第10話:卒業式—婚約破棄と断罪
卒業式の日は、やけに空が澄んでいた。
澄んだ空は嫌いじゃない。
でも、澄んだ日に限って、面倒はよく燃える。
風が通るから。
火が広がるから。
そして今日の火は、広間の中心に据えられている。
私はその中心に近づきたくないのに、最前列の“見やすい位置”を与えられていた。
上流貴族の席。
つまり逃げられない席。
嫌だ。
(神様、今日で終わるよね)
「終わるといいねぇ」
(いいねじゃなくて、終わる)
「終わるよ。たぶん。君が舞台を組んだんだし」
(組みたくて組んだんじゃない)
「でも組んだ。結果は出る」
(結果が出たら、私は寝る)
「うん。寝な」
私は深呼吸を一つして、広間を見渡した。
壇上には校章。
来賓席には教師と貴族。
そして中央の席に、第二王子がいる。
金髪、整った顔、得意げな笑み。
あの笑みが嫌いだ。
“勝った”と思っている人の笑みだから。
勝ったと思っている人は、だいたい最後に足元をすくう。
足元をすくわれた人は、周囲を巻き込む。
巻き込まれるのは面倒だ。
私は巻き込まれたくない。
だから、巻き込まれない形に整えた。
整えたのに、心臓が少し早い。
布団不足だ。
絶対そうだ。
横恋慕令嬢は、王子の少し後ろ。
控えめに見える位置。
でも目立つ。
目立つように立っている。
美貌と笑顔と、“正義”の光をまとって。
正義の光は眩しい。
眩しいと、影が濃くなる。
影が濃くなると、“悪役”が必要になる。
そしてその悪役は、深紅の髪の彼女だ。
悪役令嬢――彼女は、予定通りの位置に立っていた。
背後に壁。
横に教師。
前に式典係。
逃げ道はない。
でも、逃げ道がないのは今回だけ、必要だ。
逃げ道があると、相手が「逃げた」と言える。
言えると、面倒が長引く。
長引くと、私が寝られない。
寝られないのは致命傷だ。
だから逃げ道は塞いだ。
冷たい理由だ。
私は自分の冷たさが嫌いではない。
冷たい方が、余計な火傷をしないから。
式は粛々と進んだ。
祝辞。
証書授与。
拍手。
拍手は好きだ。
誰かを殴る拍手じゃなければ。
拍手が“同調”になる瞬間だけ、嫌だ。
同調は思考停止で、思考停止は事故の温床だから。
今日は、同調が武器として使われる日だ。
私はそれを止めたい。
止めるために、ここにいる。
嫌なのに。
そして。
予定の時間が来た。
式典の最後。
第二王子が立ち上がる。
会場の空気が一瞬で変わる。
「何か起きる」空気。
空気は正直だ。
面倒が起きるときの空気は、必ず甘い匂いがする。
毒の砂糖みたいな甘さ。
「皆に、伝えたいことがある」
王子の声が響いた。
柔らかいが、強い。
王族の声。
人を従わせる声。
嫌だ。
こういう声は、脳をサボらせる。
サボらせると、後で片付けが必要になる。
片付けは嫌いだ。
横恋慕令嬢が、少しだけ俯く。
謙虚の演技。
“殿下の決意を見守る私”の演技。
完璧だ。
完璧な演技は、完璧な火種になる。
私は火種が嫌いだ。
「我が婚約者――」
王子の視線が、深紅の髪の彼女へ向かう。
会場の視線も一斉に動く。
視線の槍。
嫌だ。
視線は刺さる。
刺さった傷は目に見えないのに、後で膿む。
膿は面倒だ。
「――その資質に疑問を抱いた」
出た。
王道の宣告。
婚約破棄の前振り。
会場がざわめく。
ざわめきはすぐに、期待に変わる。
期待は残酷だ。
他人の破滅を“娯楽”にできる期待。
私はその期待が嫌いだ。
嫌いだが、止められない。
止めると、私が目立つ。
目立つのは嫌だ。
だから私は、止めるのではなく、方向だけ整える。
整えるだけ。
私は照明係。
そう自分に言い聞かせる。
王子は続けた。
「彼女は改革を妨げ、学園内でも不穏な行動を――」
言葉が並ぶ。
“改革への抵抗”。
“古い価値観”。
“殿下の名誉”。
