第4話:土下座と新しい女将
橘花楼のV字回復は、地元の経済界でちょっとした奇跡として語られるようになった。アフタヌーンティー・プランの成功に続き、私が企画した「ワーケーションプラン」や、武田板長が腕を振るう「もったいない野菜の創作会席」も次々とヒット。かつての閑散としたロビーは、今や平日でもお客様の笑顔と活気で満ち溢れている。
その評判はメディアの耳にも届き、ついに、全国ネットの朝の情報番組から密着取材のオファーが舞い込んだのだ。
「テレビの取材ですって!? すごいわ!」
沙織が自分のことのように声を弾ませた。彼女の運営するSNSは、今や旅館の重要な広報ツールとして機能し、フォロワー数は数万人にまで膨れ上がっていた。自分の働きが認められる喜びに、彼女の表情は以前の刺々しさが嘘のように和らいでいる。
しかし、その朗報を聞いた聡子の反応は、対照的だった。
「……テレビ、ですと? 分かりました。私が、橘花楼の大女将として、取材をお受けしましょう」
聡子は、当然のように言った。この三ヶ月、旅館の経営から完全に外され、孤立を深めていた彼女にとって、これは失地を回復する絶好の機会に見えたのだろう。自分が表舞台に立ち、橘花楼の伝統と格式を語れば、世間は「やはり大女将あっての橘花楼だ」と認識してくれる。この成功は、あくまで自分の手のひらの上で嫁を踊らせた結果なのだと、世間に、そして何より自分自身に思い込ませたかったのだ。
「お母様、それは……」
沙織が何か言いかけたが、聡子の鋭い一瞥に言葉を飲み込んだ。
私は、そんな聡子の思惑を静かに見つめていた。そして、何も言わずに「分かりました。では、取材の段取りはお願いいたします」とだけ告げた。その穏やかな態度に、聡子は私が自分の権威の前に再びひれ伏したのだと勘違いしたようだった。
取材当日。テレビクルーが大勢やってきて、旅館は朝から華やいだ雰囲気に包まれた。聡子は、最も高価な訪問着に身を包み、入念に化粧を施してレポーターの前に立った。
「ようこそ、橘花楼へ。私、大女将の橘聡子と申します」
その立ち居振る舞いは、さすがに堂々としたものだった。彼女は、橘花楼の百年の歴史と、伝統を守り続けることの重要性を、よどみなく語っていく。
「素晴らしいですね。まさに日本の美、という感じです。さて、大女将。今回、こちらの旅館が奇跡的なV字回復を遂げられたと伺っております。その原動力は何だったのでしょうか?」
レポーターからの、核心に迫る質問。聡子はこの時を待っていたと言わんばかりに、優雅に微笑んだ。
「それは、もちろん、私どもの『おもてなしの心』にございます。時代が変わろうとも、お客様を思う心さえ忘れなければ、必ず想いは伝わるもの。若い者には、まだまだ教えなければならないことが多くて」
そう言って、聡子はわざとらしく私の方に視線を流した。まるで、私が彼女の指導のおかげで成長したのだ、とでも言いたげに。しかし、聡子の思惑は、次のレポーターの質問であっけなく打ち砕かれる。
「なるほど。その『おもてなしの心』を、どのようにして具体的な経営改善に繋げられたのですか? 例えば、SNSで話題のアフタヌーンティー・プランですが、ターゲット層を若年女性に絞ったマーケティング戦略が非常に巧みだと評判です。その狙いや、費用対効果の分析についてお聞かせいただけますか?」
「え……?」
聡子の顔から、すっと笑みが消えた。マーケティング? 費用対効果? それは、彼女の語彙にはない言葉だった。
「そ、それは……若い者のアイデアを、わたくしが取り入れてやったまでのことで……」
「では、その若い者、と言いますと、再建計画を立案されたという奥様ですね。橘莉子様、ぜひお話を」
レポーターは、聡子を通り過ぎ、私の前にマイクを差し出した。
私は一礼し、落ち着いた声で答えた。
「はい。まず、ターゲットを絞り込むにあたり、近隣の競合施設との差別化を図る必要がありました。橘花楼の強みである庭園の景観を最大限に活かし、かつ初期投資を抑えられるプランとして、アフタヌーンティーに着目いたしました。費用対効果といたしましては、広告宣伝費をほぼゼロに抑え、インフルエンサーの方々への無償提供という形で……」
私は、立て板に水のごとく、具体的な数字とロジックを交えて説明していく。それは、この三ヶ月間、私が寝る間も惜しんで築き上げてきた、血の通った言葉だった。私の話に、ディレクターやカメラマンまでもが感心したように頷いている。
レポーターは、聡子と沙織にも話を振ろうとした。
「大女将は、どのようにしてこのプランを許可されたのですか? 当初は反対意見もあったのでは?」
「……わたくしは、常に先を見ておりますから。嫁の未熟な計画にも、可能性を見出してやったまでです」
「沙織様はSNSの運営を担当されているとか。エンゲージメント率を高めるために、どのような工夫を?」
「え、えっと……写真の、色味とか……?」
聡子も沙織も、具体的な質問には何一つ答えられない。彼女たちの言葉は、中身のない薄っぺらなものにしか聞こえなかった。誰が本当の立役者で、誰がただのお飾りなのか。その場にいる誰もが、そしてテレビの前の視聴者も、一瞬で理解しただろう。
聡子と沙織の顔が、屈辱に赤く染まっていく。自分たちが主役であるはずだった晴れの舞台で、自分たちが最も蔑んでいた嫁に、すべての脚光を奪われている。これ以上の恥辱はなかった。
取材が終わり、クルーが引き上げた後。誰もいなくなった大広間に、重い沈黙が落ちた。従業員たちは、遠巻きに私たちを見つめている。
