■後編 正解

 僕の席は山岸さんと少し離れている。

 2つ隣の列の、2つ後ろ。ギリギリ彼女の顔が見えない位置だ。何度覗こうとしても上手くいかないんだから間違いない。


 今日も、山岸さんは休み時間のたびに、変な図鑑を開いてはノートにカリカリと内容を書き写している。彼女曰く、色んな資料の情報をまとめた研究ノートらしい。それが彼女の日常だ。

 

 妖怪と神話のページなら何度か見せてもらったことがあるのだが、とにかく絵がめちゃくちゃ上手い。図鑑の絵を模写していると思ったら、たまに自分の解釈でも絵を描いている。決まってその絵の横には、癖の強い文字で細かいメモがびっしりと書かれていた。


 お昼休みになり、お弁当を食べ終えた僕はいつものように、彼女の席へ近づこうとした。


 ───しかしどういう訳だか、体が椅子に縛り付けられたように重く、僕は立ち上がることができなかった。


 山岸さんと何を話そうか考えるほどに、「0点」という彼女の言葉が耳にこびりついて、頭から離れない。


 もしみんなの前で同じことを言われてしまったらどうしよう。


 そんな不安が、僕の体をがんじがらめにした。


 僕はいつも彼女の元に行くのに、彼女は一度も僕の方に来てくれないどころか、顔すら向けてくれない。

 少しでいいから見てくれないかと、どれだけ念を送ったとしても、彼女は一切気づかない。

 

 そうして、週末の撃沈に引き続き、2度目のやるせなさが肩にのしかかる。 

 結局僕の昼休みは、彼女が絶えず奏でるシャーペンの音を聞くだけで終わってしまった。


 ***


 放課後、僕はまだ席に座っていた。

 山岸さんが、まだ帰らないからだ。


 彼女はいつも、キリのいい所までノートを書き終えないと帰らない。だから、僕もそれを待った。


 それにしても、今日の書き取りは長い。

 気づけばもう1時間半が経ち、教室に2人きりになった。


 ……もしかして、今チャンスなんじゃ……?


 僕は衝動的に立ち上がる。

 しかし、椅子を引く音で驚かせてしまったのか、山岸さんはビクリと体を跳ねさせ、「……何?」とこちらを振り向いた。


 ───やってしまった……!


 僕は思わず顔を両手で覆ってしまった。

 

 何がチャンスだよ!考え無しに今までと同じように話しかけたって、点数が増えるわけがない!

  

 僕はそんな当たり前の事実に、彼女の不機嫌そうな顔を見てようやく気づいたのだ。


「お、お、お、驚かせてごめん!」


 何も話すことを思い付けず、僕はただ謝ることしか出来なかった。

 

 けれど、彼女は不機嫌そうな声のまま、想定外の返事を寄越してきた。


「放課後、2人きりなのにムードがない。0点。才能ない」


「……えっ」


 そんな……。急に採点されるなんて……。


 僕はがっくりと肩を落とした。

 また何もしていないのに0点。自然体の自分すら否定された気がした。


 そんな僕のことなんか差し置いて、彼女はまたカリカリとノートを書き始めた。


 そして、2人きりの時間はまた刻々と過ぎていく。


 この間の会話はゼロ。

 とにかく不機嫌そうな彼女のことをなだめたくて、僕は少ない脳みそをフル回転させることにした。


 売店で何か、山岸さんの好きそうなものを買ってこよう。


 名案だと思い立ち、僕は鞄の中から財布を取り出した。

 

 そして、何を買おうか悩んで、僕はあることに気がついた。


 ───僕、山岸さんの好物を知らないぞ……。


 彼女はいつも、お昼休みにパンを食べている。

 けれど、1番安いパンを買っているだけで、好きで食べてる訳じゃないと言っていた。

 でも、それ以外の食べ物を口にしたところを見たことがない。


 好みを聞いてから売店に行くなんてかっこ悪いかな……。


 なかなか決心がつかず、財布の中身を何度も数えて時間を誤魔化す。


 そんな僕の背中を押したのは、途切れたシャーペンの音と、ノートを閉じた気配だった。


 彼女が帰る前に何かしなければ。

 僕はもう一度彼女に声をかけた。


「ねえ、今から売店で何か買ってこようかと思うんだけど……もし良かったら、山岸さんの分も買ってくるよ。何がいい?」


 勇気を振り絞って、一息に言った。

 山岸さんはシャーペンをしまい、僕の方を見る。


「惜しい。もう一息」


「もう一息!?」


 意味がわからず、僕はオウム返ししてしまった。「もう一息」とはなんの事なのか……。


「じゃあ今回だけ、答え教えてあげる」


「えっ……?」


 ますます分からず、僕は喜ぶことも首を縦に振ることも出来なかった。彼女はそんな僕の様子を楽しむかのようににやりと笑う。


「"一緒に行こう"が正解でした。これが出来たら10点だったのに、残念」


 ───はい?


 頭の中の処理が追いつかず、目が回った。

 待って、彼女は今、なんて言った……?


「……い、一緒に、き、来てくれる…ってこと……?」


 僕は、つぎはぎのような言葉を口に出すのが精一杯だった。しかし、彼女はさも当然のような口調で言葉を続ける。


「本当は佐々木くんから言わないとバツだけど、今回はサービス」


 そう言って彼女は、一人で教室から出て行ってしまった。僕は急いでその背中を追いかけ、彼女の少し前を歩き始めた。


「んー、これもバツ」


「ば、バツ!?」


 またもや山岸さんに何かのダメ出しを受けてしまった。こんな、背中を追いかけただけなのに。


「"隣に並ぶ"のが正解でした」


 ……。


 思考が止まる。


 え。


「……えぇっ、隣!?」


 だ、だってそれ、隣って……。


「そんな、こ、こ、恋人みたいな……」


 男女が隣り合わせで並んで歩くなんて、そんな恥ずかしくてできないよ……。


 言いきれなかったその言葉を察したのか、山岸さんはプイッと顔を背けてしまった。


「この間と何も変わってない。ムードがない。私を喜ばせようって気持ちが感じられない。やっぱり0点」


「え……」


 心臓が、ズキリと痛んだ。


 0点だったことにじゃない。「この間と何も変わってない」と言われたことにだ。


 ───僕は、加点ポイントを探すあまり、逆に彼女のことを見てなかったんじゃないか……?


 だって、彼女はこの間も「ムードがない。私を喜ばせようって気持ちが感じられない」って、答えを言っていたじゃないか……。


 僕は、体から飛び出るかと思うほどの鼓動に思考を邪魔されつつも、彼女に歩幅を合わせながら売店に向かった。


「正解」


 彼女はもう一度、いたずらっぽく笑った。

  

 

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