全部、便利な棍棒。
殴るために用意された単語。
単語は血を流さない。
だから人は軽く振れる。
軽く振れた棍棒が、現実の骨を折る。
折れた骨は治るのに時間がかかる。
時間は面倒だ。
私は時間が嫌いだ。
横恋慕令嬢が、一歩前に出た。
声は甘い。
涙はきらり。
完璧な涙。
「殿下……お辛かったでしょう」
観客席から、ため息のような同調が漏れる。
気持ち悪い。
同調の空気は、私の平穏を削る。
私はその空気を切りたい。
切るには、形式だ。
形式は空気を切れる。
彼女は、矛先を深紅の彼女へ向ける。
「私、見ていられませんでしたの。殿下がどれだけ傷ついてこられたか……。そしてこの方が、どれだけ冷たく……」
冷たい。
その言葉を使うな。
冷たいのは、彼女の防具だ。
防具を剥がすと、人は裸になる。
裸にした人間を、群衆は平気で殴る。
殴られると、爆発する。
爆発は面倒だ。
私は爆発を避けたい。
深紅の彼女は、動かなかった。
言い返さない。
泣かない。
取り乱さない。
——昨夜の手順通り。
その一点だけで、私は少しだけ呼吸が楽になる。
手順が守られると、事故率が下がる。
事故率が下がれば、面倒が減る。
私は面倒が減るのが好きだ。
王子が、決め台詞を吐いた。
「よって私は、ここに婚約破棄を宣言する!」
ざわっ。
空気が跳ねた。
これが群衆の快感だ。
“物語が動く”快感。
気持ち悪い。
でも、ここからが本番。
私は、机の下で指先を軽く握った。
緊張ではない。
段取りの確認だ。
段取りは、私の唯一の安心材料。
深紅の彼女が、一歩だけ前に出た。
声は静か。
「形式を求めます」
会場が一瞬静まる。
誰も予想していない台詞。
王道の悪役令嬢は、ここで感情的に叫ぶはずだから。
叫ばない。
だから空気が止まる。
止まった空気は、形式に弱い。
形式は空気より強い。
私は少しだけ、心の中で頷いた。
いい。
そのまま。
王子が眉をひそめる。
「形式だと?」
彼女は淡々と言う。
「公開の場での断罪を望むなら、規定に則りましょう。学園規定、ならびに王族臨席下の裁定手順に従い、証拠と証人を提示してください」
会場がざわめく。
ざわめきは“不満”ではない。
困惑だ。
困惑は良い。
困惑は、同調を止める。
同調が止まれば、事故が減る。
私は困惑が好きだ。
面倒が少ないから。
横恋慕令嬢が笑う。
優しい笑い。
「もちろんですわ。証拠なら、ございますもの」
彼女は取り巻きに合図する。
取り巻きが、紙束を掲げる。
冤罪の再提示。
備品の件。
噂のまとめ。
彼女の“物語”の脚本。
——でも、それはすでに潰してある。
潰してあるから、出してくれて助かる。
相手が自分で首を差し出す形が一番面倒が少ない。
深紅の彼女が言う。
「その備品の件は、学園備品の記録石に記録が残っています」
教師が一歩出る。
形式に強い教師。
「記録石の保管番号は――こちらです」
教師は、番号札と、保管庫の鍵の控えを提示した。
会場が静まる。
静まった空気は、紙に弱い。
紙は強い。
紙は否定しにくい。
否定しにくいと、面倒が減る。
私は紙が好きだ。
紙は裏切らない。
横恋慕令嬢の笑顔が、一瞬だけ固まった。
一瞬で戻る。
戻るのが上手い。
上手いが、固まった事実は消えない。
群衆は、こういう一瞬に敏感だ。
敏感なのに、普段は鈍い。
面倒な生き物だと思う。
第二王子が、苛立ちを隠さず言う。
「くだらん。そんな石一つ、どうにでも――」
教師が遮った。
「殿下。学園備品の記録石は、教職員の管理下です。改竄の疑いを口にされるなら、まず学園への正式な訴えが必要になります」
形式はこういうとき強い。
王族でも、形式を無視すると“横暴”になる。
横暴は支持を落とす。
支持が落ちるのは王族が嫌う。
だから王子は、言葉を止めた。
