第5話 愛の日々と、心の深まり
週末や時間をつくり
ひろみのアパートへ向かう道は、
何度通っても胸が少し高鳴った。
いつもの玄関、
いつものテーブル、
いつものカップ、
そして、
いつものように「おはよう」と迎える微笑み。
そのすべてが、私にとって小さな宝物だった。
それがまた私を深く惹きつけた。
ありえないと思っていた心に
60代の人生で
最も若く、最も美しい時間だった。
追録:メダカ
いつ頃のことだったか、
はっきり、記憶していない。
たぶん、
二人が呼吸を合わせはじめていた頃だろう。
ひろみとの四年間で、
どうしても抜けないものがある。
それは、メダカ。
最初、物語に書かなかった、
というより、書けなかった。
少しだけ、
二人のメダカの話を
やっと書いてみようと思えるようになった。
****
「メダカ飼ってるんだけど、ひろみも飼う?」
と突然、なにげなく話した。
「え〜メダカ飼ってるんだ。私ね、小さい頃
海辺で小さなサカナを一日中、眺めてたんだ。
面白いね。飼ってみようかな?」と、、。
その頃は、メダカブームだった。
ただ、彼のメダカは、近くの山奥から
彼自身が、すくってきて、
自宅の水槽で一人眺めていたもの。
それが、子どもメダカが次々に増えていた。
ひろみのアパートの一角でメダカの水槽が泳いだ
14〜16匹くらいだろうか。
ある朝LINEで、「これ見て」と動画が送られてきた
メダカの交尾をじっと見て撮った動画だ
「面白いね、もてるメダカと、追いかけるメダカがいる」
とうれしそうに喋った。
「メダカの恋愛は朝早いから、起きるとすぐにじっと眺めているんだ」と言った。
最初は、私に付き合うつもりで飼い始めたのかと思っていたが、そうでもなかった。
やはり面白いひろみだと思った。
水槽の中の浮き草、ホテイアオイも水に揺れた
「ホテイアオイの根っこが一番卵つきやすいんだよ」と
そして、根っこについたり、水槽の下に沈んだ卵を
指で一個一個ひらい、別に分けていた。
「ねえ、ねえ、知ってる受精卵とダメな、卵の殻の弾力が違うんだよね」とまで言った。
そんな、ひろみがとても面白かった、愛おしかった。
水槽には、別れた後も、メダカが泳いでいる。
何事もなかったように。
もしかしたら、書けなかったのはそのせいかもしれない。
メダカもかれこれ、4年間、ひろみのアパートの一角で
泳いでいる。それは、別れが来たことも知らないように
ただ、自由に泳いでいる。
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