第8話:証拠と正当性を積み上げる(“斬る”ための準備)

私が一番嫌いな作業は「後片付け」だ。


次に嫌いなのが「証拠集め」。


どっちも、やらなければ面倒が増えるから仕方なくやる。


仕方なくやるのに、なぜか時間が溶ける。


溶けた時間は戻らない。


戻らない時間の分だけ布団が遠のく。


布団が遠のくと、私は死ぬ。


比喩じゃなく、精神が死ぬ。


……なのに。


私は今、学園の資料室みたいな場所で、出席簿をめくっている。


自分でも笑える。


転生チート持ちの貴族令嬢が、やっていることが地味すぎる。


魔法で「真実を映す水晶」とかやれば早いのに。


やらない。


痕跡が残るから。


能力がバレるから。


何より、魔法は“説明責任”が面倒だ。


「どうして分かったの?」に答えられない情報は、後で自分の首を絞める。


首が絞まるのは嫌だ。


だから私は、地味な紙をめくる。


紙は裏切らない。


紙は、少なくとも「どうして」への答えになってくれる。


「君、真面目だね」


(真面目じゃない。面倒の回避が上手いだけ)


「結果として真面目って言うんだよ」


(黙って)


私が集めたいのは、派手なスキャンダルじゃない。


“否定できない形”。


相手が「そんなつもりじゃなかった」と言えなくなる形。


そして何より、公開の場で“正当な処断”が成立する形。


——つまり、舞台装置。


舞台装置を整えれば、主演は勝手に台詞を言う。


私は照明係でいたい。


照明係は拍手を浴びない。


浴びないなら、寝られる。


寝たい。


横恋慕令嬢と第二王子は、じわじわと越線していた。


最初は言葉。


次に噂。


その次に圧力。


圧力は、証拠が残る。


残るから、拾える。


拾えるから、面倒だけど拾う。


私は落ちている釘を拾って箱に入れる係だ。


釘を踏むと痛い。


痛いのは嫌だ。


だから拾う。


嫌だが拾う。


たとえば、公開侮辱。


昼休み、食堂の中央。


横恋慕令嬢が、悪役令嬢――深紅の髪の彼女に向かって、にこやかに言った。


「まあ……殿下のお気持ちが分からないのも当然ですわ。愛される努力をなさらない方には」


笑顔で刺す。


拍手は起きない。


でも、周囲の空気がざわりと動く。


ざわりが、噂になる。


噂が、孤立になる。


孤立は、爆発の前段階だ。


爆発は面倒だ。


私は爆発を避けたい。


だから、その場に“第三者”を置いた。


教師が通りかかる時間に合わせ、上級生を二人、食堂の列に並ばせる。


偶然に見せる配置。


偶然は責任を取らない。


責任を取らない偶然が、大好きだ。


上級生の一人は、礼儀に厳しいタイプだった。


彼女は横恋慕令嬢の言葉に、眉をひそめた。


「その言い方は、場にそぐわないわ」


言質。


小さいけれど、これが大事だ。


“言われた側だけが怒った”にならない。


第三者が「不適切」と認識した、という形が残る。


残れば、後で使える。


使えると、面倒が減る。


私は面倒を減らしたい。


