第4話:「本当のママ」と空っぽの玉座
お遊戯会での一件以来、義実家の空気は微妙に変化していた。あれほど娘を自慢の種にしていた義母は、麗華さんの話になると口数が少なくなり、時折、何かを確かめるように私の顔を見るようになった。そして麗華さん自身は、私への敵意をさらに剥き出しにしながらも、母親の視線を気にしてか、以前のようなあからさまなマウントは鳴りを潜めていた。
そんな中、莉奈ちゃんの六歳の誕生日会が、義実家で開かれることになった。この一年、偽りの笑顔の裏で涙を流してきた莉奈ちゃんが、主役になる日。私にとっても、それは特別な意味を持つ一日だった。
「結衣、本当にこれを持っていくのか? 姉さん、また何か言ってくるんじゃないか?」
出かける直前、私が用意したプレゼントの包みを見て、夫の智也が不安そうな顔をした。私が用意したのは、決して高価なものではない。莉奈ちゃんが以前、公園で「幼稚園の図書館で借りて、すっごく面白かったの」と目を輝かせて話してくれた絵本。そして、もう一つ。小さな手作りの金メダルだ。
「いいの。これが、莉奈ちゃんが本当に喜んでくれるものだから」
私はきっぱりと答えた。メダルには、拙いながらも一生懸命に鉄棒で逆上がりをする女の子の絵を描いた。公園で二人きりの時、莉奈ちゃんは「逆上がり、みんなできるのに莉奈だけできないの」と泣きそうになっていた。私は元保育士の知識を活かして、何度も何度も補助をしながら練習に付き合った。そして先週、ついに彼女は自分の力だけでくるりと回れたのだ。その時の、誇らしさと喜びに満ちた顔は、一生忘れられないだろう。この金メダルは、彼女の努力の証だ。
私の決意に満ちた表情に、智也は何も言えなくなったようだった。彼も、お遊戯会での一件で、姉の完璧な母親像に疑問を抱き始めているのかもしれない。ただ、長年染み付いた事なかれ主義が、彼を表立って行動させることを躊躇させていた。
義実家に到着すると、リビングは麗華さんのセンスで飾り付けられた、壮大なパーティー会場と化していた。天井からはパステルカラーのバルーンが無数に吊り下げられ、壁には『HAPPY BIRTHDAY RINA』のきらびやかなガーランド。テーブルには、プロが作ったとしか思えない豪華なバースデーケーキが鎮座している。
「ようこそ! さあ、結衣ちゃんたちも座って。主役の登場よ!」
麗華さんが、まるで舞台監督のように手を叩く。その合図で、子ども部屋から現れた莉奈ちゃんは、お姫様のようなフリルのついたドレスを着せられていた。しかし、その表情は浮かない。豪華な飾り付けやケーキよりも、ただ窓の外をぼんやりと眺めている。
「莉奈、こっちに来て。さあ、プレゼントの時間よ!」
麗華さんが、大きなブランドの紙袋を莉奈ちゃんの前に差し出した。
「ジャーン! 莉奈が欲しがってたでしょう? パリの有名なブランドの、新しいワンピースよ! これを着て、今度ママと一緒にお洒落なレストランに行きましょうね」
その言葉に、私は眉をひそめた。莉奈ちゃんが、そのブランドの服を欲しがっていた? 公園で泥だらけになって遊ぶのが大好きなこの子が? 違う。それは莉奈ちゃんが欲しかったものではない。麗華さんが、自分の娘に着せてSNSに投稿したい服だ。莉奈ちゃんは、差し出された紙袋を一瞥しただけで、「……ありがとう」と小さな声で呟いた。その声に、喜びの色は少しも感じられない。
義両親からのプレゼント、智也からのプレゼントが続く。どれも、莉奈ちゃんの年齢に合わせた玩具や洋服だったが、彼女の反応は鈍いままだった。彼女の心は、ここにはない。そのことが、私には痛いほどわかった。
そして、私の番が来た。麗華さんが「さあ、結衣ちゃんは何をくれるのかしらね。楽しみだわ」と、値踏みするような視線を向けてくる。私が差し出した素朴なラッピングの包みを、彼女は鼻で笑うだろう。それを覚悟の上で、私は莉奈ちゃんの前にそっとしゃがみこんだ。
「莉奈ちゃん、お誕生日おめでとう。結衣ちゃんからのプレゼント、開けてみてくれるかな」
莉奈ちゃんは、私の顔を見ると、その瞳にわずかな光を宿した。こくりと頷き、小さな手で丁寧に包みを開けていく。
中から絵本が出てきた瞬間、莉奈ちゃんの顔が、ぱっと輝いた。
「わあ! この本! 幼稚園で読んだ本だ! 欲しかったの、これ!」
さっきまでの無表情が嘘のように、莉奈ちゃんは絵本を胸に抱きしめ、満面の笑みを浮かべている。
「覚えててくれたの、結衣ちゃん!」
「うん。莉奈ちゃんが、すごく面白いって言ってたから」
「そして、もう一つあるんだ」
