◇覆水盆
さて、互いにそれなりに現在の立場に適応しつつ、1ヵ月を過ごした私達は、それでも約束を違えることなく、祖父母の屋敷へと集まっていた。
私に関して言えば、正直、今の暮らしに未練はあった。
煩わしい大学受験や就職のことを心配しなくて良いというのもさることながら、優しくハンサムな夫と愛らしい娘に囲まれ、生徒達から憧憬の眼差しを向けられる日々に、私はすっかり満足していたからだ。
けれど、だからこそ、このまま「栗林優美」としての立場を盗んではいけない──と、私の心の奥底のなけなしの良心のようなものが、約束を破ることを許さなかったのだ。
あるいは、「二度目の高校生活も結構悪くないよ♪」と、電話でおどけてみせる恵美子ちゃんに対して、いつしか「妹」に対する愛情、あるいは保護欲のようなものを感じるようになっていたからかもしれない。
──しかし、その日、離れに足を運んだ私たちが見たものは、無残に割れたあの姿見だった。
これでは当然、元に戻ることなんかできるはずもない。
茫然とした私達は、そのままフラフラと祖父母の家を後にして、それでも数十分後には何とか無事に互いの家に帰りついていた。
私は、栗林家に。
恵美子ちゃんは、高塚家に。
すでに、無意識のレベルで、そこが自分達の「帰るべき場所」だと私たちは認識するようになっていたのだ。
そしてそれからおよそ半月後。
冷静になって改めて事態を噛みしめた私たちは、恵美子ちゃんの学校近くの喫茶店で「最後の話し合い」を行っていた。
無論、話題は、今後の身の振り方について。
「こうなったからには、仕方ないよ、お姉ちゃん。あたし達、それぞれの道を歩むしかないよね」
「順風満帆な栗林優美の人生」を得た私はともかく、恵美子ちゃんの方も意外なほどサバサバしていたのが、多少なりとも救いだろうか。
あるいは、彼女は彼女で安定しきった「栗林優美」としての暮らしに、何がしかの不満はあったのかもしれない。
それから半年以上も会わない日が続き……。
今日、久しぶりに、ここ──「あたし」にとっては懐かしい気もする(実はその感情も私の中では結構風化している)浜崎学園で、再会することになったというわけだ。
本当は、会う前は聞こうかと思っていたのだ。
「あの鏡を壊したのは、もしかして貴女じゃないの?」
けれど、今更それを問うことに何の意味があるだろう。
私自身、今の「優美」としての暮らしに満足こそすれ不満は殆どない。
そして、彼女もまた「恵美子」としての人生を望むと言うのなら……。
(──うん、この事について思い悩むのはもうやめよう)
「それじゃあ、高塚さん、明日からよろしくね」
「はーい、栗林先生……でも、プライベートの時は、「お姉ちゃん」って呼んでもいいよね?」
上目遣いで見つめる“従妹”の姿が抱きしめたくなるくらい愛おしい。
「それはもちろんよ、エミちゃん♪」
そう、だって私達は仲の良い従姉妹同士。
私にとってこの子は「可愛い妹分」で、この子にとって私は「優しいお姉さん」なのだから。
-end-
とりかえばや~不思議な鏡とふたりの従姉妹~ 嵐山之鬼子(KCA) @Arasiyama
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