私は、静かに聡子と沙織の前に立った。
「お義母様、お義姉様」
その声には、怒りも嘲りも含まれていない。ただ、どこまでも静かで、冷たい響きだけがあった。
「お分かりいただけましたか。これが、現実です。格式やプライドだけでは、何も生み出せないということが」
聡子は、わなわなと唇を震わせた。彼女の瞳には、怒りと、悔しさと、そして、これまで決して認めることのなかった「敗北」の色が浮かんでいた。
長い、長い沈黙の後。
聡子は、ゆっくりと、その場に膝をついた。そして、高かったはずのプライドをすべてかなぐり捨てるように、畳に額をこすりつけた。
「……莉子さん。……私が、間違っていました」
絞り出すような、か細い声。
「あなたを『育ちが悪い』と蔑み、あなたの力を認めようともしなかった。この橘花楼を、本当の意味で救ってくれたのは、あなたです。……申し訳、ありませんでした」
その隣で、沙織も泣きながら頭を下げていた。
「ごめんなさい……莉子さん。私、あなたにずっとひどいことばかり……。あなたが羨ましくて、妬ましくて……ごめんなさい……」
土下座。
それは、私が一年間、心のどこかで望んでいた光景のはずだった。だが、目の前の二人の姿を見ても、私の心に湧き上がってきたのは、勝利の歓喜ではなかった。むしろ、一つの時代が終わったのだという、ある種の寂寥感にも似た感情だった。
聡子は、名家の出身として、嫁いだ日から「橘花楼の大女将」という重責を背負わされてきた。先代の女将からは厳しく躾けられ、自分の意見を言うことも許されなかったと聞く。彼女が固執した「伝統」や「格式」は、彼女自身を守るための鎧だったのかもしれない。
沙織は、都会での挫折から逃げるように実家に戻り、自分の価値を見失っていた。弱い者を作り出し、攻撃することでしか、壊れそうな自尊心を保てなかったのだろう。
彼女たちは、決して根っからの悪人ではなかったのかもしれない。ただ、弱く、変化を恐れる、ありふれた人間だったのだ。
私は、深呼吸を一つした。
「頭を上げてください」
私の静かな声に、二人はおそるおそる顔を上げた。その顔は、涙と後悔でぐしゃぐしゃだった。
「過去のことは、もう水に流します。謝罪も受け入れました。ただ、一つだけ」
私は、その場の全員に聞こえるように、はっきりと言った。
「これからの橘花楼の経営に関する一切の権限は、私が拝命いたします。異論は、ございませんね?」
それは、問いかけの形を取った、決定事項の通達だった。
聡子は、もはや何の抵抗もせず、力なく頷いた。
「……すべて、あなたにお任せします。新しい、女将に」
「お義母様……」
「これからは、莉子さんのことを『若女将』とお呼びしなさい。いいですね、皆さん」
聡子が従業員たちに告げると、皆、一斉に「はい、大女将!」と返事をした後、私に向かって深く頭を下げた。
「若女将、よろしくお願いいたします!」
その声は、心からの信頼と期待に満ちていた。
この瞬間、名実ともに、私は橘花楼の新しいリーダーとなったのだ。
その日の夜、私は一人、月明かりに照らされた縁側で庭を眺めていた。そこへ、一真が静かにやってきて、私の隣に正座した。
「莉子。本当に、すまなかった」
彼もまた、深く、深く頭を下げた。
「俺は、夫失格だ。君を、何一つ守ってやれなかった。それどころか、君の本当の価値にさえ気づけなかった。君に、甘えてばかりいた」
「……顔を上げてください、一真さん」
私は彼の肩にそっと手を置いた。
「私は、もう大丈夫です。でも、これからは、あなたにも変わってほしい」
「ああ。分かっている」
一真は顔を上げ、私の目をまっすぐに見つめた。その瞳には、もう以前のような頼りなさはなかった。
「俺は、当主の器じゃない。経営の才覚もない。それは、この三ヶ月で痛いほど分かった。だから……これからは、僕が君を支える。若女将の、一番の部下として。支配人として、君の右腕になって、この旅館を一緒に守らせてくれないか」
それは、彼が初めて、自分の弱さを認め、そして、新しい役割を見つけ出した瞬間だった。私は、そんな彼の変化が、何よりも嬉しかった。
「はい。よろしくお願いしますね、支配人」
そう言って微笑むと、彼は安心したように、そして少し照れたように笑い返した。
私の戦いは、終わった。
それは、憎しみを晴らすための復讐劇ではなかった。理不尽に耐え、蔑まれてきた一人の女が、自らの力で未来を切り拓き、誇りを取り戻すための戦いだった。
そして、古い価値観に縛られていた人々を、過去の呪縛から解き放つための戦いでもあったのかもしれない。
聡子は潔く隠居し、時折、孫の顔でも見るように、穏やかな顔で旅館の様子を見守るようになった。沙織は、私の下で広報担当として働き続けながら、マーケティングの専門学校に通い始めた。自らの足で立つことの喜びを見つけた彼女の顔は、日に日に輝きを増している。
そして私は、橘花楼の若女将として、今日もお客様を迎える。
「育ちが知れる」と蔑まれた私が、今、この旅館の未来を担っている。
雨上がりの庭園は、みずみずしい緑の香りに満ちていた。私の心も、まるで洗い流されたかのように、どこまでも晴れやかだった。
ここから、私の本当の人生が始まるのだ。
「育ちが知れる」と蔑まれた私ですが、傾きかけた老舗旅館の再建、見事成し遂げてみせましょう @jnkjnk
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