月明かりが照らす喫茶店で、僕は新たな恋をはじめる

和希

第1章

第1話 喫茶〈月夜見〉

 世の中には、つくづく運に見放された人間というものがいるもので。きっと僕はその代表格なのだろう。


 夕方、閉館間際の図書館からちょうど一歩目を踏み出した、その刹那。

 灰色の空からぽつり、ぽつりと急に雨が降り出した。


「今日、雨が降るなんて言ってなかったぞ」


 意地悪な空を見上げ、独り言ちる。朝の情報番組でも、折りたたみ傘を持ち歩いたほうがいいなんて忠告はしていなかったはずなのに。


 もっとも、ツイていないのはいつものこと。雨に濡れて歩くくらい、どうってことない。

 ……そう思って、駅までの道を歩き始めたものの、雨脚はそんな僕の浅はかさをあざ笑うかのように、しだいに強さを増していく。


 そういえば、昔読んだ『走れメロス』にも「車軸を流すような大雨」って表現があったっけ。バケツをひっくり返したような土砂降りの雨の中を駆けながら、ふとそんなことを思い出す。春休みには満開だった桜の木も四月の半ばを過ぎた今ではすっかり色を失い、雨に打たれてなんだかみじめだ。


「くっ、どこか雨宿りできる場所は――?」


 ついに観念して足を止め、辺りを見わたす。

 すると、普段はまるで気にも止めない細い路地の先に、人目を避けるかのようにひっそりと建つ古びた洋館が目に入った。

 僕は強まる雨から逃れたい一心で、建物へと駆け寄った。



――喫茶〈月夜見つくよみ



 入り口付近に掛けられた控えめな看板に、店名が書かれていた。

 どうやら洋館を改築して、一階を喫茶店にしたらしい。歴史を感じさせる外装は趣があり、まさに秘密の隠れ家といった雰囲気だ。


 心引かれるままに、木製の扉をそっと開いてみる。

 たちまち、カラン、とベルが鳴った。


 目に飛びこんできたのは、外とはまるでちがう別世界。

 夜のとばりが下りたかのような、藍色に統一された壁。

 月明かりを思わせる、天井から吊るされた丸いランプのあたたかな光。

 アンティーク調の家具に、心地よいピアノの旋律。かぐわしい珈琲の香り。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの奥で、亜麻色のゆるふわハーフアップの美人がにこやかに微笑みかける。

 白いフリルのカチューシャに、純白のブラウス、ミントグリーンのコルセット風ベスト。ロリータ服をまとい、まるでドールハウスから飛び出してきた人形のような可憐さだ。


 そして、もう一人。


「いらっしゃいませ。お席にご案内いたします」


 黒髪ツインテールの女性店員が、澄んだ声でうやうやしく頭を下げる。

 奥にいる女性と同じ、甘々のロリータ服。ただ、色味がちがう。

 彼女の華奢な体を包みこむのは、深いネイビーのコルセット風ベストに、膝丈のフレアスカート、白いタイツ、ピンクのリボンタイ。奥の女性がおだやかな春の陽だまりなら、こちらの女性は涼やかな秋の名月を思わせた。


 僕は鞄から取り出したハンドタオルで雨粒をぬぐいながら、黒髪の店員さんに案内されるまま、後をついていく。

 彼女が歩を重ねるたびに、ツインテールと、腰の辺りで結われた白いエプロンの結び目が小さく揺れた。


「こちらがメニューになります」


 僕が席に座るなり、彼女が淡々とメニュー表を差し出す。


「ありがとうございます」


 僕は受け取ろうと顔を上げ、ハッとした。

 ……あれ? この人、どこかで見たことあるような?

 彼女のほうでも僕に気づいたらしい。目を大きく見開くと、気まずそうに目線を背け、早くこの場を離れたそうにもじもじしはじめた。


「あの、僕たち、どこかで会ったことありますよね?」

「さあ? 人ちがいでは?」


 ツンとした、冷たい声。

 この反応、まちがいない。僕たちはきっとどこかで出会っている。でも、いったいどこで?


