第2話 白い部屋と、人違い疑惑

 意識が、じわじわと輪郭を取り戻す。

 泥の底から浮上するような眠りじゃない。もっと乾いて、機械的で――ブレーカーが「パチン」と入った瞬間みたいに、世界が急に鮮明になる。

「……ん」

 目を開けた途端、視界がぜんぶ白だった。

 壁なのか霧なのか、そもそも空間そのものが発光しているのかも分からない。上下左右の感覚は当然ゼロ。奥行きすらなく、ただ無限に続く“白紙”が広がっている。

 三途の川も、お花畑も、天使の輪っかもない。

 ――俺、一人でこの虚無に放り出されたのか?

 そう思った瞬間、背後に「いる」気配。

 振り向くと、この無機質な白の中に似つかわしくない二人組がいた。

 一人は、どこから引っ張ってきたのか金の装飾が眩しい豪奢な椅子にふんぞり返る、やけに生意気そうな子供。

 もう一人は――タンクトップから筋肉がこぼれ落ちそうな、逆立った赤髪の男。

「おう! やっと気が付いたか? 待ったぜ! 三十年だぞ三十年! 首がキリンになるかと思ったわ!」

 赤髪がニカッと白い歯を見せて笑う。

 その顔には見覚えがあった。懐かしい、胸の奥を無遠慮に殴ってくるレベルで懐かしい顔だ。記憶より少し若いが、真夏の太陽みたいに暑苦しいオーラは間違いない。

 三十年前の引き出しを、埃ごとひっくり返す。

 この顔、この筋肉、この残念なノリ……。

 ――あ、いたわ。思い出した。

「お前……中学の林間学校のバスで漏らした、小杉か?」

「ちげーよ!! 誰が小杉だ!! つーか感動の再会の第一声がそれかよ!!」

 赤髪は今にもズッコケそうになりつつ、食い気味の全力ツッコミ。

 反応のキレは健在だ。どうやら小杉本人ではないらしい。

「俺だよ俺! 山崎だ! ザキだって言ってんだろ! 幼馴染忘れちまったのか?!」

「……ああ、ザキか。変わってねえな、その無駄にデカい声とノリ」

「お前こそ変わってねえよ! いきなり人の黒歴史(小杉の)掘り返すな! 小杉もあの世で泣いてるぞ!」

たぶん小杉はまだ死んでない

 俺はゆっくり上半身を起こした。

 さっきまでのトラックの衝撃も、痛みも、まるで残っていない。むしろ身体が妙に軽い。十代の頃に戻ったみたいだ。関節の軋みがないだけで、こんなに世界が優しいとは。

 目の前でギャーギャーやってるのは、間違いなく俺の幼馴染――実家の道場『神詠一灯流(しんえい いっとうりゅう)』の同門、山崎幸助。通称ザキ。

 ……ただし、こいつは三十年前に交通事故で死んでいる。

「ザキがお迎えってことは……俺、やっぱ死んだのか?」

 俺が静かに問うと、ザキは騒ぐのをやめて真顔になり、力強く頷いた。

「ああ。盛大に逝った。まさかトラック四台に囲まれてのオーバーキルとはな……こっちのモニターの特等席で見せてもらったけど、芸術点高かったぜ」

「……そうか。四台は、さすがにな」

 不思議とショックはなかった。

 クソみたいな残業の毎日から解放された安堵と、親友に再会できた実感の方が強い。

 俺は立ち上がり、スーツをパンパンと払う。(この白い空間にホコリがあるかは知らないが、こういうのは儀式だ。)

 そしてザキの横で、最初からずっと偉そうにしている“子供”へ目を向ける。

 足を組み、頬杖をつき、こっちを値踏みするように眺めている。

「で? そっちの偉そうな子供は誰だ。まさか小杉の息子か?」

「まだ引っ張るか若造。……ワシは神じゃ」

 子供は、見た目の愛らしさを裏切る、しわがれた年寄り臭い声でそう名乗った。

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