止まった。
良い。
止まれば、事故が減る。
深紅の彼女は続ける。
「さらに。殿下側からの圧力と脅迫も記録されています」
教師が、別の記録石の封印札を示した。
「小会議室の常設記録石です。議事録用のもの。保管は私が」
会場がざわめく。
今度は困惑ではない。
疑念。
疑念は良い。
疑念は物語を壊す。
物語が壊れれば、群衆は手を止める。
止まれば、面倒が減る。
私は疑念が好きだ。
面倒が少ないから。
横恋慕令嬢が、少しだけ声を強めた。
「それは誤解ですわ! 私たちは国のために――」
深紅の彼女が、静かに言った。
「国のため、なら。反対派を“排除すれば静かになる”と、ここで言えますか」
——空気が凍った。
その言葉。
“排除”。
ここで出したら終わる。
出したら、彼女の正義の仮面が割れる。
割れたら、群衆は態度を変える。
群衆の態度が変わると、矛先も変わる。
矛先が変わると、今度は彼女が刺される。
刺されると、彼女は暴れるかもしれない。
暴れると面倒だ。
でも、暴れずに済む形も、用意してある。
形式があるから。
証拠があるから。
私は、淡々と見守る。
観客席で。
拍手するために。
横恋慕令嬢は、笑顔を保とうとした。
でも口角が、微かに震えた。
そして彼女は、言った。
「……殿下の改革を邪魔する者は、いずれ国の敵になりますわ」
言い換え。
逃げ。
でも“排除”の匂いは消えない。
群衆は匂いを嗅ぐ。
一度嗅いだ匂いは戻らない。
戻らないなら、良い。
早く終われ。
私は心の中でそう願った。
第二王子が、苛立ちのまま前に出た。
「もういい! こんな茶番――」
彼は深紅の彼女の腕を掴もうとした。
掴む。
身体拘束。
越線。
——その瞬間、私の頭の中の“条件”が揃った。
私は何も言わない。
言わない。
言わないが、配置は効く。
教師が一歩入った。
「殿下、規定に反します!」
その声が、形式の合図になった。
深紅の彼女が、低い声で宣言する。
「正当防衛を申請します。決闘形式での裁定を」
決闘。
学園規定の中にある、貴族間の最終手段。
暴力に見えるが、形式だ。
形式の暴力は、後で“正当”として処理できる。
処理できれば、面倒が減る。
私は面倒が減るのが好きだ。
だから、この形式を用意した。
第二王子が引き下がらない。
引き下がれない。
群衆の前で、今さら“間違いだった”と言えない。
言えないから、力で押す。
押した瞬間に、彼は敗ける。
敗ける台本だ。
私は台本を作った。
作りたくなかったけど、作った。
最小の面倒で終わらせるために。
深紅の彼女は、剣を抜いた。
音が澄んで、広間に響いた。
その音だけで、空気が引き締まる。
群衆が息を止める。
王子の顔色が変わる。
横恋慕令嬢が一歩下がる。
下がった。
良い。
下がるのは賢い。
でも、下がった分だけ、王子が前に出る。
そして王子が前に出るほど、彼は危険になる。
危険は、もう避けられない。
避けられないなら、早く終わってほしい。
終わってほしい。
終わってほしい。
「——やめろ! 貴様!」
王子が剣を抜く。
抜いた瞬間、もう逃げ道はない。
逃げ道がないのは、私が塞いだから。
塞いだのは、終わらせるため。
終わる。
今ここで終わる。
終わってくれ。
終わらせてくれ。
刃が交わる。
一合。
二合。
深紅の彼女の動きは、衝動ではない。
準備された動き。
姿勢も、距離も、視線も。
“必然”の剣。
王子は、剣を振ったことはあるだろうが、本気の殺意を向けられた経験は少ない。
経験の差が出る。
出るから終わる。
終わるから、私は寝られる。
寝たい。
第三合。
王子の剣が弾かれる。
彼が体勢を崩す。
その隙に、深紅の刃が走った。
一閃。
音が消えたように感じた。
次の瞬間、王子が膝をつく。
