第三話:スポットライトの影で
その日、三人が訪れたのは、黒田の行きつけだという静かなジャズバーだった。カウンターの隅で、明智は琥珀色の液体が入ったグラスを傾けている。氷がカランと鳴る音さえ、彼女がやると計算し尽くされた演出のように聞こえた。
「ねえ、明智さん。今日のネクタイ、少し緩めてもいいかしら」
黒田が陶酔した目で明智の喉元に手を伸ばす。明智は小さく頷き、されるがままになっていた。その光景は、愛し合う恋人というよりは、調教師と従順な猛獣のそれだ。
竹中がそんな二人を冷や冷やしながら見守っていると、背後から高い声が響いた。
「……レオ様? もしかして、レオ様じゃない!?」
駆け寄ってきたのは、二十代前半とおぼしき華やかな出立ちの女性だった。彼女は明智の前に飛び出すと、信じられないものを見たというように顔を輝かせた。
「やっぱりレオ様だ! 劇団を辞めてからずっと探していたんです。私、レオ様の私設ファンクラブの幹部をしていたミカです!」
明智の顔が、一瞬にして凍りついた。グラスを握る指先に力がこもる。
「……人違いじゃないかな。僕はレオなんて名前じゃない。明智だ」
明智は、低く抑えた声で言った。しかし、ミカと呼ばれた女性は止まらない。
「そんなはずありません! その声、その視線の配り方。宝塚を目指していた頃の、あの誰よりも気高いレオ様を忘れるはずがありません。どうしてこんなところで……その格好、まさか今も、どこかで演じているんですか?」
「やめてくれ。僕は――」
明智が言いかけた時、黒田がゆっくりと椅子を回転させた。彼女の瞳からは一切の感情が消え、底冷えするような静寂が辺りを支配した。
「失礼ね。この人は私の婚約者。あなたの探している『レオ様』なんていう、安っぽい役者じゃないわ」
黒田の言葉に、ミカは怯むどころか、怪訝そうに黒田を見据えた。
「婚約者……? でも、彼女は女性ですよ? 私たちは、彼女が舞台の上で放つ『男役』としての輝きを愛していたんです。それを、こんな個人の所有物みたいに囲い込んで……あなた、レオ様に何をさせているの?」
「何……? 私は彼女に『命』を与えたの。舞台の上だけの偽物じゃない、二十四時間、一生解けることのない魔法をかけてあげたのよ」
黒田が立ち上がった。二人の女の間に、火花が散る。竹中は慌てて仲裁に入ろうとした。
「ちょっと、二人とも落ち着いて。ここお店やから」
しかし、黒田は竹中の制止を無視し、明智の肩を強く抱き寄せた。
「ねえ、明智さん。証明してあげて。あなたが誰の王子様なのか。この哀れな観客に、現実を見せてあげて」
明智は、震える唇を噛み締めた。彼女の視線は、かつての自分を純粋に憧憬の目で見ていたミカと、自分を支配し、定義し続ける黒田の間で激しく揺れ動いている。
「……僕は」
明智が口を開いた。その声は掠れていた。
「僕は、黒田の騎士だ。かつての僕なんて、もうどこにもいない。ミカさん、君が愛したレオは死んだんだ」
その言葉に、ミカは絶望したように顔を覆い、店を飛び出していった。 静まり返った店内に、黒田の満足げな吐息だけが漏れる。
「よく言えたね、明智さん。ご褒美に、新しいカフスボタンを買ってあげる」
黒田は明智の頬を撫でた。明智は人形のように無表情で、ただ頷いた。 しかし、竹中だけは見逃さなかった。黒田に背を向けた明智の目から、一筋の涙がこぼれ、グラスの中のウイスキーに溶けて消えたのを。
「……黒田、あんたもう、やりすぎや。人の心まで作り変える権利、誰にもないんやで」
竹中の震える声に、黒田は冷たく微笑んだ。
「心なんて、一番不確かなものよ。形さえ完璧なら、心なんて後からついてくるわ。ねえ、竹中もそう思うでしょう?」
夜の街に放り出された三人の影は、長く、歪に伸びていた。 竹中は確信した。この美しすぎる舞台の幕を下ろせるのは、黒田でも明智でもない、自分しかいないのだと。
次の更新予定
親友の彼氏があきらかに男装女子なのだが @princekyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。親友の彼氏があきらかに男装女子なのだがの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます