せっかくかわいい闇の存在に転生したので、みんなのアイドルを目指してみた

浜彦

第一章 君は輝く、街は仄暗い

第1話 始まり

 私は、バーチャルアイドルが好きだった。きらきらと輝いている姿を見るのが好きだった。


 仕事を終えて、疲れ切った体を引きずるように帰宅すると、真っ先に推しのチャンネルを開く。アーカイブやメン限を流しながら、狭いワンルームで一人、にやにやと笑う。


 心地よい声で、面白い話をして、あるいは可愛い姿のまま、画面の中で歌って踊る。そんなふうに輝く子たちを眺めていると、仕事に奪われていた気力が、少しずつ体に戻ってくる気がした。


 たぶん、死ぬときも私は笑っていたんだと思う。可愛いバーチャルアイドルたちの動画を摂取しながら、そのまま、静かに息を引き取った。人生で特別な悪事も働いていない私なら、きっと天国に行けるはずだ。


 ……だから頼む。ここが私の行き着く先じゃないと言ってくれ。




『アc、dqエポrんm・vfせ;wさわ荏*&%$^kャル』




 闇の中で、の姿がはっきりと私の目に映り込んだ。

 名状しがたい、触手の集合体のような、冒涜的な凝集体。

 蠢き、変質し、ねじれる。

 ただ見ているだけで、魂の奥底が震え上がる。


 発せられているのは、理解できない、呻きとも咆哮ともつかないただのノイズのはずなのに、それの意志だけは、はっきりと私の脳裏に流れ込んできた。




 ――力が、欲しいか?




 あっ。終わった。


 ふと、昔のことを思い出した。推しが雑談配信で話題にしていたからと、軽い気持ちで観に行ったカルト映画。確か、あれにもよく似た場面があったはずだ。


 今、私の目の前にのおそらくは、宇宙の上位存在とか、そういう類のものだろう。しかも、最悪の状況だ。目の前のそれは、どうやら私に何かを「授ける」つもりらしい。


 本能的に拒絶しようとした。

 だが、すぐに気づく。

 喉がない。体もない。

 声を上げることも、身じろぎすることすらできない。


 私はただ、眼前の存在が送り込んでくる意念を、無抵抗に意識へ流し込まれるしかなかった。




 ――力が欲しいのなら、くれてやろう。




 魂が歪み、精神が焼かれ、生命そのものが変質していくのを感じる。存在しないはずの口で、私は悲鳴を上げた。


 だが、無数の触手と、粘液を滴らせる巨大な口を持つ肉塊は、ただ淡々と、私を歪め、捏ね上げ、形を変え続けるだけだった。魂を引き裂かれるような激痛げきつうの中で、私は、はっと目を見開いた。


「……えっ?」


 我に返ったとき、私は薄暗い小屋の中にいた。自分でも驚くほど高くて幼い声が、思わず口から漏れる。自分の声が、鈴の音みたいに澄んでいる気がする。


 視線の位置も、いつもよりずっと低い。首を落としてみると、そこにあったのは雪のように白く小さな両手と、裸足のままの足先だった。


 周囲を見回して、最初に目に入ったのは、

 ひび割れて汚れた一枚の鏡。


「……これが、私?」


 思わず、自分の顔へと手を伸ばした。


「ははっ」


 乾いた笑いが漏れる。指先に触れたのは、もう荒れた肌でも剃り残した無精髭でもない。なめらかで、丸みを帯びた、柔らかな感触だった。 


 鏡に映っていたのは、幼い少女の顔だった。腰まで届く髪はカラスの濡羽色ぬればいろ。白い肌に、桜色の唇。華奢な体つき。身にまとっているのは、明らかに不釣り合いな、ぼろぼろの服。


