◇あたしと私

 向かい合って互いの顔を見つめながら、しばし沈黙するあたしたち。

 でも、こうしていつまでもここにいるワケにはいかない。それはわかっていたが、行動に移すふんぎりがつかなかったのだ。


 「──やっぱり、入れ替わるしかないと思うよ」


 上手くまとまらない考えを、何度かこねくり回した末に出した結論を、あたしはポツリと呟いた。


 目の前の女性は、一瞬パッと顔を上げたものの、それでも何も言わず再び目を伏せてしまう。

 いつになく気弱で鈍重な反応の彼女の蒼白な顔を、あたしはボンヤリ眺めていた。


 目の前の女性は、喪服の黒いワンピース姿で首には真珠のネックレスを着けている。

 今日、何度も見たお姉ちゃんの服装だ。


 でも、ひとつ違うことがある。

 それを着ているのは、お姉ちゃんじゃない──「あたし」なのだ。

 まだ幼さの残る顔をした少女が、不釣合いな大人の格好をしている。

 

 それだけじゃない。

 あたしがあの鏡を覗き込むと、そこには「お姉ちゃん」の姿が映る。

 正確には、「あたしがいつも着ている制服を着ているお姉ちゃん」が立っているのだ。


 ただ、確証はないけど、あたしたちは「身体」そのものが入れ替わったんじゃないと思う。手の指紋とか、細かいホクロの位置とかで、何となく「コレは自分の身体だ」と感じるのだ。


 おそらく、あたしは歳をとってお姉ちゃんの年齢になり、お姉ちゃんは逆にあたしの歳まで若返ってしまったんじゃないだろうか。

 つまり、お互いの「年齢」が入れ替わったのだ。


 元々姉妹同然に似ていたあたしたちだから、年齢が変化しただけで、一見肉体が入れ替わったように見えるんだろう。

 だから、あたしは、決してお姉ちゃんそのものになったわけではない──はず。


 「そんなの……無理よ。何とかして元に戻ることを考えましょう」


 お姉ちゃんは、何か痛みを堪えるような小さな声でそう答えた。

 普通に考えれば、確かにお姉ちゃんの言葉の方が筋は通っている。

 でも、あたしは、そうすることに躊躇いがあった。


 そもそも、そんなに頭も度胸もないはずのあたしが、ここまで冷静に状況を把握できているのは、今の事態に至った理由に見当がついているからだ。


 じつは以前、この部屋に一度だけ入った時、お婆ちゃんに聞いたことがあったのだ。この鏡は、複数の姿を映し、その人達が同じ事を願うと、その願いを叶えてくれるのだ──と。


 さっき、あたしはお姉ちゃんに憧れ、心の奥で、お姉ちゃんみたいになりたいと願った。

 もしかしたら、お姉ちゃんも若い頃の自分に似たあたしを見て「昔は良かったなぁ」とでも感じていたのかもしれない。いや、たぶん、そうなんだろう。

 それで、鏡があたし達ふたりの願いを「年齢を入れ替える」という形で叶えてくれてたんだと思う。


 本当に身体ごと(あるいは魂ごと?)入替えなかったのは、そうするにはあたしたちふたりの「願い」の量(?)が足りなかったからかもしれない。

 お婆ちゃんの話では、鏡に映る人数が多ければ多いほど、そして願いが強ければ強いほど、とんでもない奇跡が起こるらしいから。


 ただ、なぜか、その事実を口にするのに躊躇いがあった。


 ──ううん、「なぜか」じゃないよね。

 あたしは、「一度優美お姉ちゃんの立場になってみたい」、ずっとそう思っていたからだ。

 だから、せっかく叶ったその願いを自ら壊すような真似をしたくなかったのだ。


 でも……このままだと、お姉ちゃんは納得してくれないだろうし、他の人達にあたしたちの現状を訴えるかもしれない。

 それでは、すべてが台無しだ。

 だからあたしは、諦めて妥協することにした。


 「大丈夫。元に戻る方法はあるから」

 「えっ!?」


 あたしはおねえちゃんにこの鏡の隠された秘密を話した。

 最初は信じようとしなかったお姉ちゃんも、目の前の現実には勝てず、半信半疑ながらあたしの説明に頷くしかなかった。


 「つまり……今のこの状況は、私達ふたりが願ったせいなのね?」

 「うん、たぶん。お姉ちゃんに心あたりはある?」


 そう聞くと、お姉ちゃんはフイと視線を逸らした。


 「……エミちゃんはどうなの?」

 「あたし? あたしは──うん、あると思う。「早くお姉ちゃんみたいな素敵な大人の女性になりたい」っていつも思ってたもん」


 あたしが素直に認めると、お姉ちゃんはなぜか苦笑いした。


 「エミちゃん、私はそんなに憧れてもらえるような立派な女じゃないわ。それに……大人になるって、それはそれで結構辛いことよ?」


 その言葉は、お姉ちゃんが過去、あるいは今のあたしの立場を羨んでいたことを認めたようなものだった。


 「じゃあ、元に戻るには、もう一度ふたりで鏡に映って「元に戻りたい」って願えばいいのかしら?」

 「うん、そのはず。ただ、一度願いを叶えると、しばらく“力”がなくなるから、最低でも一昼夜はおかないとダメらしいよ」


 叶った願い事の大きさに比例して、“奇跡パワー”を溜めるための時間は長く必要だって、お婆ちゃんは言ってた。


 「つまり、少なくとも明日にならないと元には戻れないってこと?」

 「そういうことだね。だから、とりあえず今は、あたしたち、入れ替わるしかないと思う」


 もちろん、あたしの願望が入っていることは否定しないけど、時間をおく必要があるのは本当のことだ。


 「エミちゃん、楽天的ねぇ……。でも、確かにこのままだとマズイものね」

 「そうそう。だから、ここはいったん入れ替わるしかないって」


 あたしの魂胆なんてお見通しなんだろうけど、さっきみたいに頭から否定しなくなったのは、お姉ちゃんも、元に戻れるとわかって心に余裕が出来たからかもしれない。


 「でも、入れ替わるっていうことは、エミちゃんが私になるということよ。大丈夫?」


 からかうようなその言い種に、ちょっとだけカチンときて、あたしは言い返した。


 「平気だって! それを言うんだったら、お姉ちゃんこそ、あたしになり済ませるの?」

 「私は……エミちゃんと違って大人だもの。それに、私は母親なのよ?」


 確かに、この家には3歳になるお姉ちゃんの娘のマミちゃんも連れて来られている。今はたぶん、和也おじさん──お姉ちゃんの旦那さんか誰かが世話してるんだろうけど、離れから戻ったら、当然母親である「優美」が面倒みることになるはずだ。

 つまり、このままだと、あたしが。


 でも……。


 (それでもいい! お姉ちゃんになりたい!)


 そんな強い気持ちがあたしの中にふつふつと湧き起こる。

 「お姉ちゃんみたいになりたい」が、「たとえ一時でもお姉ちゃんになりたい」という衝動にいつの間にか変化していた。


 幸いマミちゃんは歳の割に利発で聞きわけのいい子だから、あたしでも一日くらい面倒はみられるに違いない。この家にいる間なら、他の親戚のおじさん、おばさん達もいるわけだし。


 「大丈夫、あたしだって女の子なんだからね! ちゃんと「お母さん」やってみせるよ」


 自信たっぷりに、そう宣言してみせたせいか、お姉ちゃんは躊躇いながらも私の提案に納得してくれた。

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