ロボットなんてもう乗りたくないのに、天才令嬢な幼馴染が「あなたじゃないとだめ」とグイグイくる

壊滅的な扇子

第1話 退屈な日常の終わり

 夏の青空を全長10mの赤い人型ロボットが駆けていく。背中のスラスターから噴き出すオレンジの炎の残像が、真っすぐな軌跡を描いていた。


 綺麗だなとぼんやり思う。もはや私には、縁のないものだからかもしれない。 

 

 冷房の効いたリビング、ソファの上で私――空谷そらたに なぎはため息をついた。


 空中に浮かんだホログラムには、夏の風物詩である高校生ロボットコンバットの生中継が流れていた。空を駆けていた赤い機体が、正面からやってきた青い機体と激突し、マニピュレーターに握った巨大なブレードで鍔迫り合いをはじめる。


 激しく散る火花は昼でもまぶしい。押し負けないようにしているのだろう。スラスターの勢いも凄まじかった。熱で機体が歪んで見えるほどなのだ。


 私はポテトチップスに手を伸ばすのをやめて、画面に見入った。


 流石は全国大会の決勝戦。スラスター出力の管理も上手だし、受けた力の相殺もしっかりしている。未熟なパイロットだとあっという間に姿勢を崩されて、地上へと真っ逆さまだ。


 そうなれば勝敗は決したも同然。ブレードで切り伏せられるなり、射撃でハチの巣にされるなり、相手の思うがままだ。


 十秒ほど膠着しただろうか。状況を崩したのは青い機体だった。脚部のバーニアを吹かして、赤い機体に強烈な蹴りをお見舞いしたのだ。バランスを失った赤い機体は、青い機体に追いやられるようにして五十メートル下の地上へと叩きつけられた。


 轟音と共に芝生のフィールドから砂煙が上がる。実況は大盛り上がりだった。


『三笠秋! やはり今年も三笠秋なのか!』


 固唾を飲んで見守る。画面の端に流れるコメントも動体視力の検査みたいになっていた。「三笠やばすぎ」「空中で蹴り決めるとかスラスター制御どうなってるの……?」「プロでもできる人あんまりいないでしょ」「高校生でこれはえぐい」


 やがて煙が晴れて現れたのは、太陽の下に直立する青い機体だった。赤い機体の首元にブレードを突き付けている。相手は墜落の衝撃で傷だらけなのに、青い流線型のフォルムには傷一つない。その威容は歴史に名を残した英雄のようだった。


 いつの間にか強張っていた肩から力を抜いて、私は再びポテチに手を伸ばした。


『三笠秋! 今年も決めました! 史上初の二連覇です!』


「……昔から天才だったからなぁ」


 誰にもできないことを、何の練習もなしに行えてしまう。でも本人はそのことに何の疑問も抱いていない。その恐ろしいほどの才能で無意識に他人を傷つけてしまう女。それが三笠秋だった。かつては私も毎日のように嫉妬させられたものだ。


 腹部にあるコックピットが開いて三笠秋が現れた。機体を構成するナノマシンの一部が、地上へと螺旋階段を作り上げていく。それを制服姿の三笠は優雅な所作で降りた。容姿の美しさも相まって貴族の社交界を切り取ったようだった。


 流石は大企業の令嬢だ。嫉妬する気にもならない。


 昔は「幼馴染」という関係があったから、三笠と自分を同列にみることも多かった。けど高校生になった今は、顔を合わせることさえない。


 すっかり遠い人になってしまった。


 ため息をつきながらホログラムをみつめる。螺旋階段の周りには人だかりができていた。


『初の二連覇を達成しましたが、今の気持ちはどうですか?』


 記者の質問に、元幼馴染は長い髪を風に揺らしながら答えた。


『物足りないです。今年もあの人が現れてくれなかったので』


 三笠の黒い瞳が真っすぐこちらをみつめた、ような気がした。心臓がドクンと跳ねる。私は反射的に目をそらした。けれどすぐに思い直す。まさか「あの人」が私なわけはあるまい。昔ならともかく今の三笠にはもっと親しい人がいるはずだ。