「それより、ご注文はまだでしょうか? 案外、優柔不断なのですね。よければ私がお決めしましょうか?」

「いや、まだメニュー表すら見ていないんだけど」

「私も忙しいので、早く決めていただけると助かります」

「失礼ですけど、どう見ても忙しそうに見えませんよね? お客さん、僕しかいませんし」

「かしこまりました。ブラック、ミルクとお砂糖なしですね。以上でよろしいでしょうか?」

「僕、そんなこと一言も言ってませんけどっ!?」


 なんて強引でせっかちな店員さんなんだ、と一周回ってすっかり感心していると、まもなく珈琲が運ばれてきた。


「お待たしました。『月夜見ブレンド』です」


 テーブルに置かれたのは、夜空の色に似た瑠璃色の陶器のカップとソーサー。縁にほどこされた金彩はまるで月光のようだ。

 一口飲んでみる。


「……美味しい」


 深いコクのあるビターな味。でも心がほっと和らぐような、苦みの中にほのかな甘い余韻を残すような、品のいい僕好みの珈琲だ。

 珈琲をしみじみ味わっていると、黒髪ツインテールの女性が僕にたずねた。


「珈琲、お好きなんですか?」

「ええ、まあ。読書をしながら珈琲を飲む時間が、僕にとってはいちばんの贅沢なので」

「そうでしたか。お暇なんですね。読書もけっこうですが、こちらは図書館ではありませんので。お飲みになりましたら速やかにお帰りくださいませ」

「塩対応すぎません!?」


 彼女は冷淡にそう言うと、失礼します、と頭を下げ、僕の元を去っていく。

 たはは……。僕、彼女に何かしたかな?

 すると、奥にいたもう一人の美人の店員さんが、黒髪ツインテールの彼女に問いかけた。


「ふふっ。灯ちゃん、今日はやけにしゃべるじゃない。もしかして、灯ちゃんのお友達?」

「いえ、ちがいます。同じクラスにいたような気もしますが、きっと他人の空似です」


 彼女は頑なに首を横にふる。

 けれども、二人の会話を耳にしたおかげで、僕はようやく思い出した。


「ああっ! もしかして、麻倉さん!?」


 僕が立ち上がって指をさすと、彼女はネコのような目を吊り上げ、苦々しそうに僕をにらんだ。


 まちがいない。

 彼女の名前は『麻倉あさくらあかり』。

 僕と同じ高校に通う二年生。しかも、教室ではいつも僕のとなりに座っている、クラスメイトの女の子だ。


 それなのにすぐに思い出せなかったのは、彼女の様子が教室にいる時とはまるで異なるから。

 僕の知っている麻倉さんは、いつも長い黒髪をまっすぐ下ろし、丸い眼鏡をかけ、自分の席にじっと座って一人で静かに過ごしている、無口で控えめな大人しい女の子だ。


 だから、夢にも思わなかったんだ――まさか、麻倉さんがツインテールに髪を結い、眼鏡をはずし、ロリータ服を着てアルバイトをしていたなんて。


「はあ……、バレてしまいましたか。それなら、仕方がありませんね」


 麻倉さんは僕のテーブルにつかつかと近寄り、鋭い目で僕を見下ろす。


「言っておきますが、私がここでアルバイトしていることを学校の誰かにバラしたら、どうなるか分かっていますよね? 森沢もりさわ涼太りょうたさん」


 可愛らしい姿からはおよそかけ離れた、脅すような、圧がある声。

 甘々な衣装に似つかわしくない悪い顔をした麻倉さんが、そこにいた。




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2026年1月2日 18:00
2026年1月3日 18:00
2026年1月4日 18:00

月明かりが照らす喫茶店で、僕は新たな恋をはじめる 和希 @Sikuramen_P

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