第2話 メタルアリーナ

 思い出したくない記憶は誰にだってある。


 何か目的を果たそうと躍起になって、けれどその努力が空回りして、周りに迷惑を掛けたり馬鹿にされたり、そもそも目的を達成できなかったり。


 そして後から、何もしなければよかったと後悔する。


 私もその一人だ。こんなことになるなら三笠と仲良くならなければよかった。対抗心なんて抱かなければよかった。隣に立つことに固執しなければよかった。


 あの日から三年経った今でもこの気持ちは変わっていない。


 コックピットで顔を伏せ震えている三笠が、今も脳裏に焼き付いている。差し込んだ光に照らされた紺色のスカートは涙で濡れていた。


 あいつは、完璧な人間なのだと思っていた。どんな相手もその才能でねじ伏せて、万一に敗北したとしてもすぐに学習し、雪辱を果たすために前へと進んでいく。


 よほどのことが起きなければ、涙なんて流すわけなかった。隣にいたのが私なんかでなければ、あの日の2on2だって完勝していたに違いないのだ。


 雑魚のようにねじ伏せられるなんて、あり得なかった。


 例え相手があの「黄金の双翼」だとしても。


 私はベッドに横になって、窓の向こうのオレンジ色をみつめた。


 返事はまだしていない。できるわけがない。気安く約束をできるほど私たちは近くない。それに、もうロボットになんて乗りたくない。嫌な記憶を思い出したくない。過去なんて振り返りたくない。拒否する理由しかない。


 なら断るべきだった。「もう二度と会いたくない」って。


 でも言えなかった。


 だってあいつは本気だった。私が向き合わないのなら、いつまでも追いかけてきそうな顔をしていた。未練を残しているのは私だけじゃなかった。正直、嬉しかった。もしも試合の約束をしたのなら、また仲良くなれるのかもしれないって思った。


 でも私は三笠を拒絶した三年前から何も変わっていない。むしろ悪化している。あらゆることに無関心で、無気力で、海中で揺れる藻の方がよほど生き生きしている。


 だから、もしも仮に試合の約束をするのなら、それは関係を結び直すためではない。完全に断ち切るためだ。


 才能も地位もある三笠の目を、ふさわしい黄金の未来へと向けさせる。そのための決別の儀式として決闘を行う。これなら私でも受け入れられる。


「凪! もう秋ちゃんには返事をしたの?」


 目の前にホログラムが現れる。私はため息をついて言った。


「言われなくても返事するから」


 寝たままホログラムに手を伸ばす。何も電話をする必要はあるまい。私の意志が伝わればいいのだ。


『一回だけならいい』


 短いメッセージを送ってホログラムを閉じる。


「ロボットの練習はしないの? 一週間後に秋ちゃんと戦うんでしょ?」


 またお母さんの声が聞こえた。私が肯定的な返事を送ったと確信しているらしい。


「言われなくてもやるよ。今のままだと勝負にすらならないし」

「なら今からメタルアリーナに行くのね」

「……うん」


 海の近くにある競技施設、メタルアリーナ。かつて私たちはそこで毎日練習をしていた。


 海を埋め立て山をならした広大な平地には、ナノマシンを使用して作り上げた市街地型マップや、深い水に沈む海洋型マップ、空中戦を重視した浮島マップなんてものさえある。けれどそれらのマップは基本的に1on1で使われることは少ない。


 1on1は純粋な技量のぶつかり合いで戦略的な動きは重視されない。


 けれど2on2になると事情は変わってくる。パイロット同士の連携や、地形の利用など、考えるべきことが一気に増えるのだ。だからロボコンのメインストリームは1on1ではなく2on2で、競技人口も後者の方が多い。


 私と三笠もかつては2on2をメインにしていた。


 ベッドから起き上がって、本棚の隅に隠れていた「黒炎」の黒い金属の箱を取り出す。南京錠には四桁のダイヤルが付いているけど、パスワードは忘れていない。忘れられるわけがない。だって三笠の誕生日だから。


