミーナの方へ駆け寄る。

「慈悲深き女神よ、癒やしの光を……『ヒール』!」

 淡い光がミミコッテの手から溢れ、ミーナの傷を包み込む。  だが、その光は弱々しく、一人を癒やすのに精一杯のようだ。

「ワールが……!」

 リアが絶望的な声を上げる。  ミミコッテの魔力と回復速度では、二人同時は無理だ。ミーナを治している間に、ワールが出血多量で逝く。  誰もが最悪の結末を予感し、顔を歪めた時――。

「退(ど)け。俺がやる」

 俺はワールの前に進み出ると、膝をついた。

「え……でも、貴方は魔導士じゃ……」 「いいから触るなよ。噛んだ舌ならともかく、死んだ命は戻らんぞ」

 俺は短く告げると、ワールの傷口を確認した。  深い。動脈に近いが、まだ切断はされていない。これなら物理で間に合う。  俺は実家の道場で、骨折や切り傷の処置を散々やらされた記憶を呼び起こした。

「失礼するぞ」

 俺は懐から手ぬぐい(にするつもりだった布切れ)を取り出し、傷口の上部をきつく縛り上げた。止血帯だ。  さらに、出血点を探り当てると、指先で的確に圧迫する。

「ぐっ……うぅ……」 「我慢しろ。今圧迫止血を行っている」

 俺の手際は、魔導士のそれではない。完全に接骨院の先生のそれだ。  だが効果は劇的だった。ドクドクと溢れていた鮮血が、見る見るうちに止まっていく。  傷口を洗浄し、清潔な布で固定するまでの手並みは、魔法のような輝きはないが、確かな「技術」だった。

「……よし。とりあえず血は止めた」

 俺は額の汗を拭い、ワールの顔色を確認した。蒼白だが、呼吸は安定し始めている。

「す、すごいニャ……魔法を使わずに血を止めたニャ……」

 リアが目を丸くしている。  俺は立ち上がり、周囲を見渡した。

「あくまで応急処置だ。傷が塞がったわけじゃない。ちゃんと設備のある場所で治療しないと、破傷風や感染症で死ぬぞ」

 この場に留まるのは危険だ。野盗の残党がいるかもしれないし、何より傷人の体力が持たない。

「急いで人里に戻る必要があるな。一番近い街はどっちだ?」

 俺の問いに、獣人たちは顔を見合わせ、そして一斉に東の方角――要塞都市アーデルハイトを指差した。

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