 もう三年も経った。いつまでも私を待っているなんて絶対にあり得ない。


 それに待たれたところで私にできることなんてない。才能も社会的な地位も私と三笠では釣り合わない。噂によるとあいつは三笠エレクトロニクスの次期社長らしいのだ。あそこのナノマシンはあらゆるものに使われている。


 私の住んでいる家もナノマシンで出来ている。


 道路を走り回っている車も、上下水道などのインフラも、作業用の衣服も、工場の製造機械も、果ては人工衛星や探査機まで三笠エレクトロニクスのナノマシンが活用されている。三笠が駆っていた競技用ロボットだってナノマシンの産物だ。


 現社長がいうには先祖がアニメのロボットを現実にするため研究をしていたところ、万能なナノマシンが出来上がったとのことらしい。子供じみたロマンからはじまった町工場は、今や全世界で最も価値ある大企業の一つに名を連ねている。


 いずれは三笠がそこの社長だ。もう関わることもないのだろう。


「配信を消して」


 力なくつぶやくと自動でホログラムが消えた。食べかけのポテチを机の上に置いたまま、ソファに横になる。外から聞こえてくる蝉の声が私を責め立てるようで煩わしかった。右を向いたり左を向いたりするけれど、どうにもしっくりこない。


「凪、夏休みの宿題は終わったの?」


 台所から戻ってきたのだろう。目を開くとお母さんがいた。心配そうな顔で私を見下ろしている。


「終わったよ。他にやることないし」

「じゃあ部屋の片付けは?」

「……はいはい。分かったよ。何かしてればいいんでしょ」


 自分がどう見られてるかなんて私が一番分かってる。無気力で無趣味でただただ高校生としての義務を果たすだけ。そんな娘にお母さんは不安を感じているのだろう。ため息をついて私はソファから起き上がった。


「またロボットに乗ればいいのに」

「乗るわけない」

「でも大会を見てたじゃない」

「じゃあよくドロドロのドラマみてるお母さんは不倫したいの?」

「なんてこと言うの!」


 お母さんは鬼みたいに目を吊り上げていた。ひねくれものに構うからこうなる。別に迷惑かけてるわけじゃないんだから、放っておけばいいのに。今のところ非行に走る予定もないし、大人になれば人並みには親孝行だってする。


「そういうことだよ。みてるからってやりたいわけじゃない」

「でも秋ちゃんは」

「その名前出さないで」


 お母さんを睨みつけてからリビングを出た。ちくりとした痛みを覚えながら階段を上る。


 昔は三笠も私の家によく遊びに来ていた。「おじゃまします」と嬉しそうに笑っていたものだ。


 こんな小さな家よりも自分の別荘に帰る方が何倍も有意義だろうに、当時の私たちの価値観は理解しがたいものだった。一緒にいるだけで何もかもが楽しかった。


 ナノマシンの住宅は痛まない。メンテナンスの必要も薄い。常に完璧な状態だ。


 でも人間は違う。年を重ねて常識を知るほどに、不要な価値観を身につけてしまう。そして私たちから笑顔や喜びを奪っていく。


 時間が経つほどに私は不完全になった。何かが欠けている感覚が今も胸を圧迫している。それが何なのか、私には分からない。分かりたくもない。


 もしかするとこれから先、長い間ずっと私を苦しめるものなのかもしれない。


 三笠も同じだったりするのだろうか。


「……いいや、そんなわけないか」

 

 感傷的な思考を振り払い、私は自室の扉を開けた。


 ナノマシンの家や家具は傷まないけれど埃は積もる。年月の証を使い捨てのモップで掃除していく。そのうちに、本棚の端にある黒い箱に目が向いた。漫画型のデバイスに隠されるようにして、奥に置いてあったのだ。


 手のひらサイズのそれを掴む。金属の冷たさが手のひらに広がった。


「懐かしいな」


 箱には「黒炎」と墨のようなフォントで書かれている。確かこれを買ってもらったのは小学校に入ったばかりのころだ。放送されていたロボコンをみて、どうしようもなくロボットに乗りたくなった私は、両親に必死でおねだりしたのだ。


 箱の蓋は古めかしい南京錠で厳重にロックされている。この中に閉じ込められている特殊なナノマシンを展開すると、あっという間に全長十メートルの競技用ロボットが形成される。もちろん安全にも配慮されていて、特定の場所でないと反応しない。


