採点係の山岸さん

古里古

■前編 0点

 日差しが祝福のように降り注ぎ、心の底に埋もれた小さな勇気を奮い立たせる。

 試合は優勝。しかもリレーのアンカー。これだけの輝かしい成功を見せつけたんだ。失敗するはずがない。


 足の速さだけが取り柄の小心者の僕は、生まれて初めて好きになった子を校舎裏に呼び出した。

 高校最後の体育祭の後、勢いで。


 真夏の週末。もう16時前というのに、日差しは沈むことを知らない。いつもなら暑さで嫌になるが、今日ばかりは気持ちを照らすようなこの明るさに感謝した。


 セミの鳴き声よりも自分の鼓動の方がうるさい。リレーで走る前の緊張なんてミジンコに感じるほどカチコチに固まった体を動かし、約束の校舎裏へ急いだ。


 体を引きずってようやく辿り着いたそこには誰もいなかった。

 約束の時間まであと7分。やはり彼女は来てくれないのだろうか。


 そんなことを考えながら、無限にも思える時間を待つ。規則正しく頬から汗が落ちていき、まるで時計の代わりに時を刻んでいるようだった。


 あと1分。

 もうダメだと思ったその時、背後から土を踏みしめる音が聞こえてきた。

 脳が何かを考えるより先に、衝動的に振り向く。


「あ……」


 思わず声を漏らしてしまった。

 彼女───山岸さんが来たのだ。


 小さな背、高い位置で結んだポニーテール、長いまつ毛が特徴の女の子。 

 

 中学の頃、同じ修学旅行の班になってからずっとずっと好きだった。

 呼び出した目的は、もちろん告白だ。


「突然呼び出して、何……?」


 山岸さんは、怪訝そうな顔で問いかけてきた。

 漫画のヒロインなら、こういう時は頬を赤らめてくれる。だけど現実はそうじゃない。むしろ彼女は目すらも合わせてくれず、早くしてとばかりに地面を爪先でトントン叩いている。


 僕は急かすような彼女の動作に気圧され、唾を飲み込んだ。けれどすぐに、体の後ろで両手を握りしめる。


 目の前に彼女がいるのに、何を迷う必要があるんだ。

 佐々木 翔太、勇気を振り絞れ……!


「あ、あの!ずっと前から好きでした!僕と……!」


「イヤ」


 ───えっ。


 僕は何を言われたのか分からず、真っ白な頭で彼女を見た。彼女は何ともないような顔で、勝手に言葉を続ける。


「ロケーションがベタ。ムードもない。私を喜ばせようって気持ちが感じられない。0点」


 想定外の、突然のダメ出しだった。


「ぜ、0点って……ぼ、僕、何も言ってないのに……」


「言わなくても分かるから、ベタって言ったの。私の言ってる意味が分かるまで、100点はあげない」


 そう言って彼女はスタスタと来た道を戻って行ってしまった。


 ───な、何も、言い返せなかった……。


 僕は地面にストンと両膝を落とす。

 遅れて絶望と、これまでの努力の記憶が代わる代わる脳裏を駆け巡った。


 今日の為に、裏で物凄く練習したのに。

 唯一自分がかっこよく見える舞台が体育祭しかないと思ったから、僕は死ぬ気で頑張ったのに。


 それが……0点……?


 流石に、こんなに瞬殺されるとは思わなかった。あまりの惨敗に、怒りや悔しさなんて微塵もない。残ったのは、やるせなさだけだ。


 クラスのみんなは、17時から打ち上げをすることになっている。着替えるためにみんな家に帰っていて、今は校舎に誰もいない。だからこそ、この時間を狙って彼女を呼び出したのだ。

 誰にもこの告白のことを告げなかったのは、正解だった。


 はぁぁぁ、と深い深いため息が、勝手に口から漏れ出てくる。これから打ち上げなんて、行く気になれない。


「……帰ろうかな……」


 哀しみで心を灰にされた僕は、彼女の歩いた道を何度も振り返りながら、とぼとぼと帰路に着いた。


 ***


 山岸さんは、不思議な女の子だ。

 スポーツも勉強も、特段成績がいい訳じゃない。だけど身に纏う雰囲気があまりにも独特で、どのクラスにいても、色んな意味で1番目立つ女の子だった。


 山岸さんは変な生き物が好きだ。

 爬虫類はもちろんのこと、みんなが嫌がるような虫も好き。さらに極めつけは神話生物や妖怪にすら興味を持ち、しょっちゅう本を読み漁っている。教室でいつもそんな図鑑を読んでいるから、他の人からは奇怪な目で見られていた。


 それでも僕が彼女に惚れたのは、小さな体からは想像できないほどの度胸があって、怖いもの知らずという逞しさを見たことがあるからだった。


 中学校の修学旅行で、僕たちの班はガラの悪い不良数人に絡まれてしまった。

 あわや、なけなしの全財産が入った財布を差し出しかけた僕とは裏腹に、山岸さんは聞いた事のないぐらい大きな声で周りに助けを求め、向かってきた不良の股間を躊躇なく傘で振り抜いた。

 

 その後、運良くガタイのいいお兄さんが助けに入ってくれて事なきを得たのだが、その時の山岸さんは怖がる顔一つ見せず、ケロッとしていた。


 僕は気が弱い。

 男として情けない話だが、怒鳴られたら萎縮してしまうし、授業中に指されても間違いを笑われたくなくて上手く答えられない。

 

 だから、大人しそうに見えて本当は力強い彼女に惚れてしまったのだ。


 彼女はつい最近、遠方にある変わった大学への推薦入学が決まった。よく分からないが、文化や言い伝え、神話を扱う民俗学者になりたいらしい。


 今年でお別れになってしまう。

 何がなんでも、成功させたかった。


「やっぱり僕じゃダメなのかぁ…」


 僕は山岸さんの顔で頭の中を埋め尽くしながら、自室のベッドに身を投げ出して、天井を見ていた。


 もう何百回と秒針が音を鳴らしている。

 時計なんて見ていない。きっとクラスのみんなは、今頃お好み焼き屋さんにいるだろう。


「なんで0点なんだよぉ、山岸さん……」


 彼女とは、それなりに仲が良いと思っていた。

 というより、外野の僕が言うのもおこがましいが、山岸さんが友達といるところを見たことがない。誰がいくら話しかけても、興味のない顔をされるからだ。

 

 それでも僕は彼女と仲良くなりたくて、変な生き物の名前をいっぱい覚えては、彼女に何度も話しかけた。

 そんな努力を数年積み重ね、爬虫類と虫の話までならできるようになり、今では彼女と1番喋ってるのは自分だという自負すらあったのだ。


 数えるのも嫌になるほどのため息を吐き出し、壁を隠している本棚を見た。彼女に内緒で買った、お揃いの図鑑がいっぱいだ。それすらも、全部無駄だったのか。


「どうやったら、点数って上がるのかな……」


 何も考えずそんなことを呟き───自分の言葉にハッとした。


「……もしかして……100点取れたら、オッケーってこと……?」


 慌てて彼女の言葉を反芻する。


 彼女は確かに、「私の言ってる意味が分かるまで、100点はあげない」と言っていた。


 ということは、まだ100点を貰える余地はある……!?


 存在するのかも分からない微かな希望だと、頭ではわかっていた。なのに、心が踊るのを止められなかった。

 

 だって、まだチャンスはあるかもしれないのだ。まずは、彼女からの加点ポイントを探さなければ。


 そうと決まれば週明けの授業から、もっとちゃんと彼女の観察をしよう。


 山岸さんだけでなく、誰にもバレたくないから、できるだけこっそりとね。

 

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