次は冤罪の仕込み。


これは、もっと厄介だった。


学園の備品が消えた。


消えた備品は、なぜか悪役令嬢の教室の棚に「見つかった」。


見つかった、というより、入れられた。


分かりやすい。


分かりやすすぎて、笑えない。


分かりやすい冤罪ほど、周囲は信じる。


人は“物語”が好きだから。


悪役令嬢が悪い。


そういう筋書きがあると、人は証拠を見ずに納得する。


納得は、面倒を増やす。


私は納得が嫌いだ。


納得は思考停止だから。


思考停止の後始末は、だいたい私に回ってくる。


だから私は、最初から“棚”を見ていた。


誰が近づくか。


いつ近づくか。


そして、何を持っているか。


——魔法じゃない。


ただの観察。


観察は地味だ。


地味だけど、記録は残る。


残せば勝ちだ。


私は勝ちたいわけじゃない。


面倒が少ない方に行きたいだけだ。


この件は、教師が動いた。


悪役令嬢は呼び出され、厳しい顔で問われる。


彼女は完璧に否定する。


否定しても、周囲は冷たい。


その冷たさが、彼女の心を削る。


削られた心は、いつか折れる。


折れたら爆発する。


爆発は面倒。


だから私は、教師に“形式”を渡した。


棚の鍵。


備品庫の出入り記録。


出席簿の筆跡。


それから——“会話の記録石”。


学園には、会議用に簡易な記録石がある。


魔法的な装置だけど、学園備品として使われる範囲なら、私が触っても能力バレはしない。


大事なのは、“個人の魔法”ではなく“制度の道具”で残すこと。


制度の道具は、説明が楽だ。


説明が楽だと面倒が減る。


備品が消える前日、横恋慕令嬢の取り巻きが、備品庫の前で話していた。


「明日、先生が忙しい時間を狙って」


「棚の鍵は?」


「借りたことにするのよ。誰も覚えてないから」


彼女たちは、笑っていた。


笑い声は軽い。


軽いから、罪悪感がない。


罪悪感がない人間は怖い。


怖いから、私は記録石を置いた。


置いたことがバレない位置に。


置くのが面倒だった。


でも、爆発より軽い面倒だった。


教師がその記録を聞いたときの顔は、今でも思い出せる。


怒りではない。


困惑と、疲れ。


大人はいつも疲れている。


疲れていると、判断を急ぐ。


急ぐと、面倒が増える。


大人の面倒まで背負いたくない。


でも、これで一つ、“否定できない形”ができた。


冤罪は、仕込まれた。


悪役令嬢は無実だ。


それが形式として残った。


残れば、後で使える。


そして圧力。


圧力は、形式に最も弱い。


だから私は、形式で縛る。


手紙。


呼び出し。


決められた席順。


決められた進行。


決められた規定。


全部、学園のルールの範囲でやる。


ルールは冷たい。


冷たいから、公平に見える。


公平に見えると、相手が騒いでも“相手が悪い”になる。


私は相手に悪者になってほしい。


私が悪者になるのは嫌だ。


嫌だから、ルールを使う。


ずるい?