「……十月十六日」


 人差し指でダイヤルを回すと錠は外れた。あいつもまだ私の誕生日にしてくれているのだろうか。


 小さく首を横に振って私は自室を出た。 


*


「自転車」


 手首につけた腕輪型のデバイス、万能機ジェネラルに呼びかけると、ナノマシン製の道路に黒い自転車が構成されていく。


 私のは廉価品だけど、普通に生活をするだけならナノマシンの容量に不足はない。持ち運び可能な家なんて、一般人には必要ないのだ。


 自転車に乗って暑苦しい夏の夕暮れを走ること二十分、巨大なドーム状の施設が現れた。夕日が沈みかけているけれど、ライトアップされた白い半球は昼のようにまぶしい。


 自転車を構成していたナノマシンを万能機ジェネラルに戻して、入り口に向かった。


 空港のように天井が高いエントランスに入る。仕事や部活が終わる時間帯だから人が多い。受付に向かう老若男女はみな手に箱をもっていた。


 列に並んで受付の上をみると、ホログラムの映像が流れている。そのどれもがロボットの映像を映していた。


 派手にブレードをぶつけ合っているロボットがいれば、空中で姿勢制御の練習をしているロボットもいる。


 それらの映像の右側にはちらほらとコメントが流れていた。三笠エレクトロニクスの規約で、操縦するときは必ず配信するよう義務付けられているのだ。


 何代目かの社長が配信を好んでいたらしい。その趣向が反映されていると聞いた。


 ちなみに配信というのは二十一世紀の初頭に生まれた文化で、特に日本においては様々な配信文化が形成されていた、と学校の授業で知った。VtuberだとかYoutuberだとか、ゆっくり実況だとか色々とあったらしい。


 三年もブランクがあるのだから、きっと感覚は抜けてしまっている。他人に見せられるような操縦は絶対にできない。全く気は進まない。


 それでも規約だから私も配信をするしかない。


 すっかり重くなった体と心で順番を待つ。


 手のひらで箱を転がしていると、ようやく私の番が来た。


「わっ、凪ちゃん久しぶり! また乗る気になってくれたんだね」


 三年前と同じ受付のお姉さんだ。朗らかに笑っている。


「……まぁ一週間だけですけどね」


 私は苦笑いを浮かべながら黒炎を手渡した。


「でも秋ちゃんは今も凪ちゃんを待ってるみたいだよ」


 目を細めてお姉さんをみつめる。なんで知っているんだろう。


「配信で言ってたからね。『また凪と一緒に戦いたい』って」


 お姉さんは半透明の箱型の装置に黒炎をいれて安全検査をしていた。私はため息交じりに問う。


「三笠のファンなんですか」

「もちろん! あの子ほど華麗に戦う子もいないからね! 今日の決勝も凄かったでしょ?」

「一瞬でした」

「秋ちゃんは必ず相手の得意な戦術に付き合ってあげるんだよ。その上で凄まじい技量で真正面から相手をねじ伏せる。その派手さというか、ある種の傲慢さがみんな好きなんだよ。しかもかわいいしクールだし人気になるのは当然!」


 やけに熱のこもった早口だった。でも実際その通りなのだろう。あいつの技量は高校生としては異常だ。プロでも太刀打ちできる人は多くない。容姿だって芸能人でもみないくらい可愛い。ファンクラブがあると聞いたこともある。


「はい、どうぞ! 練習頑張ってね」


 黒炎を受け取って私は頷いた。受付を抜けた先にはゲートが複数並んでいた。そのうちの一つが開いたから、中に入って格納庫に進む。天井の高い灰色の空間だった。利用者はここで各々のロボットを展開するのだ。