私が小さな金メダルを取り出すと、莉奈ちゃんはきょとんとした顔をした。メダルに描かれた絵を見て、はっと息を飲む。
「これ……さかあがり……?」
「そうだよ。莉奈ちゃんが、たくさんたくさん練習して、自分の力でできるようになった記念。莉奈は、頑張り屋さんの金メダリストだよ。おめでとう」
私がそのメダルを莉奈ちゃんの首にかけてあげた、その瞬間だった。
莉奈ちゃんの大きな瞳から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。そして、次の瞬間、彼女は私に駆け寄り、その小さな体で力いっぱい抱きついてきたのだ。
「うわあああん……! 結衣ちゃあん……!」
しゃくりあげながら、莉奈ちゃんは叫んだ。その声は、リビング中に響き渡った。
「結衣ちゃん、大好き! いつも、いつもありがとう! 本当のママみたい!!」
しん、とリビングが静まり返った。時が止まったかのようだった。
麗華さんの顔から、血の気が引いていくのがわかった。彼女は、信じられないという顔で、私に抱きついて泣きじゃくる自分の娘を見つめている。義父は気まずそうに咳払いをし、智也は顔面蒼白で立ち尽くしていた。
その沈黙を破ったのは、義母だった。彼女は、ゆっくりと立ち上がると、娘である麗華さんの前に立った。その表情は、悲しみと、そして静かな怒りに満ちていた。
「麗華」
義母は、低く、けれどはっきりとした声で言った。
「あなた、今まで、莉奈ちゃんのこと、ちゃんと見てあげていたの?」
その言葉は、鋭い刃のように麗華さんの胸を貫いた。
「お、お母さん……何を……私は、莉奈のために、誰よりも頑張って……!」
「頑張っていたのは、本当に莉奈ちゃんのためだったの? それとも、『理想の母親』である自分を褒めてもらうためじゃなかったの?」
義母は、麗華さんが用意した高価なワンピースの紙袋と、莉奈ちゃんが宝物のように握りしめている絵本と金メダルを、交互に見比べた。
「この子が本当に欲しかったものが、どちらかなんて、見ればわかることでしょう。あなたは、娘の心を見ていなかった。自分の見栄ばかりを見ていたのよ」
義母の言葉は、一つ一つが重い真実となって、麗華さんにのしかかる。麗華さんは、何も言い返せない。ただ、わなわなと唇を震わせ、顔を真っ赤にしている。
「私は……私は……!」
助けを求めるように周りを見渡すが、誰も彼女の味方をする者はいなかった。いつも自分の言いなりだった義母も、事なかれ主義だった弟も、今はただ冷ややかに、あるいは失望の色を浮かべて彼女を見ている。SNSで何千もの「いいね!」を集めてきた彼女の周りには、今、誰一人として味方はいなかった。
麗華さんは、自分が築き上げてきた虚像の玉座から、引きずり下ろされたのだ。暴力でも、罵倒でもない。ただ一つの、子どもの純粋な言葉によって。これ以上ない、完璧な形で。
私は、泣きじゃくる莉奈ちゃんの背中を、ただ優しくさすってあげた。長年の鬱憤が晴れた、という爽快感よりも、ようやくこの子の心が解放されたことへの安堵の方が大きかった。
「ごめん……結衣……ごめんなさい」
隣で、智也が震える声で私に謝った。彼もようやく、真実に気づいたのだ。自分が守るべきだったものが何だったのか。姉の機嫌ではなく、傷ついていた妻と、寂しさを抱えた姪の心だったのだと。
麗華さんは、誰からも見向きもされない豪華なプレゼントと、SNS映えするはずだったケーキを前に、ただ一人、立ち尽くしていた。その瞳には、もういつもの自信に満ちた輝きはない。空っぽの承認欲求と、深い孤独だけが映っていた。
後日、麗華さんはインスタグラムのアカウントを削除したらしい。そして、少しずつ、莉奈ちゃんと向き合う努力を始めたと、義母から聞いた。それが本当の意味で彼女が変わるきっかけになるのか、それともまた新たな見栄の形を探すだけなのか、私にはわからない。
でも、確かなことが一つだけある。
私はこれからも、莉奈ちゃんにとっての「二人目のママ」であり続けるだろう。血の繋がりや、SNSの「いいね!」の数なんかでは測れない、確かな絆が、私たちにはあるのだから。
私の腕の中ですやすやと眠る陽翔の隣で、莉奈ちゃんが楽しそうに絵本を読んでいる。その穏やかな光景こそが、私が勝ち取った、何物にも代えがたい日常だった。品のある復讐の果てに待っていたのは、憎しみではなく、温かく、そして本物の愛情に満ちた未来だった。
「#理想のママ」を演じる義姉へ。あなたの娘が本当に懐いているのは、見下していた“ずぼら”な私です。 @jnkjnk
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