ずるいかもしれない。


でも面倒が少ない。


面倒が少ないなら、それでいい。


悪役令嬢は、私に何も言わないまま、ただ淡々とついてきた。


「ありがとう」も「助けて」も言わない。


言わないから、私は楽だ。


感情のやり取りが少ない。


少ないと、面倒が少ない。


……なのに。


彼女の視線だけは、少しずつ変わっていく。


私を“便利な同席者”ではなく、“手順の人間”として見る目。


それが一番困る。


手順の人間として評価されると、次は手順以外を求められる。


求められるのは嫌だ。


私は、手順だけで済ませたい。


ある日、彼女がぽつりと言った。


「あなた、何を集めているの」


場所は図書室の奥。


人が少ない。


逃げ道がある。


助かった。


「否定できない形、です」


私は答えた。


「否定できない形があれば、あなたが“衝動”で動いたことにならない。……動いたとしても、正当防衛に寄せられる」


言ってから、失敗したと思った。


“動く”という言い方が、彼女の未来を前提にしている。


前提は面倒だ。


前提を口にすると、関係が重くなる。


でも彼女は、驚かなかった。


ただ、静かに言った。


「……私が斬る前提なのね」


「斬らなくてもいい形にしたいです。でも、相手は逃げ道を塞ぎに来る。逃げ道を塞がれたら……人は、何かをするしかなくなる」


私は淡々と、現実を述べた。


慰めじゃない。


励ましでもない。


ただの手順。


手順は、感情を伴わない。


伴わないから安全だ。


安全だと、面倒が減る。


私は面倒を減らしたい。


彼女は、本を閉じた。


その指先が、わずかに震えている。


震えは、感情だ。


感情は危険だ。


危険だが、私は見ないふりをした。


見たら、慰める羽目になる。


慰めるのは面倒だ。


私は面倒が嫌いだ。


「……あなた、私を守るつもり?」


また重い言葉。


守る。


その単語は、使命だ。


使命は最悪だ。


私は使命を背負いたくない。


背負った瞬間、主人公になる。


主人公は寝られない。


だから私は、冷たい答えを選んだ。


冷たい答えは角が立つが、期待を減らせる。


期待が減れば、面倒が減る。


「守るつもりはありません。……事故を減らしたいだけです」


彼女は一瞬、目を細めた。


痛いのは、たぶん私の言葉だ。


でも痛みは、余計な期待を刈る。


期待は雑草だ。


雑草は放置すると増える。


増えると面倒。


だから刈る。


冷たい刈り方で。


彼女は、小さく笑った。


笑い、というより、息が漏れた程度。


「本当に、あなたは……」


言葉の続きはなかった。


でも、その沈黙は、さっきまでの沈黙と違った。


拒絶じゃない。


理解に近い。


理解は危険だ。


理解されると、信頼が育つ。


信頼が育つと、私は逃げられなくなる。


逃げられないのは嫌だ。


でも、もう遅い気がしていた。


その夜。


横恋慕令嬢と第二王子が、さらに越線した。


公開の場で、悪役令嬢を吊るし上げるために、教師に圧力をかけた。


「処分が甘いのでは」と。


「学園の信用が落ちる」と。


「殿下の名誉に関わる」と。


名誉は便利な棍棒だ。


殴る理由が正義に見える。


正義に見える殴打は止めにくい。


止めにくいものは面倒だ。


私は、その場に“証言者”を置いた。


教師の一人は、形式を重んじる人だった。


彼は圧力を受けて顔色を変えた。


そして、その会話が行われた場所は、学園の小会議室。


そこには常設の記録石がある。


会議の議事録を残すためのもの。


私はその記録石が、ちゃんと稼働していることを“偶然”確認した。


偶然だ。


偶然。


私は偶然が大好きだ。


翌日。


私は集めたものを、静かに整理した。


手紙の写し。


呼び出し記録。


記録石の番号と保管場所。


証言してくれる教師の名前(本人の許可は取らない。許可を取ると面倒が増える。証言は“必要になったとき”に引き出せばいい)。


出席簿の筆跡。


備品庫の鍵の貸出帳。


全部、地味。


全部、面倒。


でもこれが、舞台装置になる。


舞台装置があれば、クライマックスは“準備された必然”になる。


衝動じゃない。


事故じゃない。


相手が越線し、形式が成立し、そして、処断が起きる。


私はそこまで持っていきたい。


正しいからじゃない。


面倒が少ないから。


整理が終わった頃、私はふと気づいた。


——私、いつからこんなに手際よく、他人を詰める準備ができる人間になったのだろう。


現代日本の陰キャ女子高生だった私は、せいぜいグループ課題の役割分担から逃げるのが得意だった程度だ。


それが今は、国家規模の火種を“学園の規定”で縛っている。


笑える。


笑えない。


どっちでもいい。


私はただ、平穏に生きたい。


そのために、面倒を潰す。


それだけだ。


「君、怖いね」


(怖くない。面倒が嫌なだけ)


「それが一番怖いんだよ」


(黙って)


窓の外では、夕日が沈んでいく。


学園は静かだ。


静かなのに、嵐の前みたいに空気が重い。


嵐が来る。


来るのは分かっている。


分かっているから、準備する。


準備したくないのに、準備する。


そして私は思う。


これだけ整えても、最後に刃を振るうのは私じゃない。


私が振るったら、能力バレ以前に、物語の中心に立ってしまう。


中心は嫌だ。


中心は主人公の場所だ。


私は観客席で、拍手をしたい。


……拍手をするために、私は今日も証拠を箱に入れる。


静かに、淡々と。


誰にも気づかれないように。


気づかれないように、が一番面倒なのに。

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