 私は黒い金属の箱、黒炎をみつめる。嫌な汗が背中を落ちていった。急に心臓が苦しくなったのだ。発作でも起きそうなくらいだった。


 理由は分かってる。


 私はこれからまた黒炎に搭乗する。もう三年も避けていたのに。


 乗るのが怖いなら練習なんてしなければいい。


 でも私としても勝負にもならない試合なんてしたくない。


 かつては私も本気でロボコンに取り組んでいたのだ。プライドはそう簡単に消えるものじゃない。まるで勝ち目のない相手でも、手なんて抜けない。


 そうやって妙なこだわりをみせてしまう自分を喜ぶべきか、悲しむべきか。


 大きく深呼吸をする。私は顔を伏せたまま合言葉をつぶやいた。


「黒炎、起きて」


 手のひらで黒い箱が小さく震える。三年間の鬱憤を晴らすかのような勢いでふたが開いた。黒い群れが瞬く間に格納庫に広がる。目の前では三笠の青いロボット「彗星」の流線型とは対照的な、無骨な黒い脚部が形成されてゆく。


 大地が堆積していく様を、早送りでみているようだった。


 鋭い棘が生えていく脚部、その真ん中で光る血管のような赤いラインは、黒い巨人の心臓部、コックピットへと伸びていく。


 夜の火口のように瞬いていた胸のコアが、噴火するみたいに激しく光を放った。


 怪物の切れ長の目に赤い光がともる。


「黒炎」

 

 呼びかけると悪魔の角をひっさげた怪物の顔が、私を見下ろした。緩慢な動きで膝をつき、目の前に巨大な手を差し出してきたのだ。黒炎には人間のような心があるわけじゃない。昔の私が搭乗時のプロセスを設定したに過ぎない。


 それでも色々と思うところはある。八年近く相棒だったのだから。


「ありがとう」


 小さくつぶやいて手のひらに乗る。


 ゆったりとした動きでコックピットまで持ち上げてくれた。中も昔のままだ。色々な機器やレバーが全方位に乱雑に並んでいる。その中心には黒い玉座のような座席があった。腰を下ろす。背が伸びたせいで少しだけ足元が窮屈だ。


「もう少し広くできる?」


 ナノマシンが移動して足元が少しだけ広くなった。


「これくらいでいい。ありがとう」


 感謝を伝えるとホログラムに親指を立てたグッドサインが現れた。


「そろそろ行こう」


 呼応するようにコックピットの分厚い扉が閉まる。暗くなった空間にホログラムが現れた。前方にはメインカメラ、そして両脇にはサブカメラの映像が映っている。全てが小さくみえた。あんなにも大きかった格納庫が今や小屋のようだ。


 足元のペダルに足を置く。両手も正面の操縦桿とすぐ脇についたレバーに伸ばす。


 黒炎の右腕を動かして格納庫脇の赤いボタンを押す。すると過剰なほどの勢いでシャッターが開いた。外では色々な機体が地を駆け空を飛んでいる。このままスラスターを吹かしたいところだけど、先に配信をはじめないといけない。


「黒炎、配信を初めて」


 今度はホログラムに笑顔の絵文字が表示された。配信のタブに指先で触れて「配信中」と書かれているのを確認してから、私はまたメインカメラに切り替えた。視聴者数は今のところ0だ。このままでいい。むしろ増えないで欲しい。


 なのにスラスターを点火したその時、なぜか1に変わってしまった。


 しかもコメントまで流れてきた。


:凪! みてるわよ!


「……誰?」


 目を凝らすとアカウント名には「nagi mama」と書かれていた。


「ちょっとお母さん!」


:応援してるわよ! 頑張れ!


「はぁ…………」


 どこまで過保護なんだ。面倒なことにならないといいけど。


 私は深くため息をついて「黒炎」を発進させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年12月30日 21:00
2025年12月31日 21:00
2026年1月1日 21:00

ロボットなんてもう乗りたくないのに、天才令嬢な幼馴染が「あなたじゃないとだめ」とグイグイくる 壊滅的な扇子 @kaibutsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画