血が広間の床に落ちる。
赤は嫌いだ。
片付けが面倒だから。
でも今は、片付けの段取りもある。
教師がすぐに護衛を呼ぶ。
護衛が動く。
拘束の準備。
処刑ではない。
公開の場での“制圧”。
制圧なら、後で国家として処理できる。
処理できれば、面倒が少ない。
私は面倒が少ない方がいい。
横恋慕令嬢が、悲鳴のような声を上げた。
「殿下!」
彼女が王子に駆け寄ろうとする。
だが、護衛が止める。
止められた瞬間、彼女の顔が歪んだ。
正義の仮面が、割れる。
群衆が、それを見る。
見ると、空気が変わる。
同調が崩れる。
崩れた空気は、彼女に向かう。
今度は彼女が悪役になる番だ。
物語はそうやって調整される。
気持ち悪い。
でも、これが一番面倒が少ない終わり方だ。
私はそれを選んだ。
教師が、宣言する。
「王族臨席下の決闘は成立しました。記録は残り、証拠も提示されました。——これより、裁定は王国法に移管されます」
形式で閉める。
閉めれば、次の面倒は“国家の仕事”になる。
私は国家の仕事をしたくない。
学園の仕事ですら嫌だ。
だから、ここで閉めるのが大事。
深紅の彼女は、剣を下ろした。
呼吸は乱れていない。
でも、手だけが微かに震えている。
震えは、現実の重さだ。
私はその震えを見て、何も言わない。
言うと面倒が増える。
増えるのは嫌だ。
だから、私は観客席の役目を果たす。
私は立ち上がって、拍手した。
一回。
二回。
広間に拍手が広がっていく。
広がる拍手は気持ち悪いけど、今は必要だ。
拍手が必要なのは、彼女が“悪役”として終わらないため。
彼女が悪役として終わると、次の面倒が残る。
残ると、私が寝られない。
寝られないのは嫌だ。
だから拍手する。
観客として、冷たく。
そして、口に出した。
用意していた台詞。
用意していたから言える。
用意していない台詞は、感情になる。
感情は面倒だ。
だから用意した台詞を使う。
私はずるい。
でも面倒が少ない。
「さすが、未来の国母様にございます」
その言葉で、空気が一つにまとまった。
彼女は“国母”の側に置かれる。
王子を斬った刃は、“反逆”ではなく“秩序の防衛”に寄せられる。
寄せられれば、後の処理が楽になる。
楽になれば、面倒が減る。
面倒が減れば、私は寝られる。
寝たい。
本当に寝たい。
深紅の彼女が、こちらを見た。
銀の瞳。
その中に、言葉にならない何かが浮かんでいる。
感謝か、怒りか、呆れか。
どれでもいい。
どれでも面倒だ。
私は目を逸らさず、ただいつもの平坦な顔で頷いた。
平坦は防具。
今日も防具で生き延びた。
生き延びたなら、布団に帰れる。
式が終わり、広間が片付けに入った頃。
私は人の流れに紛れて外へ出た。
風が冷たい。
冷たい風は好きだ。
余計な熱が引くから。
熱が引くと、眠りが近づく。
眠りは正義。
(終わった……?)
「終わったね。ひとつは」
(ひとつは、って言うな)
「だって君、分かってるでしょ。次がある」
(ある。転生者は複数。イベントも複数)
「めんどくさ」
(同意)
空を見上げる。
澄んだ空は、相変わらず澄んでいる。
血の匂いは、風に混じって消えていく。
消えていくなら、良い。
私はこれ以上、何も背負いたくない。
背負うと寝られないから。
寝たい。
平穏に生きたい。
そのために私は、今日も“何もしないために”動いた。
そして、また動く羽目になるのだろう。
嫌だ。
でも、仕方ない。
面倒を最小化するのが、私の生き方だから。
私は小さく呟いた。
「……次の物語は、どれだっけ」
神様が、すぐ近くで笑った気がした。
異世界転生者は平穏に暮らしたい 風 @fuu349ari
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