 昔は三笠と一緒に夜まで練習をしていた。小学生一年生から中学生二年生まで、練習帰りはお互いの改善点を教え合っていた。もっとも私が教えられることの方が遥かに多かったけれど、でも今思えばあれは決して悪い記憶なんかじゃなかった。


『物足りないですね。今年もあの人が現れてくれなかったので』


 不意に三笠の声が脳内に蘇る。ため息が漏れた。どれだけ過去に囚われれば気が済むんだ私は。軽く放り投げて元あった場所に戻し、それを漫画で隠す。


 私と三笠の繋がりは中学時代に切れたのだ。失った関係は戻らない。


 私はもうロボットに乗らない。


 ベッドに倒れて天井をみていると、目の前にホログラムが現われた。水色の背景に白い字で「お母さん」と書かれていた。


「秋ちゃんから連絡が来てるわよ」


 お母さんの声が、部屋を構成するナノマシンから響いてくる。


「急に話しかけてこないでよ」


 ため息をこぼしながらも、私の興味は三笠に向いていた。連絡が来るなんていつぶりだろう。


「三笠はなんて?」

「直接伝えたいらしいのよ。転送してもいい?」

「ちょっと待って!」


 私は飛び跳ねるようにしてベッドから起き上がった。


「鏡出して」


 私が呼びかけると目の前にナノマシンが集まってくる。すぐに縦長の鏡面が現れた。そこには髪がぼさぼさの、いかにもぐうたらそうな女が映っている。


 今さら虚栄心なんて抱かなくていいだろうに、それでも気になってしまう。三笠に情けない姿をみられたくない。


「くし出して」


 一秒ほどで右手に黒いくしが現れた。私は一目散に荒れた髪を整えていく。私の髪は肩くらいで三笠ほど長くはない。完全とは言い難いけれど見苦しさは消せたと思う。前髪をもう少しだけ整えてから、お母さんに伝えた。


「転送して」


 すると眼前にホログラムが現れた。ほぼリアルと遜色のない美しさで、三笠の顔が映る。綺麗な卵型の輪郭も、いかにも優秀そうなクールな目元も、あまたの男子たちの告白を拒んできた薄桃色の唇も、三年前の面影を確かに残していた。

 

 けれどその美しさはかつてと比較にならないほど研ぎ澄まされていた。それこそ、私なんかが隣に立つなんておこがましいくらいに。芸能人のような洗練されたオーラを、そのずば抜けた容姿から放っているのだ。


 なのに私をみる黒い瞳は子供のころのままだった。


 そのちぐはぐさに心を乱されて、何を言えばいいのか分からなくなる。


「久しぶり」


 混乱していると三笠が口を開いた。意外にも声は固く強張っている。よくみれば表情も固い気がする。三笠はたくさんの物を背負っている。私よりも色々なことに慣れているはずだ。それなのに、私なんかに緊張しているのだろうか。


 私は咳払いをして、よそ行きの落ち着いた表情を作った。


「久しぶり」

「空谷は最近どう?」


 雲が青空を覆うように心が暗くなっていく。凪、じゃないんだ。昔はお互いを呼び捨てで呼び合っていた。私も今さら昔のように仲良くしたいとは思ってないし、別にいいんだけど。本当に。


「……普通。それより伝えたいことって何?」


 私が問うと三笠は気まずそうに目をそらした。


「伝えたいことっていうのは……」


 耳をかたむけるも言葉は続かない。


 そんなに言いづらいことなのだろうか。金輪際私に関わらないで欲しいとか? それか私と幼馴染だったことは忘れて欲しいとか? 


 なんであれいい言葉は期待できそうにない。体に力をこめてその瞬間を待つ。


「一回だけ私と戦って欲しい」

「えっ?」


 聞き取れなかったと勘違いしたのだろうか。今度は大きな声で言った。


「また私と戦って欲しい!」


 その毅然とした姿をみて、私はロボコンでの言葉を思い出した。「あの人」というのは本当に私を指していたらしい。まるで理解できない。大企業の社長令嬢が意識するべき相手は、絶対に私じゃない。


 なのに幼馴染は、私に本気のようだった。

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