第二章 逆さの剣を持つ者たち
まず、タケミカヅチの所作から検討しよう。
「剣を逆さに立てて、その上に座る」という異様な姿勢。この行為の意味を考えるには、タケミカヅチがどのような神であるかを知る必要がある。
タケミカヅチは、剣そのものとして生まれた神である。
古事記によれば、イザナギがカグツチ(火の神)を斬り殺したとき、剣についた血が岩に飛び散って、いくつもの神々が生まれた。タケミカヅチはその一柱だ。剣の血から生まれた神。
日本書紀には、フツヌシ(経津主神)という神も登場する。国譲りの場面では、記紀によってタケミカヅチとフツヌシの役割が異なるが、両者はしばしば一対の剣神として扱われる。「フツ」とは、剣で物を断ち切る音を表すという説がある。
民族学者の大林太良と、比較神話学者の吉田敦彦は、1981年に『剣の神・剣の英雄――タケミカヅチ神話の比較研究』という共著を発表した。この本は、日本神話の剣神を、汎ユーラシア的な規模で比較検討している。
彼らが注目したのは、黒海東岸に住むオセット人に伝わる「ナルト叙事詩」だった。
◆
ナルト叙事詩は、コーカサス山脈周辺の民族に伝わる英雄叙事詩群である。ナルトとは、超人的な力を持つ巨人の種族を指す。その中でも最大の英雄が、バトラズという半神だ。
バトラズには、奇妙な誕生譚がある。
彼は父親の背中の瘤から生まれた。生まれたとき、その体は真っ赤に焼けた鋼鉄でできており、火花を発しながら瘤から飛び出すと、そのまま海に飛び込んで海水を沸騰させた。
鋼鉄の体を持つバトラズは、鍛冶神クルダレゴンによってさらに鍛えられ、どのような武器も通さない無敵の体となった。彼は武器神の剣の持ち主であり、ナルト族の守護者として数々の武勲を立てる。
ここで、タケミカヅチとの共通点を整理してみよう。
タケミカヅチは剣の血から生まれた。バトラズは鋼鉄の体で生まれた。
タケミカヅチは雷神である(名の「カヅチ」は雷の意)。バトラズは天から雷として降りてくる。
タケミカヅチは海に剣を立てる。バトラズは海に飛び込むと海が沸騰する。
タケミカヅチは国譲りの使者として天から降下する。バトラズは天あるいは海底から現れてナルトを助ける。
吉田敦彦は、この二者の間に構造的な一致を見出している。「剣=雷神の誕生」「天からの降下と水中からの出現」など、複数のモチーフが重なっているのだ。
さらに興味深いのは、バトラズの死にまつわる伝承だ。
◆
バトラズは、やがて神々の怒りを買い、死を迎えることになる。死の直前、彼は生き残ったナルトたちに命じた。
「我が剣ズスカラを海に投げ入れよ」
しかし、剣があまりに重いため、ナルトたちは投げ入れることを諦め、隠してしまう。バトラズはそれを見抜いた。何度かのやり取りの後、ナルトたちはようやく何千頭もの獣に剣を引かせ、どうにか海に投げ入れた。
すると、海は荒れ狂った。
沸騰した。
血の色に染まった。
それを聞いたバトラズは、安心して息を引き取った。
◆
この伝承は、別の有名な物語を思い起こさせないだろうか。
アーサー王伝説である。
瀕死のアーサー王は、騎士ベディヴィアに命じた。
「エクスカリバーを湖に投げ入れよ」
ベディヴィアは剣の美しさに惹かれ、最初は隠してしまう。しかしアーサー王に見抜かれ、ついに剣を湖に投じた。
すると、湖から手が現れた。
剣を受け取り、三度振って、水の下に消えた。
バトラズの神剣とエクスカリバー。
海に投じられる剣。
死にゆく英雄。
この二つの物語は、あまりに似ている。近年の研究では、オセット人の祖先であるスキタイ人やサルマタイ人がブリテン島に移住し、アーサー王伝説の原型をもたらしたという説が有力視されている。
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ここで重要なのは、「剣と水の関係」という普遍的モチーフの存在だ。
スキタイ人は、剣を神として崇拝していた。ヘロドトスは『歴史』の中で、スキタイ人が鉄の剣(アキナケス)を祭壇に立てて、これを軍神アレスとして崇拝したと記録している。
古代ヨーロッパでも、剣が湖や川に奉納される習俗があった。ケルト人は神聖な泉や湖に武器を投げ入れた。デンマークのデュベック湖からは、鉄器時代の剣が大量に発見されている。
剣を水に沈める。
剣を水に立てる。
これは、印欧語族に広く分布する「剣神信仰」の一端なのかもしれない。
タケミカヅチが「剣を波に逆さに立てて、その上に座る」という行為は、この文脈で理解できる。それは単なる威嚇ではない。「この者は剣そのものである」という神格の顕現なのだ。
剣を立てることで、神聖な交渉の場が設定される。
刃先に座ることで、人間には不可能な神威が誇示される。
そして「逆さ」という要素。これについては、次章でコトシロヌシの所作と合わせて検討しよう。
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