 鏡の向こうから私を見返してくるのは、深く、紫色の瞳。まるで、この世のすべてを吸い込んでしまいそうな目だった。私は恐る恐る、鏡へと手を伸ばす。


 カチリ。


「っ!」


 ガラスの破片を誰かが踏んだような音に気づき、私は慌てて振り返った。


 逆光の中、金色の瞳が、きらりと光って私を見つめている。本能的に後ずさりし、身を守るように手を伸ばす。

 だが、数秒もしないうちに気づいた。相手は今の私と、年頃も背丈も変わらない少女だった。彼女は、一歩踏み出した姿勢のまま、固まっていた。


 赤い髪に、金の瞳。

 少し汚れた顔。

 私と同じように、ぼろぼろの服を身につけている。


 少女は目を大きく見開き、彫像ちょうぞうのように、ぴくりとも動かない。

 その視線に耐えきれず、私は思わず口を開いた。


「あ、あの」


「あんたは……天使、なの?」


「……え?」


 思わず、首をかしげる。


 確かに、彼女の言葉は聞いたことのない異国の言語のはずなのに、なぜか意味だけは、はっきりと理解できていた。それよりも、内容のほうが理解できない。


「えっと……天使?」


 私が問い返すと、少女ははっとしたように息を吸い、眉をひそめて、慌ただしく周囲を見回し、は私の手首を掴んだ。力が強く、思わず顔をしかめるほどに。


 少女は私を部屋の奥へと引きずり込み、影の中へ押し込む。そして、私の口を手で塞がる。


「静かに」


 耳元で、少女が囁く。


「来る」


 言葉の意味を噛みしめる暇もなく、私の耳に足音が届いた。それに続いて、金属同士が擦れる音。


「いない!あのクソガキ、どこに行きやがった!」


「手分けして探せ!」


「今度こそ、必ず捕まえるぞ!」


 荒々しい男たちの声と、慌ただしい足音が、小屋の前を駆け抜けていく。私は息を殺し、視線の端で、隣の少女を窺った。


 赤髪の少女は金色の瞳を見開いたまま、出口のほうを見据えている。やがて、足音が完全に遠ざかると、彼女はようやく小さく息を吐き、私の口を解放した。


 それでも、彼女の手は、私の手首をしっかりと掴んだままだった。


「……あの――」


 声をかけようと、私のお腹から『ぐぅ』……と間の抜けた音が鳴る。その音を聞いた赤髪の少女は、一瞬きょとんと目を見開き、くすりと微笑んだ。彼女は背負っていた小さな袋を軽く叩き、再び私の手を引く。


「ついてこい。ちょっといいものを手に入れた。安全な場所に着いたら、分けてあげる」


「……う、うん」


 他に選択肢もなく、私は大人しく彼女に引かれるまま、路地裏を小走りで進んだ。けれど、どうしても気になっていることが一つあった。


「あの!」


「……なに?」


「さっき言ってた、天使って……?」


 その問いを聞いた途端、少女の視線が、ふいっと泳いだ。唇をきゅっと結び、少しだけ顎を上げる。そして、頬がわずかに赤く染まった。


「……あたしの勘違いだ」


「え?」


「勘違いって言ってる!最初に見たとき、天使とか、人間じゃないものだと思っただけ!ああもう、細かいこと聞くな!さっさと来い!じゃないと、あいつらが戻ってくる!」


「えっ……あ、うん」


 再び強く手を引かれながら、私は少女の言葉を、頭の中で反芻はんすうしていた。


 天使?この、私が?


 ぼんやりと、通り過ぎる路地の、汚れたガラス窓を見る。曇ってはいるけれど、今の私の、目を引く容姿までは隠せていない。夕日が髪に差し込み、まるで頭の上に、天使の輪が残っているみたいだった。


 下腹の奥から、くすぐったいような、熱を帯びた快感が湧き上がり、一気に脳を突き抜ける。




 あはっ。




 体が熱を帯び、唇がわずかに震える。自分の顔が、笑みに歪んでいくのがわかった。慌てて口元を引き締め、俯いて、髪で顔を隠す。口の中に、唾液がじわりと溢れ、まるで、とびきり甘いものを味わったみたいだった。


 脳裏にはさっき見せた、赤髪の少女の照れたような、目を逸らした表情がいつまでも、残っていた。


 ああ。


 もっと、見たい。

 あんなふうに、酔いしれて、我を忘れ、全身全霊で――私だけを映す、その視線を。


 前世ですら味わったことのない高揚感が、全身を満たしていく。

 この感情の正体は、まだよくわからない。

 それでも、直感だけははっきりと告げていた。

 もっと、必要だ。


 未知の麻薬みたいに。

 癖になる感覚みたいに。

 焦燥に満ちた心が、すでにそれを渇望している。


 もし、私だったら。今の私ならかつて見てきた、あのバーチャルアイドルたちみたいに、きらきらと輝けるんじゃないだろうか。それどころか、もっと、もっと眩しいくらいに。


 理性が、まとわりつく感情に飲み込まれそうになるのを感じて、私は必死に、それに蓋をする。手首から伝わってくる、赤髪の少女の体温を感じながら、頭の中で、万人に囲まれ、崇められる自分の姿を思い描いた。


 ――私を崇めて、私を推して。もっと、もっと。


 走りながら、私は今生の目標を定めていた。

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